岡田暁生「音楽は「聴く」ものか」を読む

時間を約五年遡って、京大人文研の「身体の近代」共同研究斑が、報告書を兼ねた教養部の講義教科書として2005年に刊行した菊地暁『身体論のすすめ』所収の論文、岡田暁生「音楽は「聴く」ものか」を読んでみましょう。

「2009年度吉田秀和賞受賞」とプロフィールに書く権利を得た著者の近著には、しばしば「身体性」という言葉が重要な箇所に殺し文句的に出てきます。たいてい、説明が簡単すぎて、強引に押し切られたように感じてしまうのですが、この文章は、岡田流「音楽の身体」論の、現状でいちばんまとまった論考であるようです。

(ここでは取り上げませんが、この本は、他にvividな論考がいくつも含まれていて、お薦め。「身体」を思惟するのに、メルロ=ポンティとか言うのはもう止めよう。実存主義や自我同一性のカビ臭い議論がまったく出てこない、全体としては身体論の好著と思います。)

身体論のすすめ (京大人気講義シリーズ)

身体論のすすめ (京大人気講義シリーズ)

  • 作者: 菊地暁,京都大学人文科学研究所共同研究班「身体の近代」
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 単行本
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岡田論文が言うところの「音楽の身体性」の論点は2つ。

(1) 近代西洋は「触覚」を抑圧してきた。

そして、

(2) 西洋の五線譜は、音を出す身体動作の指示・覚え書きではなく、音の構造を「見る/読む/俯瞰する」ツールである

ということ。

(2)は、それだけだと当たり前すぎる話ですが、前半(1)の議論が面白いので、その勢いでなんとなく押し切られてしまいそうになります。

相撲の決まり手で言えば、出会い頭の奇策で先手を取る「ネコダマシ」に似ているかもしれません。岡田さんが昔から好んで使う言い方を借りれば、「不協和音で聴衆をオッと思わせておいて、最後はドミソに着地する。難しいけどオレにはわかった、とスノッブな聴衆に思わせる、リヒァルト・シュトラウスの得意戦法」でしょうか。

とはいえ、この論考の進め方は確かに上手い。

第1章。

造形芸術を「眺める」だけで絶対に触らせてくれない美術館という視覚芸術の制度と、音楽芸術を客席から「聴く」ことしか許されていないコンサートホールを比較しつつ、本来、連続・連携していたはずの五感の連携をプチプチと切断して成り立つのが、近代の視覚芸術であり、聴覚芸術(音楽)だ、煎じ詰めれば、聴覚・視覚の自律は(両者と連携し、両者をつないでいたはずの)触覚の抑圧により可能になっているのであろう、と畳みかけます。

私が学生のころの「美学普通講義」では、似たような視覚・聴覚の自律が、フッサールの現象学やベルグソンの持続概念を横目に見ながら、フィードラーの純粋視覚論などをテクストにして哲学的に講述されていましたが、そういう議論とは雲泥の差でわかりやすい、鮮やかな見立てです。

そしてここから、それじゃあ、音楽体験における諸感覚の連携とはどのようなものであるのか。演奏家が指先で楽器/音楽に、さらには、演奏を通じて、共演者の身体そのものに直接「触れている」かのように感じることすらあるのだ、という音楽の官能的な触覚性に話が進みます。

(演奏家は、そんな話を表向きはしないものなんだけど、ボクはピアニストのお友達がいるから、色々、深い話を知ってるよ、とプチ自慢がはじまったりするのですが、それはまあ、よしとしましょう。)

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第2章。

このような、どこかしら男子校学生同士の猥談を思わせる「音楽の官能的な触覚性」のお話(だから岡田氏のオレは知ってるゾ自慢は、童貞クンを前にした兄貴分の武勇伝のようでもある)と、(2)の、五線譜は「音楽を見る/俯瞰する」ツールである、というお話がどういう風につながるかというと、

こうした「音楽の官能的な触覚性」(に代表される諸感覚が連携した音楽体験)は、実はどの文化にもあるのだけれど、「唯一西洋音楽だけは」これを脱して、音(の全体)を「見る」という境地を獲得したのだ、という論法になっています。

音楽体験がもつ身体性をこのように強調した後で、もし私が「音楽は文学と同じように『読む』ものである」などといったとしたら、読者を相当混乱させることになるだろう。だが実は、世界中のあらゆる他の音楽文化から西洋の芸術音楽(いわゆるクラシック音楽)を決定的にわかっているのが、このエクリチュール(書かれたもの性)なのである。

