公共施設職員に媚びる「人文」の危うさ

「「ブラタモリ」見ても、今まで二流のインテリとされていた学芸員のような人たちが生き生きしているじゃないですか」

という風な放言を見かけたのだが、館長(新書を出しちゃうような)を含めて、図書館・美術館・公共ホール等の職員のなかで司書・学芸員のような専門知識と技術をもった人材はごく一部だよね。(おおざっぱに、これもまた2割くらいじゃなかろうか。)そして、「人文」の大学の先生は、対外的には図書館・美術館・公共ホール等を上の発言のように持ち上げるのだけれど、それじゃあ実際に一緒に仕事をするとなると、大抵はその施設のトップの人(しばしば専門家ではない)と仲良くなっちゃって、むしろ、そうした「二流のインテリとされていた人たち」を抑圧したり邪魔したりして、最悪の場合は、そういう人たちの仕事を奪ってしまう。

(私も、大栗文庫の業務を請け負っていたときには、日本音楽学会の「日本の音楽資料」なるプロジェクトで上から降ってきた人たちに振り回されて酷い目に遭った(笑)。)

地方の音楽ホールを「中央」の有名人が視察するときにも、似たようなことがしばしば起きますよね。

これもまた、大学人の「要領がいい」けれども「勘が悪い」の一例だと思う。

(京都は、古来こういう大学人を上手に転がす土地柄である、という気もするが。)