音楽研究者の「音楽実践の能力」??(日本音楽学会関西支部通信第96号)

音楽学会の支部通信に掲載された関西学院大学、畑道也先生への追悼文で木村直弘さんがわたくしのはてなダイアリーの記事を引用してくださっていることに今日気がつきました。

関西学院一筋で、ただし「奉仕の練達」という建学精神を旨として独我的ではない生き方をされたという畑先生を、その師匠で関西の音楽学の礎を築かれた求道的な張源祥先生、関学では畑先生の同僚でその後阪大へ移られた谷村晃先生と対比する大切な文脈にわたくしの言葉が織り込まれており、大変恐縮してしまいました。

畑先生は、阪大学部生のときに非常勤でいらっしゃって、トレス海峡のフィールドワークのことを半期講義していただき、若い頃にイランへ行ったお話などを披露してくださったことが印象に残っています。ご冥福をお祈りします。

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それから、わたくしは、谷村先生の人となりといったことを自らの言葉で総括しうるような立場ではなく、だからこそ、アタフタと恐縮してしまったのですが……、

そういえば、谷村先生が大阪大学を退官なさったときに、年譜と業績目録をまとめる係を仰せつかって、先生に長時間インタビューをさせていただいたことがありました。

ご先祖のこと、幼少の頃のことなどからはじまるお話の要点は年譜に盛り込ませていただきましたが、載せられなかったエピソードも多々ありました。インタビューの模様はDATに録音してあったはずなのですが、今も、どなたかが保管していらっしゃるでしょうか……。谷村先生のことを思い出したり書いたりするたびに、いつも気になっております。

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支部通信掲載の例会レポートは、実は昨年秋頃、わたくしも大栗裕のことを発表させていただけないかと打診して「既にエントリーが埋まっているので無理」とのお返事をいただいた経緯があり(わざわざ別の場を用意していただいたりしてかえってご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした)、なんとなく気になったこともありまして、興味深く拝見しました。

発表自体については、レジュメだけで本編を聴いていないので何らコメントできませんが、ミヨーのオペラ「罪ある母」に関する発表のあとに添えられたレビュー的な「レポーターによる報告」の一文、

このミヨーのオペラはまだ録音すらなく、論文執筆に際してはフランス語の歌詞の理解から読譜に至るまで、すべて氏が独力でやらねばならなかったという。このような作業を要求する作品では、やはり音楽実践の能力が圧倒的な強みを発揮する。

こういう言い方はどうなのだろうと、やや違和感を覚えました。

楽譜などの資料はあっても録音が存在しない音楽は、古写本から近代日本の作曲家たちまで無数にあります。(大栗裕の作品も録音が残っている作品は一割に満たないでしょう。)むしろ、録音が存在する音楽というのは、膨大な音楽の海に浮かぶ氷山の一角だと思います。どんな分野であれ、すこし踏み込んで調査すれば、研究者は、そうした録音の存在しない資料の解読をせねばならなくなるはずですし、そのたびごとに演奏家に音にしてもらう、というのではまだるっこすぎて仕事にならないはず。(それではまるで、ロシア語の通訳を介してロシア文学を研究するようなことになってしまう……。そんな風にならないために、音楽研究者は制度的あるいは個人的に色々なトレーニングを受けているはずではないのか。)

レポーター様には、すでにオペラ(オペラ史は、再演困難曲が多い20世紀作品だけでなく、宮廷オペラもジングシュピールも、オペラ・コミックもオペラ・ブッファも、ドイツ・ロマン派オペラも、楽譜があっても録音のない作品の山)やピアノ音楽(19世紀の協奏曲やソナタ、家庭音楽、サロン音楽は今も大量に「楽譜のみ」が図書館に死蔵されている)を大局的に論じるご研究がおありのはずなのですが、もしかするとこれらは、「既に録音のある作品」だけを対象としてなされたお仕事だったのでしょうか……まさかそんなはずは??

上の引用は、実技系大学院修士の副論文にもとづくご発表であったことを踏まえたレトリカルなご発言なのかもしれないのですが、演奏家に学会として専門家としての意見を求めることと、演奏学科出身者が研究発表をすることは別のことであるはず。

研究発表者が「たまたま」演奏学科出身であった、ということをこんな風に誇大に拡大解釈することにどういう意味があるのか。

張先生が「人文科学としての音楽学」ということをおっしゃり、谷村先生が「音による思考」という言い方をしていたのは、音楽学が、哲学・美学・歴史を専攻する“にもかかわらず”音を取り扱う人と、ピアノや声楽を学んできた“にもかかわらず”言葉を発しようとする人が、出自・経歴を括弧に入れてフラットに対話できる場所である、という理念であったはず。「文学部出身者は音を直接扱うのが苦手である(逆に、実技出身者は言葉の扱いが苦手である)」というような、そうかもしれないしそうではないことがあるかもしれない通俗的な判断に寄りかかって線引きするのは、音楽学にとって生産的ではないだろうと、少なくとも私は思います。

