2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧

エネルギーとエントロピー:熱力学的な2種のメタファー

animation の liveliness という着想は、よくよく考えてみると、そもそもが animation = anima (生命)を吹き込むことなのだから、 生命(anima)を吹き込まれたもの(animation)は生きている(lively)ということになって、ラテン語系の言葉をアングロサ…

小林秀雄、バイロイトへ行く

小林秀雄「モオツァルト」の初出は1946年の創元で、新潮文庫では『モオツァルト・無常ということ』として戦中のエッセイとまとめて収録されているけれど、角川文庫の『モオツァルト』(なぜか私が最初に読んだのはこっちだった)には、音楽関係のエッセイと…

animation の liveliness

という概念を知った。animation という作用は、現状では視覚的な記号もしくは表象に対して適用されることになっているけれど、そこで議論されている事柄は2Dや3Dの動画だけでなく映像一般を射程に収めているようだし、ひょっとすると、オーディオ・ドラマや…

個体の意志

個体の意志を尊重したうえでの退位があり得るということは、個体の意志を尊重した継承権の返上もあり得て、その地位が継承者を失って宙に浮く事態を想定しうる、ということですよね?地位を引き受けた者が採用しうる選択肢のひとつで、さほど珍しくはないし…

単数以上、複数未満

表象文化論は東京文化論のようなところがあって、日本代表の自負みたいな事態を吟味する道具を70年代以降あれこれ揃えて、ときには(あるいはしばしば)「複数性の擁護」という言葉が関係者から漏れたように思うのだが、あれはどうなったのだろう。半世紀経…

テレビ台本作法

日本のテレビはいまだにローバート・S・グリーン『テレビ台本作法』(ダヴィッド社)のやり方で番組を作っている、と柴田南雄が自伝で嘆いていたけれど、今は放送作家さんの定番の教科書やアンチョコのようなものが何かあるのだろうか?

東京1964年の「日本代表」意識

関西の動静だけを見ていると、1964年が大きな画期という感じはしないのだけれど、芸術新潮を順にみていくと、1964年にまたもや空気が変わる。巻頭グラビアが泰西名画からはじまるので、一見すると雑誌が保守化したのかと思うけれど、本文では盤石の安定感で…

寄り道

先日は川西で演奏会があり、夕方には終わったので、蛍池で途中下車して、遂に足を踏み入れてしまった。

鋭い耳

徳丸先生のミュージクス本には、人物評として「鋭い耳を備えた人」という言い方を何度か出てくる。研究の方法の適否とは別に、耳が鋭いことで成果があがる、ということは確かにありそうに思う。そういえば、柴田南雄も、演奏批評に関連して、聴く力は一般に…

感情を技術で制御・操作すること

トゥルーマンショーやタイタニックを例にして、映画がどのように観客を泣かせるか(感動させるか)、という話をしながら思ったのだが、パクリやヤラセや過剰演出(環境管理?)が話題になった10数年前と違って、今わたしたちは、感情(心?)を技術的に制御…

闘うソナタ、議論するソナタ

カツァリスは、ショパンのソナタ(の展開部)で男たちがああでもない、こうでもない、と議論 discussion している、と言うのだけれど、考えてみれば、このメタファーは7月政権時代のパリの音楽に似つかわしいかもしれない。武器を持って闘う時代が終わって…

うたとヴァイオリンと民族音楽学

徳丸先生は、「近代」をヨーロッパの都市が地域を越える文化を目指す動き、と見ているところがあるようで、そのように考えると、民謡や諸民族の音楽の発見も、都市がその外部へ視野を広げる動きの一環であるという風にきれいに整理することができるようだ。…

複数の音楽性

生成文法は、いかにも冷戦時代の北米の議論という感じがしますが、音楽研究でこれに相当するのが「民族音楽学」なのかなあと思う。異文化への人類学的な関心や音楽研究の一領域としての比較音楽学はそれより随分前からあるけれど、the Society for Ethnomusi…

分かち書きを越えて

生成文法の概説書を眺めてみた。チョムスキーの生成文法が1950年代終わりに出てきたときの初期ヴァージョンは、人間には生得的な言語能力があるという壮大な仮説と、分かち書きされた英語の単語の並び順、という、いかにも表層的な議論がアンバランスで、そ…

不機嫌・柔らか・ディーセントは「空気」なのか?

