チラシの束

センチュリーがお客さんにチラシの束を渡すのを来年度から止めると言っているらしいとの情報があり、これを「英断」とほめる声があるようで、それはまあ、いいのだが……。

たぶん、業界内で招待をしたりされたりしているだけだと気付かないと思うのだけれど(私も最近までわかっていなかったのだけれど)、ある公共ホールは、一度チケットを買うと、その次から、シーズンごとに分厚いチラシの束が自宅に届く。クラシックコンサートやオペラだけでなく、芝居も落語もバレエも全部まとめたのが届く。これは、結構いいと思ったんですよ。見捨てられてない感じがするから。

なんとかクラブとかに入ったら割引や先行予約があって、手厚いサービスをしますけど、一見さんはほったらかし、というのとは、相手にしてる層が違うんだな、と、そのホールの本気を感じた。

どっちが良い悪いの話ではないし、ホールの規模や経営方針にもよるのだろうが、なるほどこの人たちは「私たちの庭を耕している」んだなあ、と思ったよ。(こう書くと、どこのホールだかわかってしまいますね。)

メンバーズクラブ制オンリーにすると、むしろ、ホールが客を選んでいる/客がホールから査定を受けている感じになるわけですね。よーわからんけど、あらゆる手を使って様々な「裏情報」をゲットするぞ、みたいな動きをしている人らもいるようだし(笑)、世の中には、クレカのゴールドカードがステータスだったりするソサエティがあることになっているらしいですし……。昔ながらの「夜の世界」感は、むしろ、こっちのシステムのほうが強くなるかもしれないし、そういう風にしているからできることも、そりゃもちろん、あるでしょう。

少なくとも、メンバーズクラブ制の常連重視のほうが、内容を見る客の目は厳しくなりそうですね。よほど自信がないと出来るものではないし、ちゃんとできるとしたら、それは立派なことだ。

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ただし、お客さんも身内、という甘えがでると、「会員制の密室」に特有の退廃の危険がある。むしろ、本気でオープンに「庭を耕す」ほうが、常に他者の目を意識して一定のモラルが保たれたりするかもしれないので、文化は一筋縄ではいかない。佐渡裕は後者のタイプみたいですね(あ、実名を出してしまった(笑))。

普通は両方を適度に混ぜて、極端に流れないようにしたほうが長続きすると考えるよね。大衆化路線であれメンバーズクラブ路線であれ、思い切って一方の極へ振ると、緊急策っぽく見えるのは否めない。

(お江戸の目を意識して、常に、お江戸にアピールできる話題作りを続けようとする人たちが、なぜだか知らないけれども、ピリピリしてしまうご時世なのですよ。

そしてそれは、本当に「関西が危ない」ということなのか、いまいちはっきりしない。

どうも、そうではなくて、最近は、「大胆な方針」「崖っぷちの緊張感」を演出しないとお江戸の人たちが振り向いてくれない妙な巡り合わせの時節柄みたい。

そこそこボチボチやってると、「特筆すべきところのない停滞」の烙印を押されてしまうようなのです。

それは、あんたらのテンションが高すぎるのや、と思うんだけどね。

ごちゃごちゃ言われずに今本当にやるべきことにマイペースで取り組むことができるという意味では、「特筆すべきところのない停滞」で大いに結構な場合もある。

ゼロ年代半ばから10年近く、関西のクラシック音楽は「話題」が多すぎたからね。しばらく、静かにしといて、じっくり長い目で大事なことに取り組むいい頃合いだと思いますよ。環境が安定すれば、新しい人がしっかり準備して狙いを定めて、偶然のビギナーズラックではない本格派として出てくる可能性も高まるだろうしね。

どこへチラシを配るか、配らないか、というのも、即効性のある緊急施策というより、長い目で見て、判断しないといけないことのはず。

音楽家・演奏団体ではなく「マネジメント手法」とか「音楽堂の動向」が焦点になる局面は、結局、裏方の問題だから、ステージ上は、むしろ「無風の小康状態」に近くなるんですよ。そういうものです。水面下でそれぞれがしっかり仕事してください。)