コピーの技術

ベンヤミンの有名な論文の日本語で「複製」と訳されている語は、Reproduktion ですが(→http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101225/p1)、

一方、copy は語源を遡ってもあまり面白くない言葉なのかと思いきや、ラテン語の copia (co + opus で「たくさんのもの」)というのがあるらしい。

copia は、ものがいっぱいあるんだから「富」だ、というニュアンスと、でも、そこにあるのは「写し」なんだよね、「写し」の山でにぎやかなんだよね、というニュアンスがありそう。co- とはどういう状態か、みたいなことですかね。

ここ数日でようやく、パソコンに画像を取り込むスキャナーが「コピー機」っぽい感じで使えるのは、いわゆるデジカメと共通する技術を使ってはいるけれど、仕上がりの画像を細かく調整した結果であるらしい、と気付いた。

スキャナーの「コピー機」っぽい仕上げって、具体的に何をどうしているのか、ちょっと興味がある。camera の話は視覚論のキモであるらしいけれど、copia の技術って何なんでしょうね。

camera のように三次元を二次元に投影しているのではなくて、紙の上の二次元の記号を写すわけですが、

三次元の世界を生きる「人類」にとって、二次元の記号を写すのは、実は存外、面倒で、苦手な作業だったりするのかもしれませんね。だから専門職が生まれたり、様々な制約を課して、その成果物が守られているのかも。

「コッピーにあらず賞(非公認)」(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150218/p4)への最初の一歩(笑)。