映画は政治と同期するか?オーケストラ運動はどうなのか?(もう一度だけ與那覇潤『帝国の残影 - 兵士・小津安二郎の昭和史』)

[タイトルを少し変えました。最後に何故か大フィルの話をしています。]

しつこくもう一度だけこの本について。

帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史

帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史

與那覇潤『帝国の残影 - 兵士・小津安二郎の昭和史』の第3章「暴力の痕跡 - 戦争の長い影」と第4章「叛乱の季節 - 中国化と日本回帰」は、敗戦から1960年までの同じ時代を別の視点から論じており、小津安二郎の同じ作品群が別アングルで語り直される形になっています。

第3章は小津の映画に戦後の戦争体験(の表象)を読む作業であり、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』などを援用しながら、1955年前後での戦争体験の変容を確認したうえで、まさにこの決定的な時期に小津安二郎が沈黙していること、1953年の「東京物語」から1956年の「早春」の間がブランクになっていることを指摘します。

〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

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小津安二郎名作映画集10+10 1 東京物語+落第はしたけれど (小学館DVDブック)

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大東亜新秩序の女神になり損ねて、戦後民主主義の闘士にもなり損ねて、小津作品の「紀子さん」になった原節子は、満映に李香蘭で出て、黒澤映画に出て、自民党国会議員にもなった山口淑子と好対照ですが、お二人ともご存命。
小津安二郎名作映画集10+10 10 早春 大学は出たけれど (小学館DVD BOOK)

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宝塚スターで「夫婦善哉」や社長シリーズの淡島千景さん。最後まで現役の舞台女優さんだったと聞いています。ご冥福をお祈りします。

一方、第4章は、10ヵ月後に出る『中国化する日本』の予告編みたいなところがあって、ここでは「55年体制」が、1940年代にあり得たかも知れない「中国化」の可能性から決定的に背を向けた「日本回帰」(『中国化する日本』の言い方を先取りして使えば「再江戸時代化」)の起点とみなされています。

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

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しかもさらに、第4章は、目次の章立てだとわかりにくいですが、最初の2節が、「中国化」と「日本回帰」という概念を立てる序論の役目を果たしています。

第1節で、木下恵介「日本の悲劇」(1953)と「女の園」(1954)がのちの松竹ヌーヴェルヴァーグの若手助監督を心酔させ、小津は、前のエントリーで紹介した「泥中の蓮」発言などに見られるように同時代性を欠く旧世代とみられるようになっていったこと、第2節で、しかしながら、当時の若手から欺瞞的な予定調和と見られていた小津作品に、1940年代の「中国化」を熱烈に肯定した竹内好が「戦争の影」を直観していたことが紹介されます。

こうして、それじゃあ、小津は結局のところ「中国」なのか「日本」なのか、という問題を設定したうえで、第4章第3節から、小津作品における「中国」と「日本」が順に読み解かれていくことになります。小津と丸山眞男がアンチ「中国化」で近いところにいたように見えることが指摘されるのは、この作業のなかにおいてです(第4節、参考:http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120228/p1)。

つまり、第4章は、第3章と同じ時代・作品群を扱っているだけでなく、最初の2節で全体を「倍速早送り」しつつ要点をピックアップしたうえで、第3節からノーマル・スピードでのクロノロジカルな叙述がはじまる、という形で同じ時代を「2度」リプレイしています。

書物の構成としては実に周到なのですが、うっかりすると、時代の前後関係を見失いそうになってしまうんですね。

そこで、本書のあちこちに点在するトピックを年代順に並べ直してみました。

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與那覇さんは、55年体制確立までの10年間を朝鮮戦争が勃発する1950年で区切って、今にも革命が起きそうに騒然としていた前半(1945-1950)と、アメリカからの再軍備圧力、ソ連からの指令を受けた共産党の暴力革命路線の間で、吉田茂の妥協の道を探る幕引きが最終的に成功を収ることになった後半(1950-1955)に区別します。たぶん日本の政治史としては、穏当な整理だと思います。

映画界では、この「中国化」の40年代に東宝争議が起こり(1948年)、1930年代にベンヤミンらが人民戦線の期待をかけていた前衛的モンタージュ理論が再浮上して、国会図書館副館長になっていた中井正一が鶴見俊輔らを誘って映画文化論を組織する。

