啓蒙の弁証法

は、「やってもロクなことにならないから、啓蒙なんてやめちまえ」なの? たぶん違うと思うよ。

やる前に「こうだろうなあ」と考える予測と、ひととおりやったあとで見える光景はしばしば異なる。

「こんなことになるなら、やらなきゃよかったよ、トホホ」と愚痴るのがアドルノなわけだが、歴史にリセットボタンはない。

そして、「この道立ち入るべからず」と立て札を立てて封印するのは、啓蒙から最も遠い闇を闇のまま放置することですよね。そんな振る舞いは、ダメというより、今ではもはや、無理だろう、というのが啓蒙の弁証法じゃないでしょうか。