さんざん自ら率先して「猥談」をやったあとで、いわば悪所に読者をつり込んでおいた上で、くるりと反転して相手の背中に回り、エロに耽る思春期の罪悪感につけこむようにして(この論考を含む本書『身体論のすすめ』は京大教養学部1回生を対象としたリレー講義にもとづいている)、クラシック音楽の素晴らしさを売り込むわけです。典型的な宣教、折伏のレトリックと申せましょう。

よくある議論なので細かく追いかけませんが、「純粋に精神的な領域」「プラトニズム」「数学的秩序」といったおなじみの術語が、トーマス・マン、ケプラー、バルトーク、ブーレーズといったキラ星のごとき名前をちりばめつつ語られます。西欧芸術音楽の絢爛豪華な曼荼羅のご開帳です。

いい歳をしたオッサンは、こういう文章を読むと逆にしらけてしまうのですが(苦笑)、旧帝大生というのは、戦前教養主義の昔から「音楽の精神性」に感染するクラシック音楽の上得意客であり、80年代、90年代には、カルト宗教の幹部の多くが有名国立大出身者であったことが知られていますから、今も案外、こうしたレトリックで手の上で転がされて、一定の割合が「入信」してしまうものなのでしょうか。(将来、社会の中枢を担うことになる幹部候補生の皆様、クラシック音楽に皆様の清き一票を、なにとぞよろしくお願いします!!)

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さて、しかしここで終わってしまうと、この話がプロパガンダであることを見破られてしまうかもしれませんから、最後に、念を押し、きっちりだめ押ししておきましょう。

3つ目の章で、「五感」を通じた官能的音楽体験(上記(1))と、五線譜を「読む」精神的営為(上記(2))は、それぞれ、官能の虜になる「身体」と、思惟する「頭」の対比へと変換されます。ニンゲンは、五線譜を解読する優秀な「頭」と、官能に溺れる「身体」(それはいわゆる「下半身」という俗語に限りなく接近している)をあわせもっており、音楽は、ニンゲンをそのような「頭」と「身体」に引き裂く。そしてニンゲンをそのような引き裂かれ状態に陥れるところにこそ、音楽体験の、めくるめく神髄がある、ということになっています。

音楽体験はニンゲンを魅了するけれども、それは、単純に「五感」が刺激されるからではない。西洋音楽は、そのような官能に抗う「頭」にも訴えかけており、そのことによって、めくるめきは、弱まるどころか、いっそう危機的・究極的になっているのだ、と言うわけです。

「オデュッセウスは[海へ船乗りを誘い込むセイレーンの]歌声を聴く。だが、彼は力なくマストに縛りつけられたままだ。誘惑が強まれば強まるほど、彼はいっそう固く縛られる。ちょうど後の市民達が自ら、彼ら自身の力の増大とともに幸福が身近なものになればなるほど、それをいっそう頑なに拒んだように。[……]縛られている者はいわばコンサート会場にいる。後の聴衆のように身じろぎもせず、じっと耳を澄まして。そして解放を求める彼の高ぶった叫びも、拍手喝さいの響きと同時に、たちまちに虚ろに消え去っていく。こうして先史世界との離別に際して、芸術の享受と肉体労働とは別々の道を歩むのである。」

こんな風にアドルノ『啓蒙の弁証法』の一節におけるセイレーン神話解釈を引用したのちに、岡田論文は、このように締めくくられます。

アドルノはこの神話の中に、音楽という非合理的な「魔術」が、身体から切り離され、純粋に耳だけでもって「鑑賞」される対象となることで、次第に無害化されていくプロセスを見たのである。(岡田暁生「音楽は「聴く」ものか」、菊地暁編『身体論のすすめ』、57頁)

実は、著者は、ここで音楽そのものが無害化するかのように書いています。でも、アドルノの引用文、およびここまでの論旨からすると、むしろ、無害化/無力化しているのは、「人間」の「精神」の営みのほうでしょう。音楽の「魔術」が弱まり、無害化したのではなく、相変わらず、むしろ強まっているかもしれないけれども、もはや「精神」「頭」は、決してそこへ没入できないところへ隔離されている。そしてそれゆえにこそ、一層「魔術」の魅惑性が増している、ということが言われているのだと思います。