70年代の「不機嫌」な「闘う家長」から80年代のサントリー的な「柔らか」へ、といえば山崎正和。90年代のディーセントなノーベル賞といえば大江健三郎ですが、文学の読者共同体論においてすら「空気」が語られてしまう「国語科の不幸」への違和感をどうした…

信用と強制力

信用を信用として機能させるのではなく、どこかの段階で信用を強制力に変換・翻訳しないと納得しない規制が、この島のどこかに作動しているように思えてならない。

21世紀のオルフェウス

美学の最新号は、バレエとオペラ演出、舞台関係のいい論文が載っている。東独系ではなく、ゲッツ・フリードリヒの弟子、というのが興味深い。

「音楽の国ドイツ」のメロディー論

ダールハウスの著作のうち、杉橋陽一が訳して最初に日本語になったのは Melodielehre という小さな書物だ。シュッツのモノディー、モーツァルトの魔笛タミーノの絵姿のアリア、ワーグナーのラインの黄金のローゲの語りの3つを分析しており、議論は面白いの…

「国語教育の失敗」 - 解釈共同体論

石原千秋の読者論は受容美学が土台なので、特定のアングルからテクストにアプローチすることを要請される読者たちの解釈共同体の話になっていくわけだが……。解釈共同体は、まるで前衛政党のように党議拘束を受けて、あるときは「作家論」、またあるときは「…

大判ビジュアル雑誌

芸術新潮は1961年1月号からB5版で写真を多用する誌面に変わる。その前から写真や商業デザインやラジオ・テレビを「芸術」と見なす紙面作りをして、木村伊兵衛の写真が毎号巻頭を飾っていたりしたので、正常進化という感じがする。(音楽芸術が1960年から大判…

疑洋風文学論

テクストを精読する際に作者の意図を詮索すると作家論になり、作者の意図以外のことを語れば作品論になる、と言ってしまうのは、表通りだけ大急ぎでハイカラにした明治の疑洋風建築みたいな文学論だなあ、と呆れてしまうし、作者概念や作品概念がそういう風…

猛暑

9時頃でも既に熱い。日なたで飛行機が来るのを待っていると大変ですが、やっぱり夏の空は違いますね。ヒコーキの写真というのは、空と雲の写真でもあるんだなあ、と思ったりする。これは5月末の曇り空。思い切り電線にかぶって、胴体が半分きれていますが、…

最悪のレシピ

一人称小説は、語り手としての私が過去の私を語る構造であり、テクストの外部に想定される作者とはリンクしない。そしてそのような語り手は、テクストが要請する読者の位置から生成されるのだ、という出口なしの言葉の牢獄のようなテクスト論を、無意識は言…

国文学の天下泰平なテクスト論とフィクション論

現在の文学理論では、「小説精読者」は小説の読みの可能性を広げようとする「テクストの生産者」であり、「小説の普通読者」は小説を娯楽作品として素直に享受するだけの「テクストの消費者」と言い換えることができる。(77頁) と高らかに宣言されるのだけ…

フェアプレイとは膠着状態に耐えることである

分析美学基本論文集作者: 西村清和出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2015/08/28メディア: 単行本この商品を含むブログ (15件) を見るMimesis as Make-Believe の最初の着想とされるウォルトンの論文は、「加速の人」森功次氏の訳で、西村清和監修の論文集に…

共時性幻想

西欧の楽譜出版では、書物と違って19世紀になっても、出版年を記載しないのが通例だった。あたかもすべてが「いまここ」において「アクチュアル」であるかのように売りたかったからだろう、と言われている。哲学書のブックリストに出版年が記載されていない…

研究史 - fiction/non-fiction の区別とfictional discourses の吟味を混同する日本人たち

ケンダル・ウォルトンは、1990年に、fiction と non-fiction という書店や図書館の分類が実用的ではあっても表象芸術を考察する哲学の土台にはなり得ない、ということを詳述している。西村清和の1933年の「フィクションの美学」が第2章で素描しようとした議…

日本美学界のサイバーパンク

フィクションの美学作者: 西村清和出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 1993/03メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 27回この商品を含むブログ (19件) を見る やっぱりこの本の第2章はとっちらかっていると思う。英米論理学に fictional discourse (非実在を…

三島由紀夫賞

2016年がこれで、伯爵夫人作者: 蓮實重彦出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2016/06/22メディア: 単行本この商品を含むブログ (3件) を見るその3年前がこれで、しろいろの街の、その骨の体温の (朝日文庫)作者: 村田沙耶香出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日…

読みの善悪

学問共同体は、理念上、性善説で運用されていると言えそうだ、というのは、そうかもしれないと思うけれど、学問において有力な方法として活用されている「テクストを読む」という行為は、はたして、倫理上、善に回収できるのだろうか?学問共同体がテクスト…