世界はおおむね順接している

私の乏しい経験の範囲では、責任ある立場を引き受けている人は常識があってちゃんとしており、いまいちな人がトップに座っている組織や団体はやっていることもいまいちだったりするように思うのだが、逆説を弄んでトリッキーな人生を歩むアカデミシャンの周囲には、同様に癖があって、他人を鵜の目鷹の目で値踏みする下品な財界人や下品な官僚が集まるのだろうか。経済学の教説を信じるとしたら、風通しの良いグローバルな市場では、おおむね、世界は順接するはずだと思うのだが。そして、悪の枢軸の世間から巧妙に隠蔽された陰謀にオレだけが気付いている、というのは、活劇物語の筋立てとしては面白いけれど、実際の社会では、一切の気配を消した悪であるとか、それを千載一遇の好機によって知りうる私であるとか、というのは、ほぼ皆無だろう。実在する悪は、普通に見ていれば、隠そうとしても何かおかしいものだよ。

哲学が近代になって新たに感性論を立てたのは、そういう風な、やっぱりおかしいものはおかしいよね、というのがどのような理路でそうなるのか、人間の判断力をめぐる議論を含むがゆえに、だったのではなかったかしら。

(前期に続いて、今年は後期も音楽美学の概説講義を担当する年に当たっている。)