なお、著者はこのあとで、コンピューターによる音楽コンテンツのダウンロードや、ベットにねそべるポピュラー音楽のデジタル・サウンド聴取による「音楽の脱身体化」に言及しますが、アドルノの上記引用文は、芸術の享受と肉体労働が「別々の道を歩む」ことまでは言っていても、別離が「無害化」をもたらした、とまでは書いていない。隔離されているのですから、害があるかどうか、わかるすべはない。

また著者は、西洋音楽における身体の「排除」という言い方を再三していますが、「頭」と「身体」が「別々の道を歩む」というアドルノの見立てを敷衍しているのだとしたら、「頭」が「身体」を一方的に「排除」したという言い方よりも、「頭」が「身体」から「隔離」され、「身体」が「頭」から「隔離」され、そのように分かれた状態のままで一方が他方に呼びかけ続けている、と言うべきでしょう。著者は、明らかに、そのように、「頭」と「身体」が呼びかけ合う西洋音楽という空間に魅了されつづけているらしいのですから……。

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以上が、岡田流「音楽の身体」論の核心部分であるようです。

読者/受講者の自尊心や弱みに巧妙に分け入るレトリック。「二者の関係」(五感と思惟、もしくは、頭と身体の併走というアドルノの論考)が、いつの間にか、おそらく本人もそのことには無自覚なままに、一方(頭)による他方(身体)の排除、という「一者独裁」へとすりかわってしまう「思考の型」など、岡田イズムがコンパクトに一覧できる論考でもあると思います。

さて、しかし、少なくとも私は、この議論には同意できません。

(といっても、「頭の音楽」は西洋以外にも存在するという文化相対主義や、身体には身体の知とでも呼ぶべきものがある、という最近の身体論で流行の話はしません。後者は、この『身体のすすめ』の他の論考で充分に語られていますし、前者の相対主義は、「確かにそうかもしれないけれど、議論をわかりやすするために西洋の話に限定しました」と逃げられたら終わってしまう。「西洋のみ」という言い方と「西洋とどことどこ……」という言い方との違いは、いわば誤差の範囲。相対主義は、そんな「相対的」見積もり・論功行賞へと話を矮小化して、「分け前をオレにもよこせ」という話になってしまうところがひとつの限界なのは否めないと思います。)

第一に、岡田さんの言う「頭の音楽」は、理念と実際を切り分けずに都合良く混ぜて議論しているように思います。

私の認識不足でなければ、18世紀まで、ヨーロッパでもスコアを作曲家以外の演奏家や聴衆が「読む」機会はほとんどなかったはずです。室内楽は未だにスコアを使わずに演奏されますし、指揮者がいるような管弦楽合奏でも、スコアが出版されるようになったのは19世紀からのはずです。

中世から音楽理論が厳然として存在しましたし、ルネサンスかバロックには作曲家への敬意が芽生えていたので、自分たちが歌い、演奏し、耳にしている音楽が神の秩序にかなっていたり、作曲家という責任者によってしかるべく塩梅され秩序づけられているという信頼はあったでしょうけれども、演奏家や聴衆が、そのような「秩序/全体」を読み/俯瞰したわけではない。そのような「読み/俯瞰」の欲望は19世紀以後に特有だと思います。

理念としての「神」や「芸術家」の打ち立てた秩序があって、他方に、現実的・身体的な音の現実があって、両者の折り合いをつけながら音楽が行われていた時代が長くあったわけで、その段階では、西洋の性格は、他の文化と際立って違ってはいなかったはずです。

他方で、19世紀くらいから強烈に「読む/俯瞰する」全体が欲されるようになって、それを後押しするテクノロジーや思想がヨーロッパに結集していったわけですが……、

今現在、限りなくノイズを除去した音の制御や、他方の、(ちょうど岡田さんの論考が若き読者を掌の上で転がすような)音による官能性の制御が「芸術」や「産業」として完成したかにみえる20世紀の後半くらいになると、今度はもう、そのような全体の「読み/俯瞰」や官能・欲望(そして両者の対立)は、音楽の主戦場ではなくなりつつあるように見える。

岡田さんは、それを音楽の「無害化」と呼ぶわけですが、実態は、音楽と呼ばれる営みの主戦場が別の場所や文脈へと移行しつつあるということなのではないかと、私には思えます。少なくとも、そうである可能性をもうちょっとあれこれ探ってみたほうが建設的だと思っています。

