與那覇史観には仏教がない?(與那覇潤『帝国の残影 - 兵士・小津安二郎の昭和史』における「蓮」の解釈)

[2/29 「東京暮色」の音楽についてコメントを追記。]

私個人の趣味についていうと、この「中国化」と「再江戸時代化」の両極の間で揺れ動いた戦後直後の十数年間が、ファンとしては一番燃える(萌える)時代です。(與那覇潤『中国化する日本』、213-214頁)

とおっしゃるだけあって、小津安二郎を戦後史の資料として読み解く『帝国の残影』は繊細で濃密。1902年生まれの越戦前派が戦後をどう生きたか、という視点は、朝比奈隆や大澤壽人のような小津と同世代、そして1910年代生まれの戦前派(吉田秀和、柴田南雄から大栗裕まで)を考えるときにムチャクチャ参考になりそうです。

が、戦後の急速な「中国化」に対する丸山眞男と小津安二郎の距離を並べて論じる論じ方には違和感を覚えて、考え込んでしまいました。

帝国の残影 ―兵士・小津安二郎の昭和史

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小津安二郎が木下恵介「日本の悲劇」を拒絶したり、

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あるいは小津が戦後、かつてのサイレント時代のように下町を描かなくなったことに関して、與那覇さんは1949年に小津が語った「泥中の蓮」発言に着目しています。

泥中の蓮 -- この泥も現実だ。そして蓮もやはり現実なんです。[……]私はこの場合、泥土と蓮の根を描いて蓮を表わす方法もあると思います。しかし逆にいって蓮を描いて泥土と根をしらせる方法もあると思うんです。(『アサヒ芸能新聞』1949年11月8日の記事より=與那覇、160頁)

ここから與那覇さんは、次のように解釈します。

敗戦後の混乱とその惨めな帰結をなんの美化も救いも加えぬまま、無造作にスクリーンへ放り出した木下の営為は、作家としての品位を欠くものと見えたに違いない。(與那覇、161頁)

「泥中の蓮」で蓮のほうを選ぶと小津が言ったことを捉えて、與那覇さんは、彼は「根」ではなく「花」を選んだ、映像に「美しいもの」、「品位」を求めたのだ、と解釈しているわけです。

でも、ここで小津が、たとえば薔薇(西洋を連想させる)でも桜(日本を連想させる)でもなく、「蓮」に言及していることへ意味を求めるのは無理なのでしょうか?

蓮と言えば仏教だと思うのです。

蓮によって泥土と根を表し、泥土と根によって蓮を表す、という逆説のレトリックも仏教的で、いかにもどこかの仏典に出ていそうじゃないですか。「色即是空 是空即色」という語法とも似ていますし、「蓮もやはり現実なんです」という言い方は、悟りの境地への敷居が思い切り低くなった現世肯定的な日本の大乗なのかな、という気がするのですが、こっち方面の解釈は(既に先例がありそうですけれども)、あまり有望ではないのでしょうか? でも、わざわざ「蓮」ですよ……。

泥中の根と水上の華がつながっている「蓮」というのは、妙法蓮華経を述門と本門(=方便と本覚?)の二部構成と解釈するのを連想させたりもしますから、天台からはじまる中国/日本的大乗仏教の本流のようにも思えます。

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一方、與那覇さんは、1940年代の東大教授の政権参加、共産党主導のメーデー、外務官僚の活躍、GHQが非常事態宣言を布告するほどの在日本朝鮮人連盟の行動力など、日本が内的にも外的にも流動化した状況を「中国化」と呼び、丸山眞男がこの動きに距離を保った理由を、特定の思想・宗教にコミットしない「中性国家」の理念、戦時中に跋扈した「なんとなく陽明学」な動機主義および政治の道徳化への反発などに求めています。

與那覇さんは、このような丸山の立場を、60年安保の土壇場で議会主義の擁護へ寝返ったことで鮮明になった「西洋化」志向であるとして、ご自身が提唱する概念である「中国化」(権威と道徳が一体化した中央集権の下での自由競争)と区別します。

これも、すっきりまとまった論述ではあります。

が、『中国化する日本』では、日本の明治維新以後の「近代化」とは「西洋化の殻を被った中国化」であった、とされることになるんですよね。このテーゼとの関係はどういうことになるのでしょう。丸山眞男は、単なる殻ではない生粋の西洋化を志向した例外的な人物だったことになるのでしょうか?

本書の10ヵ月後に出た『中国化する日本』のほうには、丸山眞男がほとんど出てこないので、丸山の「西洋化」志向が、「中国」vs「江戸時代」の対立図式のどこに収まるのか、與那覇さんの考えが、私にはよくわかりませんでした。(『中国化』本にも丸山の発言が引用されていたような記憶があるのですが、索引にも参考文献表にも、彼の名前はないようです。)

強いて言えば、日本が単独で精進して、一切の欲得を解脱して「中性国家」の境地へ至る、というのは反転した宗教のようなところがあって、「西洋化」というより、西洋人から見た「虚無の宗教としての仏教」(その原像がチベット小乗であるような)ではないか、という気もします。[付記:どうやら丸山眞男は、有名な近代政治史研究などに関して、荻生徂徠へ共感していたとの観測があるようです。仏教というより批判的にスクリーニングされた上での儒教の人、ということになるのかもしれませんね。]

そして、「中国化」に対して小津は大乗的、丸山は小乗的に対応した[あるいは仏教的反応と儒教的反応があり得た]、という風に図式化すると、とても「東アジア的」な説明になりそうな気がするのですが、どうなんでしょう?