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

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中井正一評論集 (岩波文庫)

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でも、戦後映画史の大きなトピックとされるイタリアのネオレアリスモ、ロッセリーニ「無防備都市」やデ・シーカ「自転車泥棒」が日本公開されるのは既に6月から朝鮮戦争が勃発していた1950年の秋らしいです。

無防備都市 [DVD]

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小津安二郎の「保守性」が若手の目に明らかになったとされる木下恵介「日本の悲劇」公開はさらに遅い1953年。

日本の悲劇 [DVD]

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1960年代以後に、「かつて日本にも革命寸前まで盛り上がる熱気があった」と語りつつアヴァンギャルドに邁進した映画監督たちが原体験としているのは、実は1940年代ではなく、既に「右旋回」が起きていた1950年代であるらしいのです。

大島渚著作集〈第1巻〉わが怒り、わが悲しみ

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(網野善彦が「共産党の欺瞞」としてこだわりつづけることになるのも、1950年代の出来事ですね。與那覇さんを初めとする若手日本史学者は、網野史観を随分高く評価しているらしい……。)

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

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そして與那覇さんによると、小津安二郎は、東宝争議の1948年に「風の中の牝?」を作り、日本におけるネオレアリスモ元年の1950年に「宗方姉妹」を公開して、見事に不評を買っている。どうやら彼は、実は「中国化」の渦中でちゃんと戦っており、戦ったうえで負けていることになるようです。(溝口健二が彼の作品としてはちょっと異色な「夜の女たち」(←音楽は大澤壽人!)を作ったのも1948年。)

後世から見ていかにも革命の表象にふさわしく見える作品が、実は政治の後追いをしてワン・ステップ遅れた「後の祭り」として成立しており、実際の世の中が動いている渦中の作品は、後世から見ると冴えない感じがする。

風の中の牝雞 [DVD]

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夜の女たち [DVD]

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宗方姉妹 [DVD]

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赤線地帯 [DVD]

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溝口健二の現代ものに関しても、1948年の騒然とした時代に大澤壽人を起用した「夜の女たち」より、もはや戦後ではない!となった1956年に黛敏郎を起用した「赤線地帯」のほうが、ちゃんと前衛映画音楽の是非が論争になるように、歴史の構図にきれいに収まる。

性急に一般化するのは危険かも知れませんが、少なくとも戦後日本に関しては、政治と同期して圧倒的な作品が生まれたり、文化・藝術が政治に対して「先手を取り」、政治をリードしたなどということは、実は一度もなかったのではなかろうかと思うのですが、どうなんでしょう?

日本戦後音楽史〈上〉戦後から前衛の時代へ 1945‐1973

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日本戦後音楽史〈下〉前衛の終焉から21世紀の響きへ 1973‐2000

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この話がどこへ着地するかというと、関西人の身びいき、いわば「関西中華思想」でございます(申し訳ない)。

朝比奈隆を担いで、在阪の放送局オーケストラやあちこちから一部アマチュアを含め人を集めて関西交響楽団が発足したのは1947年ですから、これはまさに熱い「中国化」のなかで生まれた団体でありまして、関響の経営を大いに助けることになる労音(勤労者音楽協議会、のちの新音)が大阪で発足したのもこの時期1949年です。

大栗裕 : 大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲 他

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大栗裕が残した最後の管弦楽作品「大阪のわらべうたによる狂詩曲」は大阪労音(新音)30周年記念の委嘱作品で、外山雄三・大阪フィルにより1979年に初演されました。冒頭のファンファーレがめちゃくちゃカッコイイ。

そしてそうした雑種性(とりわけNHK大阪との関係)を整理して、体制を一新したのが、朝鮮戦争勃発による「右旋回」の1950年。(前年に日本交響楽団を退団して宝塚歌劇団に籍を置いていた大栗裕が関西交響楽団へ入団するのもこの年です。)

一方、上海から戻った中川牧三が1946年に大阪音楽学校教員らとともに中央公会堂で「カヴァレリア・ルスティカーナ」を上演したことなどが契機となり、関西のオペラ・グループが発足したのは1949年で、このどちらかというとオペラ研究会というニュアンスの強かった活動が、関西交響楽協会傘下の関西歌劇団として正式に発足するのは、「55年体制」の仕上げをすることになる鳩山一郎政権が誕生した1954年です。(関西歌劇団としての最初の公演が武智鉄二演出による「お蝶夫人」であり、55年に「白狐の湯」と「赤い陣羽織」で創作歌劇公演がスタートします。)

