「ないこと」の証明

可能性が有限で列挙可能なとき、あるいは(可能性が無限であっても)排中律が成り立つときは、「ないこと」の証明ができるはずですよね。別に分析哲学ほど厳密潔癖な記号操作に立てこもらんでも、実証は、そういう場を設定することで歴史や人文科学を「言いたい放題」でなくするひとつの知恵として、まだ実用性は十分あるはず。

音楽も、夢を壊すのを恐れずに「ないものはない」と、言えるときはどんどん言った方がいいかもしらん。

妙な停滞感を突破口とするポモのなし崩しの復権(お気楽サブカルを含む)とか、「昭和へ還ろう」運動とか、どちらにしても物事を40年くらい巻き戻そうという話だから、それは違うやろ、って思うもんね。

「ないものはない」

ハイ皆さんもご一緒に!