與那覇さんは、日本では「江戸時代」になかったものは根づかない経験則がある、と指摘しますが、仏教は「江戸時代」にもいちおうあったはず。そして「江戸時代」やそれ以前からあったにもかかわらず、そして中世権門体制論を活用したり、本願寺こそが信長の唯一にして最大の敵であった等とするのですが、やはり全体としてみると、與那覇さんの日本史は、仏教という視点が希薄で、必須の要因へと組み入れられてはいないように思います。

で、沖縄は、仏教の在り方が本土とは違っていると聞きます。與那覇さんの描く日本には、沖縄に存在しないものは出てこない、その典型が仏教だ、ということだったりして……。

(「日本の静寂の美=禅」というのは、これもひとつのステレオタイプだと思うし、「小津安二郎と日本の仏教的死生観」などと言い出すと北米ジャパノロジストみたいになりそうですが(あるいは「武満徹と静謐の美学」を語る1960年代の吉田秀和)、戦前の小津組が鎌倉大仏にスポーツカーで乗り付けている写真は、そういうのと随分違うような気もします。ここも掘ると何か出てくるのではないでしょうか? グローバリズムに「中国化」で打ってでる、というのに比べると、いかにも冴えないですが……。)

小津安二郎物語 (リュミエール叢書)

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小津作品の見方・論じ方に強い影響力をもった評論家の姓は、「蓮」の「實」という文字の並びなんですよね。與那覇さんの本が、「蓮實」問題に周到入念に作戦を練って書かれているのは間違いないと思いますが、ひょっとすると「小津と蓮實」というのはトラップであって、実は、「小津と蓮」のほうが問題としては大事だったりして……。

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[追記]

小津安二郎に帝国の残影を見る與那覇さんのイチオシは「東京暮色」。

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「東京物語」以来の斉藤高順作曲によるテーマ音楽は白々と明るいボレロですが、タイトルロールが終わると、無音で結構長い真っ黒な画面が続いて、そこにボワッと夕暮れの東京のビルが浮かび上がるのは、かなり不気味なはじまりかたですね。

高台の住宅街の笠智衆の家は、赤ちゃんの声やガラガラが響く程度だけれど、高台を降りると、それぞれの場所で色々な音楽が鳴っている。藤原鎌足がやっている支那ソバ屋「珍々軒」の沖縄民謡や、山田五十鈴が北海道へ旅立つ上野駅構内の明治大学応援団の学生歌(←駅構内の「イン」のときと、窓を閉めた列車内に聞こえてくる「アウト」のときでは、音量をちゃんと調節してリアリズムで編集されている)だけでなく、有馬稲子が堕胎する産婦人科(というより産婆さんという感じ)の「笠原病院」では、ソーラン節風の民謡が聞こえていますね。

評論家の西田(原節子の夫)の書き物机にランプが置いてある家は、近所のピアノの音がずっと聞こえています。この人はクラシック好きの丸山眞男みたいな生活をしているということでしょうか?

一方、「バーGarbera」「喫茶エトアール」、そして父親の行きつけのパチンコ屋が全部ラテン音楽なのは、当時、世間でラテンが流行っていたということでもあるのでしょうか。「Garbera」はカリブ海風にマラカスの軽いノリ、パチンコ屋はルンバだけれど、「喫茶エトアール」は、亜熱帯風にボンゴやコンガが暑苦しく鳴っていて、大栗裕が好きそうな濃厚な雰囲気です。若い娘が深夜に一人でいると警察に保護されてしまうような繁華街の悪所は、すなわち「都会のアマゾン」なんですね(笑)。

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戦後混乱期の盛り場=都会のジャングルといえば、やはり、笠置シヅ子のジャングル・ブギでしょうか。

五反田の雀荘「壽荘」は、大陸風にポルタメントの効いた流行歌が流れていることもあれば、ボレロのテーマが流れていることもある。山田五十鈴と有馬稲子が対決するシーンは、ここからはじまって寿司屋へ移動しても、ず〜っとエンドレスにボレロがループしています。ボレロの音量は、上記の駅の学生歌と違って一定で、リアリズムの配慮をぶっちぎっており、かなり異様な音楽の付け方だと思います。

……ということで、たしかにこの作品は、ローアングルの固定撮影で「小津調」を作り出す山の手の中流家庭から、カメラが有馬稲子とともに「下界」へ降りてきて、映像が市井の多様な音にまみれている。これはいわば「音楽曼荼羅」なのかもしれませんね。

で、ずーっと観ていくと、最後、笠智衆が有馬稲子の位牌の前で低い声で読経するところで夜のシーンが終わって、晴れやかなクラス会の朝のラストになります。

やっぱり小津安二郎の映画には「仏教」があるみたいです。(ひとまずは、「日本的」な生活の風景としての葬式仏教かもしれませんが……。)