私が教えている演奏科の音楽史の講義では、数年来、学生の「書く力」を高める配慮をしてくださいと学科の先生からリクエストがあり、そのつもりで取り組んでいます。そのような大学側の取り組みを踏まえつつ大学院まで進学された方が今回のご発表者であったようです。もちろん演奏経験という「強み」を評価していただけることは発表者ご本人にとっても長所を評価されて有り難いことなのだろうとは思いますが、どこまでも「演奏出身」というレッテルがついて回る音楽学はそんな狭量な世界であるとしたら、それは実技系大学で音楽学教育に取り組む人間の意欲を削ぐことにもなるのではないでしょうか。私たちがやっているのは、「実技系の音楽学」という非正統的なことなのかと。わざわざ「実践畑の人との交流」など言う以前に、現在の音楽学会会員のなかに、「演奏出身」の人はたくさんいるし、むしろ阪大や関学のように文学部の美学・音楽学のほうが数としては少ないのではないか。

(それに、別の視点からの話になりますが、実技のことはプロに訊かねばわからない、というプロへの過剰な特別視は、アマチュアや好事家、貴人の良き趣味といった事柄を語るのを困難にしてしまうでしょう。)

同様に、例えば「たまたま」新聞記者出身であったり、「たまたま」ライター出身であったり、「たまたま」特定の民族や国籍や地域の出身であったりする者が研究発表をするたびに、それが特別なこととしてレポートに特記される、日本音楽学会というのはそういう集まりなのでしょうか? しかるべき大学(とは何か)における音楽学専攻出身者だけがそのような出自の特記を免れる「普通の会員」で、あとは、いちいち出自を特記されねばならない学会の「異物」なのでしょうか? 日本音楽学会が、そんな俗情が公然と支配する学会だとは知りませんでした。

(それに、このレポートは、「[実践の人との交流を]積極的に進めていきたいと感じた次第である。」と結ばれていますが、レポーターとして書かれたはずの文章の最後が、突如「進めていきたい」という「例会担当委員」の意思表明で終わるのは、空間が歪んだような奇怪さを感じます。日本音楽学会関西支部例会は、このレポーター様が担当委員でいらっしゃる間は、彼が「進めていきたい」と考える方向へと全権委任的に引っ張られていくことになる、このレポートはそのような「学会指導者」の「覇権掌握宣言」なのでしょうか? 思い起こせば約十年前、この「レポーター兼指導者」様が、やはり今回と同じく突如、支部例会に興味を示してシンポジウムを連発したことがありました。パネリストやテーマを自分の関心事および自分にとって都合のよい人脈形成に活用して、当人にとっては面白かろうけれども学会として何かがあとに残るわけではない形でその1年間が終わりました。またあんな風になるのかと思うと非常に気が重いことです。誰か止める人はいないのか? 例えば、こういう時こそ他でもなく「実践畑」の大学の理事長・学長であるところ音楽学者様の出番である……というように思わぬ展開になったりして(笑)、しかもそのような事態が到来してなおかつ単なる組織や立場の世俗的なパワーゲームで終わらない知見を浮上させることに成功してこそ、特定の個人の思惑だけでは制御しえない「場」としての学会の活性化というものではないのかと思うのですが……。)

木村さんは、畑先生が「深酒」せざるを得なかったことを追悼文で示唆していらっしゃいます。また、ご本人はえり好みの激しかったとご推察する谷村先生も、少なくとも阪大教授の間は「公職」の意識で人付き合いや研究を外へ開こうとしていらっしゃったようです(阪大退任時にしみじみ「肩の荷が下りた思いがする」と語っておられました)。そういう一種の「無理」は、音楽学という場を切り盛りする上で必要な「責任」ゆえのことだったのだろうと僭越勝手ながら想像しております。

誰もがそのような「責任」を追う立場に就くことができるわけではないのだから、そのような立場にある間は毅然として、筋を通していただきたい。

レポーターが自身の出講先や勤務先出身の発表者を受け持つ「身内」っぽい人選を含めて、なんだか悲しい気持ちになってしまいました。こういう覇権主義が学会通信として流布・公認されることを助けるために毎年の学会費が徴収されているのでありましょうか……(笑)。

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

[追記]レポーター様が昨年一挙に3冊の著作を上梓されたのは、ひょっとすると、業績を多く積み上げなければならない何らかの事情があったのかなあ、と思わないではありません。(自らの肩書きを「准」のつかないものへと押し上げたい、とか……。)でも、ここ数年のご研究からはっきりしてきたのは、著述のスタイルが典拠となる資料の読解からはじめて……というものではなく、既存の研究書や前任校時代の教え子、ジャーナリズムや研究所でのご同僚などから得た情報をピックアップして編集すること、ご自身の言葉を借りれば細部に拘泥しない「俯瞰」というやり方なので、常にその肩に寄りかかることのできる助力者を必要とする。ただし、そうした助力者を対等のパートナーとして処遇することはない。(だから自らも研究者となることを望む人はいつしかそこから離れていく。助力者がそれなりの成果を上げてしまった場合には、賞や学位という「実利」を与えることで処遇しようとするのだけれど、あからさまな「えこひいき」で評価を水増ししてしまったりする結果、それが先方にとって本当に良いことなのかどうか、実に微妙な効果を周囲に波及する。……というような一定のパターンが明らかになりつつあるように思います。色々大変なのかもしれません。それは彼の人生だから勝手にやればいいと思います。でも、会員のお金を集めて公的助成なども受けながら運営されている学会でおおっぴらに「進めていきたい」と突然言われても、それはちょっと困ってしまいます。あなたが学生時代に私淑していらっしゃった政治学者兼評論家の先生は「失脚」としか言いようのない末路を迎えて亡くなられたわけですが、このことはあなたの中でどのように総括されているのか。当時、三島由紀夫に尋常でない愛着をお持ちでいらっしゃったことをあわせて考えると、なんだかとても不吉……。)