書物は、なるほど「産みの苦しみ」を伴うだろうが、所持・保管するのも大変です

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6月18日朝の居間の写真。左に見える大栗裕と関西の洋楽関連の資料ファイルの棚は無事でしたが、「近代日本をカルスタ・ポスコロ!」系統の本をまとめて収納している本棚が倒れた。家具調にガラスの引き戸(もちろん粉々に割れた)が付いていたので、復旧に手間取る。

大阪北部地震(という呼称でいいのでしょうか)は、大半が阪神淡路大震災以後に書かれたもので、東日本大震災を契機に刊行されたものを含む著作の山のなかから、尾原宏之『大正大震災』を発掘してガラスの破片を払う貴重な体験をさせていただける機会となりました。

大正大震災 ─ 忘却された断層

大正大震災 ─ 忘却された断層

音楽史関係の書庫にしている奥の部屋の復旧はこれから。

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写真に見えるスキャナーを含めて、パソコン等の機材が無事だったのは幸いでした。

震源が近い今回の地震のほうが、震源が遠い1995年より被害は軽い。

それにしても、「耐震設計」を謳う最近の建物では収納スペースが作り付けで、住居に本棚やCD/DVDの棚(仕事部屋のオペラDVDと大判楽譜の棚も倒れた……)を置く者を時代遅れの危険人物としてあぶりだすかのようになっているのは嫌な感じですね。

(茨木市は、80年代に川端康成記念館を作り、90年代に中央図書館を新設して、「文学の街」を演出しようとしたこともあったんですけどねえ。)

書物の著者が「産みの苦しみ」を共有する者同士の(どこかしらカトリック的な)共同体を欲する奇妙な時代は、同時に、書物を所有する者たちが生命の危険にさらされる時代にもなりつつある。

いずれにせよ、人は、著者と対話することを目的として、そのための手段として書物を読むわけではないのだから、著者が偏屈であったとしても、「ああそうですか、どうぞご勝手に」ということだと思いますが。

[追記]

本棚が無事だったので、床に散乱した本を所定の場所に戻すだけでよく、書庫の整理は半日で終わった。

その間、改めて手持ちの本を1冊ずつ手に取ることになったわけだが、ポピュラー音楽関係の本は、ここ10年くらいで一気に増えましたね。

ポピュラー音楽関係の本は、(現状ではまだ)体裁・装丁としても内容の密度としても学術書と一般書の中間と言うしかないものが多い。書棚の上のほうにまとめて置いていたせいで、これらの本は一番最後に落ちたようで、床の上の本の山の表面をポップスが覆っていた。しかも高いところから落ちたので広範囲に散らばっており、大切に保管したい本の上に、一応持って置いたほうがいいのだろうけれどもなんだかなあ、という本がばらまかれる結果になった。

もう一度高い棚に上げるのは大変なので、これからは、ポピュラー音楽関係の本は床の端っこに積み上げることにする。ゼロ年代を査定した結果の降格人事である。申し訳ないけれど、大切な本から塵や埃、落ち葉を払って、床を掃くような感覚でございました。

学問として成熟したら、ポピュラー音楽研究もこれからは事情が変わっていくのでしょうか。