「京響、市財団に移管」(京都新聞2009年1月26日朝刊)

……という記事が京都新聞1/26月曜日の朝刊一面トップで報じられたようです(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009012600037&genre=A2&area=K00)。わたくしのコメントも出ていたと記事を読んだ人から伝え聞いていたのですが、今日やっと現物を確認できました。社会面に解説記事があって、そちらにコメントを載せていただいておりました。

京響はこれまで市の直轄だったのが、来年度から音楽芸術文化振興財団(京都コンサートホールなどを運営している組織)に移管される、ということのようです。

事前に記者さん(解説記事に名前が出ている斉藤さん、いつもお世話になっております)から、来年からこうなるそうです、とお聞きして、そのときの記者さんとの会話がコメントになっているわけですが、話を伺ったときには、正直、これが良いことなのか悪いことなのか、微妙なことのように思いました。

滋賀県(びわこホール)や大阪府(センチュリー交響楽団)の音楽関連財団への補助金問題は昨年来大きく報道されていますが、京都市の場合は、人件費などは現状の水準を保証した上での移管なのだそうです。事業計画や予算を全部市議会で承認してもらわないでよくなる分、財団に移管したほうが、柔軟な活動ができるはず。文化事業を一方的に縮小して見捨てるわけではない。そういう趣旨の移管決定だと聞きました。

公務員やそれに準じる立場であることが良いのか悪いのか、世の中の情勢によって評判はコロコロ変わるもので、景気が良い時代には、「公務員=融通の効かない安月給」と軽く見られて、最近のように景気が悪い時代には、「公務員=ぬるま湯に安住」として何かというと批判される。そういう「世間の目」の移り変わりは、仕方のないものではあるのかな、と思います。市直轄を外すのは、世間の厳しい風当たりから京響を待避して、これからは自力で頑張れと送り出す、そういう前向きなものと考えることもできるのかな、と思います。市側のやり方としては、(大阪府のあの人などと比べると)かなりオトナの対応なのかもしれません。

ただ、「ぬるま湯」批判に応じるための方策として、いわゆる「民間の活力」(煎じ詰めれば「市場経済原理」ですね)が唯一の道なのか。外の世界へ送り出される京響側の考え方としては、ケース・バイ・ケースで、それこそ柔軟に色々な可能性を考なければならなくなるのだろうな、と思います。

びわ湖ホールや大阪センチュリーの指揮者さんを私はあまり良いとは思っていませんが、それは、この人たちの演奏を聴いて、肩書きに見合う仕事をしているように思えないからで、色々と立派なご発言をされても、「あの演奏でそんなことを言われても……」と思ってしまいます。端的に言ってしまえば、「何を偉そうに」と思ってしまうのです(生意気な物言いですみません)。

京響については、逆に、あれだけ良い演奏をしているのだから、もっと偉そうにしていいのではないか、と常々思っています。この人たちは、「こんな指揮者で弾けるか!」とか、「俺たちにこんなことをさせるのか!」とか、傲然と言い放っていい人たちなのではないか、と。

もちろん、本当にそんな態度を取ったら周囲の風当たりが厳しくなって、よほど圧倒的な仕事をしないとつぶされてしまうでしょうし、そういう態度は今時のトレンドではないのだろうと思います。(私も、まっさきにあれこれ批判したくなってしまうかもしれない。)でも、ひとつやふたつ、そういう憎々しげな団体があったほうが、世の中は面白いのではないか。大フィルのように長い立派な歴史があったり、京響のように市のバックアップですくすく育った優等生団体は、そういう「傲慢路線」を進むリスクを取ってもいいのではないか。

世の中の情勢や当面の資金繰りとしては、市の直轄であるよりも、財団移管のほうが活動の自由度が高まるのでしょうが、そこで得た自由をプラスに活用できる度量が楽団にあるのかどうか。そこが問われるのではないでしょうか。

常任指揮者の広上さんは、「市民に愛される楽団」がスローガンで、一方、京都新聞の別の記事では「定期2回公演を実現できなければ常任指揮者2期目の更新はしない」と発言していらっしゃるようです。お客さんに対しては腰が低くて(それは今年度からはじまったプレトークなどでも感じられる)、市などの運営側に対しては強硬姿勢なのですね。

個人的には、硬軟の使い分けが逆であるほうが刺激的なのになあ、と思ってしまいます。ステージ上では毅然としていて、オフステージでは、自分たちを支えてくれているスタッフへの心配りを欠かさない。舞台人としては、そのほうが正道なのではないかと思うのです。私たちは、別に演奏家の方々に媚びへつらってもらうためにコンサートへ行くわけではないのだから。