前略、後藤菜穂子様

日本の新聞のコンサート評を英訳するのは至難の業

だって、ほめてるんだか批判しているんだか、曖昧なことが多いから。もちろん、わざとでしょうけれど。

こういう愚痴を書かれるときは、誰のどの批評のどこが曖昧で翻訳困難なのか、実名を書くべきではないでしょうか。

だって、これでは、誰を批判しているんだか、曖昧です。もしかして、わざとですか?

草々

追伸

後藤様のお目に触れることはないかと思いますが、私の書いた文章に曖昧で意味の取りがたい箇所があれば、お問い合わせいただければ、対応させていただくことができる、かもしれません。

また、私は逆に、「ここがよかった。」と範囲を具体的に特定して評価する批評を書いたのに、後藤様のツイートをリツイートしていらっしゃる方がご勤務の音楽ホールの公式アカウントで、あたかも全体を誉めたかのように縮めて引用されたことがあり、それは違う、とこの場で発言したことがあります。

不審があれば具体的に議論すればいいのであって、どうにもならないこととして、一般論で愚痴るのは早計ではないでしょうか。

また、私が知る限りでは、欧米の批評でも、言葉の表面は誉めたことになっているけれども、明らかに些末な部分を大げさに取り上げる奇妙な書き方になっているケースがあります。これは、言外に「他にいいところがなかった」ことを示唆しており、このような婉曲表現は、決して日本特有ではないと私は考えておりますが、いかがでしょうか?

母国語の婉曲表現は、その背後にある文脈がわかるから読み取ることができるけれど、外国語のそれはくみ取ることができずに直接表現として読んでしまい、結果的に、自分の祖国は物事を婉曲に言い過ぎると感じてしまう。そういうことがあり得るのではないでしょうか。もちろん、後藤様がそうだと言っているわけではありませんが。(というような言い方が、後藤様にはご不満なのでしょうか(笑)。)