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以上のように問題を切り分けていくと、結局のところ、岡田流の「頭」vs「身体」が音楽の火急の問題であったのは、19世紀から20世紀の半ばあたりまでの極めて限られた時期に過ぎないことになります。

「頭の音楽」を激烈な勢いで探求したロマンチストや前衛活動家たちや、「身体の官能」へと身を投じて、いわば「悪徳の世界」へと沈んでいったクレズマーやジプシーや黒人ジャズメンあたりが、岡田理論の格好の実例ということになるでしょうか。

(実際に岡田さんは、シェーンベルクが最も尊敬する作曲家であり、最近はモダン・ジャズに夢中だそうですし。)

でも、そうするとここで気になるのは、「頭」と「身体」は分かれてそれっきりなのか、ということです。

西洋が、「頭」と「身体」を分けるという仮説的な視点から様々な帰結を取り出し、活用・発展させてきたことは認めますが(アドルノが示唆する頭脳労働と肉体労働の分離という身分制であったり、数学・哲学の形而上的・論理的システム構築であったり)、それは、本当に、一度はじめると後戻りできない「行ったきり」の道なのか。そして、そのような仮説的な分離は、はたして実現・完遂しているのか?

[以下、話があまりに大きくなるので、話の片側、「頭の音楽」だけを扱います。「身体の音楽」とされるものについては、今後の宿題ということで。あまり私も詳しくないですし。]

「頭」vs「身体」という図式が最もアクチュアルかつ苛烈であったかのようにみえる19〜20世紀モダニズムの時代でさえ、かなりダサい言い方になりますが、実際には、仮説の間隙を縫うようにして、そこから抜け出したり、生還したりすることによって、「生」が営まれているのではないか、と思うのです。

たとえば、ヘーゲルのような近代初期ブルジョワ社会の哲学者や、当時流行の成長小説は、こうした諸概念の分離・隔離を、一種の青春の通過儀礼のようなものとみなして、そこからの生還としての「高い次元の統合/成熟」というステージを準備、想定していました。

さすがにこれは説経臭くて今ではあまり受け入れられそうにないですが、近代後期大衆社会の物語が用意している「成り上がり」や「金に目がくらんだ堕落」、「オトナになります、もう卒業です」等々といった、ぐずぐず状態で敗北の雰囲気をただよわせたりもする末路は、物語としてダメダメであっても、個人の人生としては、結構ハッピーであったりする、なかなか賢い選択だったのではないか、とも思われます。

「60年代はとんがっていた武満徹が、70年代からセゾンと結託して高級ブランド商品になり、ワンパターンのタケミツ・トーンは金太郎飴に成り下がった」とか、「50年代は抜群に冴えていた黛敏郎も、後半生はまったく作曲しないただの右翼だよね」とか、おそらく20世紀版「頭の音楽」である戦後の前衛運動のスターたちも、伝記を書こうとすると、後半がグズグズになる懸念を抱えているのですが、でも、彼らの後半生が不幸だったかというと、あまりそんな風には思えない。

コンテンポラリー・ミュージックは、クラシック音楽と違って、作曲家が生きて、目の前にいる音楽です。「すべての因襲から逃れるために」という武満徹の対談集がありますが、因襲から逃れ、無重力の無菌室に音楽だけが浮かんでいるかのような前衛・実験音楽が、作曲家の現前というクラシック音楽よりも生々しい環境で作られていたということは、もっとちゃんと考えられていいのではないかと思います。

実験・前衛音楽という美学的に言えば究極的な「頭の音楽」は、それを成立させるための極めて人間的な、いわば「俗っぽい」生態系が周囲を取り巻いていたはずです。単純にヒロイックではない20世紀の音楽家たちの振る舞いは、そうした、「俗っぽい」生態系のなかに位置づけられるべきだと思うし(例えば片山杜秀さんの現代音楽評論はそうした「俗っぽさ」を肯定する傾向を持っていると言えるかも)、そんな風に前衛・実験音楽を捉え直すと、「頭」vs「身体」図式は、分かれたきりではないものに更新されねばならなくなる気がするのです。

