大栗裕の没後30年記念演奏会は2012年の命日(4月18日)に近い4月20日にザ・シンフォニーホールで大阪フィルと大栗裕記念会の共催で行われましたが、今年は生誕100年で、誕生日(朝比奈隆と同じ7月9日)に近い7月11日に大阪フィルが神戸の演奏会で「管弦楽のための協奏曲」を演奏してくれます。朝比奈隆が欧州で数度演奏しただけの作品なので今回が日本初演です。
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没後30年演奏会は東北の地震の1年後、大植英次が3月までラスト・イヤー興行をやって大阪フィル音楽監督を退任した直後のタイミングでした。
今回は、既に首席指揮者を退任している井上道義が最後の力を振り絞るように大阪フィル創立70年記念興行としてバーンスタイン「ミサ」をやった翌年で、しかも、北摂で地震があった直後というタイミングになりました。
没後30年演奏会の指揮は手塚幸紀さんで、今回は秋山和慶さん。大阪フィル2代目音楽監督の大植英次は、ラスト・イヤー2011年の大阪クラシックで「大阪俗謡による幻想曲」を取り上げてくれましたし、そのあとを受けた首席指揮者の井上道義は、2015年の大阪音楽大学100周年記念吹奏楽演奏会で「俗謡」吹奏楽版を指揮しましたが、3代目音楽監督の尾高忠明も、いつか大栗裕にアプローチしてくれるでしょうか?
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何度か書いていますが、大栗裕が亡くなった1982年頃から朝比奈隆はオペラと縁を切って、「シンフォニー一筋」になります。そしてこれは、大阪フィルが劇場のピットに入らなくなり、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーのオーケストラになったのがこの頃からだ、ということでもあります。放送局の管弦楽団のメンバーを引き抜いたり、京都の映画撮影所の仕事をしたり、オペラをやったりしていた関西交響楽団時代の痕跡が消える転機ですね。
大栗裕は、大阪フィルにとって、そして朝比奈隆にとって、「関響時代とは何だったのか?」ということを考えるための参照点のような存在なのかもしれません。
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もちろん、こういう風にアニヴァーサリーの「格好が付く」のは天然自然現象ではなく、そのように物事を進めようと意志を持って動く関係者がいるからです。ありがたいことです。
例えば、生誕100年にちなむ演奏会は他にもいくつかあって、そのパンフレット等をみながら、最近のコンサートのプログラムは写真を多用して見た目が華やかになったなあと思います。没後30年の前後にご遺族が「大栗文庫」に寄贈してくださって、それで、大栗裕の色々な写真をこうしたパンフレットで使うことができるようになりました。
音楽会(音楽界)の周辺でこうしたインフラをコツコツ整備することは大事ですね。