FM OH! おしゃべり音楽マガジン くらこれ「大栗裕特集」

7月1日深夜25:15〜26:15(7月2日1:15〜2:15)

既に放送は終わっていますが、radiko.jp で1週間聴けるようです。

●使用音源リスト

  • 山田耕筰(大栗裕編曲)「この道」、弘田龍太郎(大栗裕編曲)「浜千鳥」 朝比奈隆(指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団、1979年9月13日、武庫川学園 『Beautiful Melodies of Japan』VDC-5533、ビクター音楽産業株式会社、1980年
  • 大栗裕「ヴァイオリン協奏曲」「大阪のわらべうたによる狂詩曲」 下野竜也(指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団、2000年8月、大阪フィルハーモニー会館 『日本作曲家選輯 大栗裕・ヴァイオリン協奏曲、大阪俗謡による幻想曲他』8.555321J、NAXOS、2002年
  • 大栗裕「大阪俗謡による幻想曲について」 FM大阪『大阪フィルハーモニー交響楽団創立30周年記念番組』1977年9月15日放送
  • 大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」 朝比奈隆(指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団、1975年10月3日、チューリッヒ:トーンハレ 『大阪フィルハーモニー交響楽団創立50周年記念CD』LMCD-1324、コジマ・レコーディング、2007年
  • 「天神祭道中囃子」録音:1941年 『復刻 日本民謡大観 大阪編』現地録音CD、日本放送協会、 1993年
  • 大栗裕「閉会式・開会式用ファンファーレ」 朝比奈隆(指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団、1978年 『ビッグ・ヒット・マーチ クラシックでおどろう』TOCF-57072、東芝EMI株式会社、2005年(『小学校大運動会〜校旗の下に〜』TS-51012、東芝EMI株式会社、1978年)

●訂正

放送中に、「大阪俗謡による幻想曲」の最後でフルート奏者3人がすべてピッコロに持ち替えるかのようにしゃべっていますが、正確には、第1フルート以外の2人がピッコロに持ち替える「ピッコロ2本+フルート」がスコアの指定です。

●補足1:「管弦楽のための協奏曲」日本初演(予定)

大栗裕「管弦楽のための協奏曲」の日本初演が予定されている演奏会は、

三井住友銀行・みなと銀行 PRESENTS 大阪フィルハーモニー交響楽団神戸特別演奏会
2018年7月11日(水)午後7時開演 神戸国際会館
出演:秋山和慶(指揮)牛田智大(独奏)大阪フィルハーモニー交響楽団
曲目:

  • ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第3番
  • 大栗裕/管弦楽のための協奏曲(日本初演)
  • チャイコフスキー/バレエ組曲「くるみ割り人形」

[追記] 大阪フィルのサイトに、大栗裕「管弦楽のための協奏曲」の概要解説が掲載されました。

www.osaka-phil.com

「大阪俗謡による幻想曲」が武智鉄二、朝比奈隆の後押しで大栗裕が作曲家としてデビューした時期、初期の代表作だとしたら、「管弦楽のための協奏曲」は「大阪のバルトーク」と周囲から持ち上げられて、自身もバルトークを意識して新しいことに挑戦した1960年代、大栗裕中期の集大成ということになるかと思います。そしてこのあとに述べる一連のファンファーレは、「万博以後」の1970年代、大栗裕の後期の仕事です。

ただし、1970年代に「バルトーク様式」の帰結を見ようとするときには、70年代の管弦楽作品だけでなく、吹奏楽のための「神話」「バーレスク」「巫女の詠えるうた」「仮面幻想」、そしてマンドリン・オーケストラのためのシンフォニエッタ・シリーズや「傀儡師」「巫術師」等を参照すべきでしょうし、「大阪のわらべうたによる狂詩曲」は、ファンファーレで始まり、初期以来の民謡編曲が主体となり、なおかつ、調性から自由な「バルトーク様式」も入っているので、1970年代の最重要作品ということになりそうです。

今から思えば、ナクソスの下野竜也・大阪フィルのCDは、初期の「大阪俗謡による幻想曲」、中期のヴァイオリン協奏曲、後期の「神話」と「大阪のわらべうたによる狂詩曲」というラインナップで、大栗裕の仕事の歩みをよく押さえていますね。片山杜秀の目利きの仕事だと改めて感嘆します。