あと、一般理論としては、20世紀になると、自我の迷宮を外界の変化が破る、というストーリーが人気みたいですよね。「栄華と退廃を極めた西洋芸術音楽は、第一次世界大戦によって終止符を打たれた」とか、「60年代の祝祭は、冷戦体制・管理経済に庇護された安定下でのイベントにすぎず、70年代の政治・経済の新状況がポストモダンをもたらした」というような言い方。

世の中の潮目が変わったから、自分自身が変わろうとしなくても、なんとなく収支の辻褄が合ってしまった、という物語。物流よりも情報の流通・現金よりもヴァーチャルな金融を主領域とする後期資本主義社会には、経済だけでなく、人間精神においても、膨大な負債・膠着を帳簿の上でどうにかする「金融施策」が色々と用意されているかのようです。

いずれにしても、

「頭」と「身体」の分離・相剋という命題がその代表であるような、青年風の煩悶(少し前の言い方をすると「中二病」?)は、いつの時代にもあって、それぞれの時代は、それぞれのやり方で、その解錠方法を見つけている。その程度のものだと考えたほうがいいような気がします。

アドルノだって、亡命中の合州国で上記『啓蒙の弁証法』を書き、戦後は、「もう詩は不可能だ」と受け止められ得る発言をしたりしたわけですが、そのあとかなり先まで生きていて、60年代末の学生反抗の時代には、ウーマンリブの女学生にオッパイ丸出しで教室で詰問・糾弾される一幕があったとも聞いています。(本当かどうか知りませんが、昔、浅田彰がそんなエピソードを対談で語っていたのを読みました。そこに「詩」はないかもしれませんが、噂話として語り継いでしまう程度のドラマチックな光景ではある。真偽不詳で尾ひれのついた噂話だとしても、アドルノの後半生を、書斎に引きこもってピアノを弾いていただけであるかのようにイメージするよりも、色々なことを考えさせるきっかけになりそうです。)

そうした「青春脱出の末路」が、立派な命題や物語として出力可能なものかどうかは知りませんか、誰でも少なくとも生物学的には年老いていって、そのうち、次の段階へ移行するものであるようなのです。

以上、わたくし自身も充分に年を経ておりませんので、あまり上手く言えていない気はしますが、強引にまとめると、「身体」論は、他者の存在(体温や息づかい)を感じながらのコミュニケーションや相互依存関係、あるいは、ボケ・老化・老眼といった頭と肉体の経年劣化と、それにともなう一種の「弱さ」の認識といった因子を装填しなければ空疎である、ビンビン/ピンピン/スベスベ/溌剌である若々しい青年(映画「民族の祭典」が表象するような)の話で終わってはつまらない、と要約できるかもしれません。

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さてそして、「頭」と「身体」の別離をはじめとして、クラシック音楽の思春期症候群を変奏しつづけている岡田暁生さんが、それから5年、2009年にどうなったか。

周りの、かつて「青春」を謳歌し、煩悶し、迷える魂で音楽に救いを求めた思い出がそれぞれにあるかもしれない年長者のハートをわしづかみするレトリックが万全で、「わかるわかる」「その調子で頑張りなさい」と次から次へと世俗的な栄誉が降り注いでいるようですが、ご本人はずっと同じところにいるように見えます。

やや年長の水村美苗さん(文学趣味の風土における)とか、同じ年に生まれた中丸美繪さん(演劇青年の風土における)といった人達とよく似た構造のなかに棲息しているような感じがします。

このまま永遠に、思春期症候群のヴァリエーションで行くのかもしれない、行けてしまうのかもしれませんね。

ツェムリンスキーが、世紀転換期をはるかに踏み越えて、20世紀になっても「様式としての青年Jugendstil」で生涯をまっとうしたように、21世紀初頭のニッポンにおいて、「様式としての思春期症候群」が、音楽を「語る型」として樹立されるのかもしれません。嫌な感じではありますけれども。

岡田さんと同じ1960年生まれというと、芸能界には松田聖子がいるわけですが、世の中には「オチンチンのついた松田聖子」とでも呼ぶべき存在が、各分野に確実に一定数棲息しているような気がします。(オチンチンがくっついているので、1980年代に「二十歳でデビュー」はできなかったけれど、アラウンド・フィフティの年齢になると、以来30年の鬱積がかえって有利に作用しているらしい。なぜだけ知らないけれど……。)そういう人達は、各分野のエリートである以上数はそれほど多くないわけですが、なんだか最近、目立つような気がします。

(私は、昔から一貫して、中森明菜派です。)