……いや、だから

ミュンヘンだウィーンだと情報が入り乱れていますが、版自体がどうということより、やりなれたのと違う音楽があることで作品の感じが違ってきて、それが、モーツァルトをよく知っている歌い手、指揮者にとっては新鮮でモチベーションが上がっている、という稽古場速報なんですよね、たぶん。

成り立ちがややこしい作品(ましてオペラ)の版の問題は、「○○版と告知したのに、ここがこうなっていて、違うじゃないか」とか、どうでもいいのにマニアックにうるさい人がいて。深入りすると不毛にめんどくさい話ですし……。

でも、今回の版はこの曲が入ることによって物語のこういうところに焦点が当たる効果があって……、みたいな話は、心配しなくても、きっと、当日配られるパンフレットでビシっと解説してあるのでしょう。行った人は、なるほどここか、とか、でもやっぱりちょっとあれだな、とか、それぞれに情報を手がかりにしてあれこれ思えばいい。

神託がどうで、王様が息子を殺さなくてはいけなくなって、何だか知らないけれども他所の王女様が絡まって、と凡人の日常にはありえない状況ゆえに色々なタイプの情感=歌がそれぞれの人物から絞り出されて、それを全編オーケストラ伴奏でやるから、モーツァルトといっても、聴き慣れたオペラ・ブッファ(←ご存じのとおり丁々発止の台詞のやりとり=レチタティーヴォは鍵盤楽器の伴奏になる)とは印象が随分違って、ただでさえ、始めて聴いても、へえ、と面白がれるポイントがたくさんある作品ですしね。

映画「アマデウス」のモーツァルトは、ケケケケっと笑ってばっかりでチャラいけれど、シリアスになったときには凄みがある、ということで通が好む「オペラ・セリア」(=シリアスなオペラ)なわけですし。

で、キャスト関係では、むしろ、

来年度は準・メルクルを指揮者に迎えての「イドメネオ」本公演(キャストは現時点では未発表)も予定され、設立以来モーツァルトのアンサンブルオペラを活動の主軸のひとつに位置づけている東京二期会の実力派ソリスト陣。

そして長年モーツァルト・シリーズに取り組んできたザ・カレッジ・オペラハウスから、とりわけ毎回安定して評価の高い指揮者&オーケストラ。

東西それぞれのモーツァルトのスペシャリストが終結した、今までありそうでなかった、いずみホールならではの夢の組み合わせ。是非、ご期待ください。当日券あります。

みたいなことじゃないのだろうか。

(私が口出しすることじゃないとは思うけど、こういう切り口で迫られたら、「行けないのが悔しい」みたいな気持ちにはなるかもしれない。

実際に本番を聴いてみたら、歌のテイストとオケのテイストがちょっと違って、モーツァルトといっても色々なスタイルがあるんだな、とわかるかもしれず、あるいは逆に、日頃は別々にやってる人たちなのにきれいに揃って、「指揮者、大勝さんのリーダーシップはすごい」となるかもしれず、「東西が一同に」は、お客さんが聴きどころを前向きに絞り込む手がかりになりそうですし。

やろうとしてるのは「音楽会」なんだし……、まして今回は、演出を入れない純然たる演奏会形式だそうですから(記者会見のときの説明だと、そうなんですよね?)、最後は音楽の話、具体的に音楽への期待が高まる話をしましょうよ。)