●補足2: 大栗裕のファンファーレ

大栗裕が1970年代に作曲したァンファーレ(楽曲冒頭がファンファーレになっているものを含む)は、現在私が把握しているかぎりでは以下の通り。

  • (a) 万博讃歌、1970年3月15日、日本万国博覧会開会式
  • (b) 「閉会式・開会式用ファンファーレ」、1978年春頃録音、『小学校大運動会〜校旗の下に〜』TS-51012、東芝EMI株式会社
  • (c) 交声曲「大阪証券市場100年」、1978年6月11日、証券100年記念演奏会
  • (d) 大阪国際フェスティバルのためのファンファーレ、1979年4月8日、第21回大阪国際フェスティバル開会式
  • (e) 「大阪のわらべうたによる狂詩曲」、1979年11月24日、大阪新音創立30周年記念演奏会

大阪国際フェスティバル「大阪4大オーケストラの饗宴」プログラムに寄稿した文章では(b)に言及できなかったので、今回のラジオ放送で(b)を聴いていただくことにしました。

(a)は大阪万博公式記録映画等で聴くことができますし、(c)の演奏会は実況録音がLP化されています。(e)はナクソスのCDに収録されていますので、大阪国際フェスティバルのファンファーレ以外は、録音で確かめることができます。聞き比べも一興かと。

(小中学校の運動会を想定した(b)は、日本万国博覧会や大阪証券取引所100年よりも壮大です(笑)。残念ながら楽譜は現存しません。)

公式長編記録映画 日本万国博 [DVD]

公式長編記録映画 日本万国博 [DVD]

大栗裕 : 大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲 他

大栗裕 : 大阪俗謡による幻想曲、ヴァイオリン協奏曲 他

[参考] 白石知雄「大阪に鳴り響くファンファーレ 大栗裕生誕100年に寄せて」より

(第56回大阪国際フェスティバル2018『大阪4大オーケストラの響演』プログラム、2018年4月21日、フェスティバルホール)

[……]

1970年の日本万国博覧会(大阪万博)で、関西の洋楽は新しい段階を迎えます。

万博期間中に、フェスティバルホールでは、世界の名だたる団体を招く演奏会シリーズ「万博クラシック」が開催されました。千里丘陵の博覧会場に各国のパビリオンがひしめくように、フェスティバルホールでベルリン・ドイツ・オペラのワーグナー、ローマ室内歌劇団のロッシーニ、ボリショイ・オペラのムソルグスキーと並んで、團伊玖磨の「夕鶴」と大栗裕の「地獄変」(1968年初演作の再演)が日本・大阪の代表として上演されました。

そしてここに登場するのが、世紀のイベントを祝うファンファーレです。

大栗裕は、大阪万博のために「万博讃歌」という合唱曲を作曲しています。開会式では、「万博讃歌」前奏の朗らかなファンファーレに乗せて、お祭り広場に万国旗が掲揚されました。この印象的なシーンは全国に中継されて、記録映画にも収められました。

大阪国際フェスティバルのためのファンファーレ

「万博讃歌」から少し間をおいて、大栗裕は、交声曲「大阪証券市場100年」(1978)と大阪新音創立30周年記念演奏会の委嘱作「大阪のわらべうたによる狂詩曲」(1979)の曲頭を再び輝かしいファンファーレで飾ります。大阪国際フェスティバルのためのファンファーレは、この2つの作品に挟まれた時期の作品です。

大阪国際フェスティバルのためのファンファーレは、いずれも3声のトランペットと3声のトロンボーンという編成で、同族楽器による純度の高い3和音の輝かしい響きが意図されています。そして3曲いずれも、ファとシを使わない日本風の五音音階(いわゆる「ヨナ抜き」音階)で書かれています。

日本音階をブラスのハーモニーで輝かせるのは常套手段ではありますが、“国民性”と“国際標準”の幸福な調和は、“万博以後”の大阪の自負、達成感と無縁ではないでしょう。

[……]

(付記:大栗裕は1978〜1979年に立て続けに華やかなファンファーレを書いたあと、1980年夏、ちょうど、淀川工業高校が全日本吹奏楽コンクールではじめて「大阪俗謡による幻想曲」を自由曲で取り上げた年に体調を崩して入院、その後いったん退院しますが、再入院して1982年4月18日に亡くなりました。)