ベートーヴェンといえば「合唱幻想曲」

感動して反射的に反応したくなったので。

思いつき&僕の好みの問題ではあるけれど、「ゲット・アップ・ウィズ・イット」は、ベートーヴェンでいえば「合唱幻想曲」あたりかもしれません。

http://yamaonosuke.blogzine.jp/honke/2007/04/post_1.html

私はマニアックなひねくれ者ですから(笑)、合唱幻想曲が大好きです。きちんと調べていませんが、あの変な編成は、たぶん、「今度のコンサートで、一曲全員出演できる曲を入れたい。……合唱も出るし、オーケストラもいるし、自分がピアノ弾けばいいから、この編成」とすごくプラグマティックに決めたんじゃないかという気がして仕方がないんですよね。この時代のごちゃまぜでお祭り的なコンサートの雰囲気を感じさせる素敵な曲と思っています。

初演のとき、最初のピアノ独奏は即興で間に合わせたという話ですし、どっちへ進んでいくのか、聴いていてもよくわからない「緩い」音楽なのもいいですよね。

と同時に、ファンタジア(もともと即興演奏のことですね)をオーケストラでやったら面白いんじゃないか、という、20世紀の集団即興に通じる破天荒な欲望に突き動かされている感じもします。

それから、

昔、合唱幻想曲を初めて聴いてびっくりして、「第九」の楽しみ方がようやくわかったような気がしたのを覚えてます。

シラーの「歓喜に寄せて」の中で、ベートーヴェンが「第九」に使わなかった後ろのほうには、

憎悪と復讐を忘れ去り
仇敵をも許すことにしよう
[……]
罪科の記録は廃棄しよう
全世界が和解するのだ。

というハイテンションに浮かれた言葉があるようです(昔何かの本から抜き書きしただけで、原典で確認できてはいないのですが)。革命が起きて世の中が無政府状態になって、みんなストリートへ飛び出して、誰彼かまわず肩組み合って「ラ・マルセイエーズ」を大声で歌ってる……みたいな光景が浮かぶ言葉。

(フランス革命で「博愛(フラテルニテ)」がスローガンのひとつになったのも、思想信条を同じくする「同志」だけで集まるんじゃなくて、敵味方を越えたかなりデタラメでアナーキーなウェルカム精神の含みがあった気がします。平民のアンドレも、貴族の「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」様も一緒に闘う革命。ベートーヴェンの「第九」は、シンフォニーとヘンデル風オラトリオとオーストリア帝国の「仇敵」トルコの軍楽がごっちゃになった音楽……。そういえば、「フラテルニテ」は、アルヴォ・ペルトが音楽上の友人ができるたびにプレゼントした結果、無数のヴァージョンが増殖している「フラトレス」とも語源がつながっている言葉ですが……。)

フランス革命の頃とか、ロシア革命直後のアヴァンギャルドとか、歴史の中で何回か、こういう瞬間があるみたいですね。

ちょっとおバカな感じの「ウェリントンの勝利」(こっちは反ナポレオンの戦勝音楽ですが)とか。ピアノ協奏曲の真ん中に軍隊行進曲が割って入るウェーバーのコンツェルトシュトゥックとか(ストラヴィンスキーのカプリッチョはウェーバーとツェルニーへのオマージュらしいですね)。同じくらいおバカに暴れ回るショスタコーヴィチのピアノとトランペットの協奏曲とか。こういうタイプの「おバカ」は、そんな時代じゃないと書けない貴重なものという気がします。

ベルリン・フィル時代のアバドが、エグモント全曲@ジルヴェスター・コンサートとか、合唱幻想曲(withキーシン)とか、ベートーヴェンの「変な曲」(とされるもの)を大まじめにやっていたのも、若かりし頃イタリアでノーノやポリーニと左翼運動をやっていた人らしい筋の通し方と当時思いました。

ああいう「下準備」があったからこそ、ベルリンは21世紀にラトルみたいな人を迎え入れることができたんでしょうね。

「ゲット・アップ・ウィズ・イット」買います(←ジャズとかロックとか、恥ずかしいくらい疎いのです……)。