そして岸政権を退陣に追い込む安保闘争で騒然としていた1960年に、

日本の夜と霧 [DVD]

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関西交響楽団は現在も続く大阪フィルハーモニー交響楽団へと改組されます。

(大阪フィルは翌年に朝日放送の芸術祭参加作品として大栗裕の「雲水讃」の放送初演を森正の指揮で手がけて、1962年には大栗裕の作品がはじめて定期演奏会で演奏されることになる。この第15回定期演奏会のプログラムは大栗裕特集号のような感じがあって、曲目解説・作曲者コメント・大野敬郎によるインタビュー記事で、仏教への思いを大栗裕が熱く語っています。大阪のオーケストラ運動は、世間が安保という「一揆」をやっているときに、鐘や太鼓の「祭囃子」の時代から、「円」(←読経を取り入れた大栗裕作曲の創作日本舞踊作品のタイトル)の時代へ梶を切ろうとしていたということでしょうか。)

大菩薩峠 [DVD]

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小津安二郎名作映画集10+10 9 東京暮色 その夜の妻 (小学館DVD BOOK)

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與那覇さんは、内田吐夢の「大菩薩峠」と小津の「東京暮色」が同じ1957年公開で、そこに1955年で戦争体験が変質したあとの、旧世代となってしまった戦前派の思いを読み取っています。そして武智鉄二&大栗裕は同じ年に「夫婦善哉」をオペラ化したんですよね。オペラであるにもかかわらずソリストたちが大阪言葉を「話す」だけで、その周囲に大正から昭和初期の街の無名の歌声が配置された大栗裕の「夫婦善哉」は、いわば「大阪暮色」だったのかもしれませんね。

文明の生態史観 (中公文庫)

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與那覇さんが、1957年刊行の『文明の生態史観』(今ではトンデモ本と言われることもしばしばですが、かつては入試問題の定番)をライシャワーらの1960年代の「近代化」論の先駆けに位置づけるのも新鮮。「日本は中国ではない」ということを、人類学の装いで宣言した本だ、という見方ですね。
日本誕生 [DVD]

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そして原節子が1959年にアルカイック・スマイルをたたえる天照大神になったことを、與那覇さんは指摘する。大栗裕が次第に仏教へ傾斜していた頃であり、「日本誕生」の音楽は伊福部昭。

こうして見ると、首都・中央政界の動きと直接連動しているはずのない民間音楽団体なのに、当時の西日本のクラシック音楽の元締めだった関西交響楽協会の運営は、政治の動向にびしっと同期しているんですよね。

関響/大阪フィルは、オーケストラ経営の節目の判断が、たとえば東京のNHK交響楽団の、いかにもNHKの歴史回顧番組のように本題とは関係ないところで「世相」の概説から始まる年史の叙述などとはまったく違う形で「時代」と符合しておりまして、

これって、ちょっとすごいことなのでは?と思うのですが、どうなんでしょう。

このあたりは、「世界のなかの大阪」みたいなことを一応生涯言い続けていた朝比奈隆さんが、與那覇さんの言う「中国化」を推進する立場だったわけではないですが、時代にぴったりフィットする形で機能していたことをよく示しているのではないかと思うのですが……。

ミューズは大阪弁でやって来た

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アーチストというのは時代からワンステップずれたほうがエレガントなのかもしれないし、

M/D 上---マイルス・デューイ・デイヴィス?世研究 (河出文庫)

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M/D 下---マイルス・デューイ・デイヴィス?世研究 (河出文庫)

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蓮實重彦説では、ゴダールは「乗り遅れる人」なのだそうですが……。

ゴダール革命 (リュミエール叢書 37)

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フォーエヴァー・モーツァルト [DVD]

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神童アマデウスの音楽映画ではなく、サラエヴォ、ユーゴ内戦の現場へ老いた映画監督は行かない、という話です。

わたしゃ、そんなかっちょいい生き方なんぞ、できはしません(笑)。