- 作者: エルキ・フータモ,太田純貴
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2015/02/24
- メディア: 単行本
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ニューメディアは技術革新が速いといっても、たかだか数十年から百年くらい前のメディア環境の発掘を「考古学」と呼ぶのは大げさではないか、と思ったし、今も思っていますが、
日本にも何度もいらっしゃっているらしいこの先生の場合は、そういう近代の学問としての考古学じゃなさそうですね。
中世文学論に依拠した「トポス」論のフィルタを通すと、様々なメディアに「何か」が絶えずまとわりついている様子が見えてくる、というようなお話で、
結局これは、いにしえの精霊が降臨する依り代の話であるらしい。メディアの ἀρχαιολογία だから、媒体から古い言葉を読み取る営み、神話学ですね。
ユング、マクルーハンの名前が出てきますが、なんだか、現代都市のフォークロア、民俗学のような感じがします。
民俗学が明治から昭和の時代に幕末頃の生活風俗を記録に留める運動として広まったように、もう21世紀なのだから、20世紀の生活風俗を記録しはじめたほうがいいのはわかるし、丁寧に拾っていくと個別に色々発見がありそうですが、
大枠として、民俗学が「常民の習俗」(実際はそれほど古くないのに古来からのことであるかのようにそう呼ばれた)を仮構したように、メディア論が「アルケオロジー」(媒体に降臨する古い言葉)を想定しなければいけないとなると、はたしてこれは、学問として大丈夫なのか。
特定の領域に回収できないトピックをつなぎ合わせてものを考えるのは手間暇かかる。宗教に依拠したほうが話が速い、というのはいつの時代でも起こりうることだとは思うけれど……。かつて精神分析がたどった道をニューメディアもたどるということ、背に腹は替えられない、ということか。折口信夫とか、そんな感じがちょっとする。