明治の偉人たちはBest and Brightestだったのか?(奥中康人「国家と音楽」の記事にトラックバックをいただきました)

確か「撤退戦の研究―日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか」だったと思いますが、ヨーロッパがアジアを植民化していった時って、ある時期までは港しか占領しなかった、要所要所だけ占領して砲艦外交で恫喝し、交渉が決裂したときに軍隊を送り込んだのでありまして、点の占拠であって面の占拠は後のことだったとか。

ちょいとメモ。 | ぽかぁんとしてしまうこと

というご指摘のトラックバックを、2008年5月5日の記事http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20080505/p1に対していただきました。

「ヨーロッパがアジアを植民化していった時って、ある時期までは港しか占領しなかった」という指摘は、アジアの植民地を舞台とする映画が港を舞台にしていることに思い当たり、なるほど、と思いました。上海租界が出てくる数々の映画とか。雑踏のなかで人種や国籍の違う美男美女が出会って、裏切りだったり、愛欲だったりという個人レヴェルの「侵犯」が陸と海の境目で展開する異国趣味の類型、ということになるのでしょうか。(「蝶々夫人」も長崎……。)ああいうストーリーが成り立つのは、「港」を「点」で抑える政治手法の時代だからなのですね。

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オリエンタリズムとジェンダー―「蝶々夫人」の系譜

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私は、司馬遼太郎「坂の上の雲」も半藤一利、江坂彰「撤退戦の研究―日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか」も残念ながら読んでいないのですが、漠然と、明治の偉人、功労者とされる人たちがその時点でのBest and Brightestだったのか、やや疑っています。そうだったのかもしれないし、そうではなかった(人もいる)かもしれない。

外交交渉や情報収集(翻訳・留学を含む)は、その時点での情勢を考えれば、「誰かがやらなければならなかったこと」だったのですから、

  • (1) 「誰かがやらなければならなかったこと」をたまたまその人が(それなりに立派に)こなした、という業績
  • (2) 他の誰かが代わりにできたとは思われない業績

の二つを仮説的にでも切り分けて考えたほうがいいのではないか、と思っています。(1)は、いわば有能な官吏の仕事。もし偉人、功労に値するものがあるとしたら、それは(2)なのでしょう。(ただし、(2)は、世間からみたら、かけがえのない偉業なのか、何のためにその人が苦労してやっているのか意味がわからない酔狂な変人の仕業なのか、微妙かもしれませんが……。)

(そして個人的には、適塾系洋学者の方々は、(1)に相当する方が少なくないように思っています。例えば、英学の立役者としての福沢諭吉先生は、「誰かがやらねばならないこと」を見つける実践力と、「俺がやったぞ!」とアピールする宣伝力に長けていた人なのではないか。そしてそれが伝統・お家芸となったのが、「慶応」という学校のキャラクターなのかな、と思っています。官吏よりもスピーディかつ効果的にタスクをこなすのがクールであり、それが在野・民間の心意気なのだ、と。梅田望夫さんの和製シリコンバレー・スピリットも、そういうことなのではないか。そうすれば、結果的に「お上」にも喜ばれて八方丸く収まるわけですね。このあたりが、国家を大旦那のひとつだと腹の底では思っているに違いない大阪商人スピリットとの違い、同じ民間といっても、東京と大阪での国家との距離感の違いかも。)

先生とわたし

先生とわたし

(一方、「三四郎」の広田先生とか、四方田犬彦さんの本に描かれている英学者の由良君美が「偉大なる暗闇」に沈んでいくのは、適塾・慶應義塾的な翻訳文化と、東京の出版文化(私家豪華本出版や古書市場や洋書輸入を含めて)を背景にした「書物愛」の妖艶な絡み合いでしょうか。浅草オペラの仕掛け人のひとりだった伊庭孝にも、そういうところがありそう……。)

それから、明治の人たちは偉かった、という論調は、「それにひきかえ、今は……」と続くことが多いわけですが、ここでの現状認識が、(1)の「誰かがやらなければならないこと」すらなされていない、ということであればシステムの改良が必要ということになるのでしょうし(梅田望夫さんの「進化論」が革命論はなく、テクノロジーによる改良論だったのは、ここでも辻褄があってくる)、(2)の誰にもできないことをやろうとする気概が今の人には足りない、ということになると、なにか法外な精神論や決断・行動(百年に一度の未曾有のなにか?)が召還されるきっかけになるのかもしれない。

……というような整理をした上で考えると、明治の人たちのやったことを全部丸呑みで偉かった、偉くなかった、とは言えなくなるし、それでいいのではないか、と私は思っています。

(機会があれば別に書きますが、水村美苗さんの「日本語が亡びるとき」のなかの、「国語」としての日本語を作った明治の二重言語者たち、福沢諭吉や夏目漱石は偉かった、それにひきかえ……、という憂国の発言も、たぶん同様に切り分けられるはず、と思います。だから、あの本は、憂国発言(あれは「誰かにやってほしい」と思う人たちがいた発言であるに過ぎないように思う)を重大に受け取らずに受け流して、別の何かを読みとったほうがよさそうだ、と思っています。)