Shin Buddhism in Japan

虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか

虚無の信仰 西欧はなぜ仏教を怖れたか

西欧における仏教受容の話は、サンスクリット文献にアクセスして得られたブッダ情報の異様さへの戸惑いと、秘教的なチベットの話と、あとは20世紀に鈴木大拙が広めたZenの話が主になるようなのだけれど、阿弥陀如来はどこへいったのか。

読みながら、確かにこれはわたしたち(わたし?)がなんとなく環境としてなじんている仏教とは様子が随分違うけれど、その違和感の多くは、ブッダが誤解されているというより、阿弥陀様の姿が見えないからであるような気がしてきた。(他の色々な仏たちの姿もないけれど。)

日本の仏教は、ブッダの教えだけでは解けないですよね。

クプファーは、日本にTrue Pure Land SchoolとかShin Buddhismと呼ばれる巨大宗派がある、他にも色々ある、というのを知っているのだろうか?

ワーグナーはたぶん間違いなく知らなかっただろうし、彼が色々所有していたらしい仏教解説書のなかに、ヒナやヤーパンのことが多少は書いてあったとしても、「本物好き」で「王続の正当な継承者」が好きだったこの人は、雑魚は相手にしないって感じに読み飛ばしたんじゃないかなあと思う。

でも、日本とワーグナーの距離を測るときには、そのあたりが大事だったりするんじゃないだろうか。

ブッダを交響曲にして世界へ発信、みたいなことを構想した作曲家はいるけど、交響詩「アミターバ」みたいのはあんまりないよね。作れといってるわけじゃないけど……。弥勒菩薩を讃えるマイトレーヤ組曲とか、ちょっと無理だろうなあと思うし。90年代のカルト教団のことを覚えている人だったら、この名前で特定の人物を思い出しちゃう。

チカマツがアヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァの像の所在地を織り込んだ娼婦の叙事詩をオーザカのプッペンテアターのために書いたことは、どこでどうやればどれくらい人の興味を惹くものなのか。何かやり方はありそうな気がするのだけれど。ポップにしちゃえばいいわけか……?

東本願寺三十年紛争

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