楽劇と弦楽四重奏とオルガン

ところで、楽劇研究で名を成して最近は楽劇系シンフォニーにご執心の広瀬大介先生は、カルテットはどうなのだろう? 国際コンクールに一次予選からつきあって面白がることができる耳があるのだろうか? カルテットが開拓した四声体は、ブルックナーのようなオルガニストが習得している和声・対位法とは、同じように音楽の理論と実践の絡み合いが生み出したアートではあっても、随分違うことが色々あると思うのだが。そして「大フーガ」と「ブル5」というのは、そのあたりを考える恰好の素材かもしれない気がするのだが。

(シェーンベルクがウィーンでスキャンダラスだったのは、カルテットに代表される室内楽の領域にテロリストが土足で踏み込んだように感じられたから、なわけですよね。バルトークは室内楽コンクールの基本でベルクやヤナーチェクはOKだがシェーンベルクは出番がない、とか、このあたりの機微は面白い。)

[追記]

弦楽器や管楽器にとって、ユニゾンやオクターヴは神経を使う音の配置で、決してシンプルでもなければ、基本ポジションでもないと思うのだけれど(そして、だからこそ弦楽四重奏で4つの楽器がユニゾンやオクターヴを響かせるときには特別な意味や効果があるのだろうと思わせられるわけだが)、オルガンをはじめとする鍵盤楽器は、機械の基本性能として、ユニゾンやオクターヴが容易に良好に響くように調整されている。ブルックナーの様々な音色で鳴り響くユニゾンとオクターヴは、実はいわゆる「ブルックナー休止」以上にオルガン的・鍵盤楽器的なのではないか、という気がします。

(そういえば、アドルフ・サックスがサクソルンやサクソフォーンを開発したときには、同族楽器を高音用から低音用までワンセットで使用することを想定していた。アドルフ・サックスの楽器は、単体として音響学的に良好に響くだけでなく、音響特性を統一的に設計することで、従来の楽器では難しかった均質なサウンド・ハーモニーを実現できることが最大の「売り」だとされていた。逆に言えば、従来のオーケストラの楽器で、ブルックナーが夢想したであろうオルガン風の均質なサウンド・ハーモニーを実現するのは難しかったということだと思う。ベートーヴェンの「運命」の冒頭のユニゾンは、シンフォニーの書法として例外中の例外だったのではないか、ということになる。そして軍楽隊=吹奏楽やジャズはアドルフ・サックスの楽器を受け入れたが、オーケストラにおけるサクソルンやサクソフォーンは、制作者の意図とは違って、特殊な楽器/音色としてピンポイントで使われるに留まった。)

ブルックナーが作曲する際に音楽の原点や無限遠点の消失点(=神)の響き、もしくは、神の領域への扉を開く鍵(鍵盤楽器 Klavier の語源は鍵 clavis だ)だと捉えた形跡のある(そして聴衆がそのようなものとして心を動かされるのかもしれない)ユニゾンやオクターヴの響きが、演奏者にとっては、忌まわしい悪魔の所行に見えてしまうかもしれない、ということだ。彼の作品が当時の職人的なオーケストラに歓迎されなかったのは、そのあたりにも原因があるんじゃないだろうか。