ロシアからウィーンへ、ロシアから蝦夷へ

馬琴綺伝

馬琴綺伝

節目節目に同時代のヨーロッパの動静が挿入されるので、馬琴は1767年生まれでベートーヴェンと同世代(ということはナポレオンとも同世代)なんだ、ということに気づかされる。

そうして、ロシアが樺太の先の島にちょっかい出してくる動きが沈静化するのは、ウィーン会議でヨーロッパの情勢が落ち着くのと関係があるかもしれないとの示唆があって、だとしたら、ひょっとすると外交官のアンドレイ・ラズモフスキーのところに、極東の島々の情報が何らかの形で伝わっていた可能性があるかもしれないなあ、と想像が広がる。

(ベートーヴェンがヤーパンなる島に興味を抱いたとはちょっと思えないけれど、シカネーダやモーツァルトが1790年頃の舞台に「日本の皇子」を登場させたのは、半分は偶然、半分は、その程度にうっすらと何かが伝わっていたということか。)

八犬伝は1814年から1842年まで30年くらい書き継がれたわけだから、ベートーヴェンだって、長生きしたら、現在「後期様式」と呼ばれる作品群がもっと増殖した可能性は十分にあるかもしれない。

(老人になると、ベートーヴェンのような独身者は苦しかったかもしれないけれど……。)

で、ベートーヴェンと馬琴が同世代だということは、北斎もそうだ(1760年生まれで少し上だけれど)ということであって、ジャポニスムでドビュッシーと富嶽三十六景を言うだけじゃない突き合わせ方が何かあるかもしれない。

たとえば、

私が無知だっただけですが、黄表紙・合巻で作家と絵師は一緒に仕事をするわけですね。絵と文字を同じ紙の上に載せるグラフィック・デザインに音楽が絡む局面は楽譜くらいしかなさそうだけれど、作家や画家にとって、絵本は日常的で、しかも大きな領域かもしれないなあ、と今更のように思う。

そして逆に、絵/本の世界にアクセスする貴重な機会という意味で、音楽にとって楽譜は大事、ということになるかもしれない。

楽譜を「音響との関係」という一点に絞って、規範譜と記述譜などなどと分類するところばっかり熱心にやるのは、官僚的というか、音楽学の視野狭窄ですよねえ……。

(馬琴や北斎は文字と絵が同じ紙の上に載っている享楽的な文化に安住したわけではなく、文字だけ、絵だけでやっていこうとしたわけだから、メディアミックス礼賛ではなさそうだけれど。)