前のエントリーに書いた外山雄三さんのこともそうですが、大阪や大栗裕を起点にして戦後の音楽を眺めようとすると、網羅的であることを目指したかもしれない『日本戦後音楽史』のような前衛音楽論からきれいに抜け落ちているところに、どんどん入り込むことになるようです。世界は広い。
ここしばらく、大原総一郎に関する本をいくつか読んでいました。
クラボウ/クラレの社長だった人、というより、父・大原孫三郎の遺志を継いで、大原美術館を泰西名画だけでなく、棟方志功や日本美術からモダン・アートまでの総合美術館に育てた人。帝大卒でベートーヴェンを尊敬する音楽好きで、京都に別邸のある大阪財界の大物……ということで、朝比奈隆とも交流はあったようです。
(まだ、はっきりした情報をつかんではいないのですが、倉敷音楽祭で朝比奈隆がベートーヴェンの交響曲を9年がかりで全曲振ったのには、故・大原総一郎のお膝元でベートーヴェンを、ということがあったのではないでしょうか。)
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[4/25追記:大原美術館のコンサートについては、すでにやくぺん先生こと渡辺和さんのウェブ連載、Music in Musiumのバックナンバーがありますので、そちらも是非。
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/index2.html
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23
やくぺん先生の記事は他も興味深くて、ルートヴィヒスブルク城は、わたくし、かつて夏の間、1ヵ月語学研修で滞在しておりましたので、個人的にとても懐かしかったです。お城の大広間のコンサートを一度聴きにいったのを思い出します。これはあとで知ったことですが、ウェーバーは、若書きの交響曲をルートヴィヒスブルクで演奏したり、ヴュルテンベルク公国と縁があったのですよね。]
大原総一郎に興味が涌いたのは、20世紀音楽研究所の現代音楽祭を軽井沢での初回から資金面で援助していたらしいと知ったからです。大阪で開催された第4回のプログラムを見ると、巻頭の挨拶文のなかで、わざわざ、大原総一郎の助力への謝意が記されていて、「へえ」と思ったのでした。
調べてみますと、ほぼ印象派までの泰西名画のメッカだった大原美術館に、ピカソなどを入れるようになったのは総一郎氏に代替わりしてからで、創立20年目の1950年から5年ごとに記念行事をやっているのですが、
創立20年の記念行事は、当時まだ存命だったかつての白樺派の同人(大正期に印象派に夢中だった人たち)を集めて座談会をやっていたのが、5年後の創立25年座談会のテーマは、「二十世紀の絵画について」。そして翌年1956年には、白川の自宅に長廣敏雄(かつて朝比奈隆と一緒にメッテルに学んでいた人ですね)を座長とする京大の先生たちを集めてモダン・アートの勉強会をやり、その記録が大原総一郎の死後、創立40周年を記念して1970年に『モダン・アート客話』として出版されています。(この本を見ると、ハーバード・リードの講読会などをやっていたことがわかります。)
戦前にヨーロッパへ遊学して、オペラやコンサートに通っていたクラシック好きのヒューマニストの社長さん(1956年のモーツァルト生誕200年では朝比奈・関西交響楽団によるモーツァルトのピアノ協奏曲全強演奏という企画を支援している)が、ただ道楽で金を出す、とか、単なる新しいもの好きというのではなく、モダン・アート/アヴァンギャルドを理解しようとしていたようなのです。
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5年ごとの記念行事では、座談会や美術関係の講演だけでなく、美術館でのコンサートも行われていて、これは、日本におけるミュージアム・コンサートの先駆け、というアート・マネジメント的な捉え方ができることなのかもしれませんが(しかも、倉敷という地方都市で)、
1950年の20周年がラザール・レヴィ(戦後初の外来演奏家と喧伝された)と、当時神戸女学院で教えていた原智恵子が出演するピアノ・コンサート。
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「モダン・アート」へ梶を切った1955年の25周年は、黛敏郎と外山雄三への委嘱室内楽作品をN響メンバーが初演したようです。
そして1960年の30周年がすごくて、黛敏郎の無伴奏チェロの「文楽」(初演時タイトルは「ソリロクイ」)と矢代秋雄のピアノ・ソナタの委嘱初演。どちらも、戦後の名曲ですよね。お金持ちが記念に一曲書いてくれと頼んで作ってもらった、というのとはレヴェルの違うことが起きているようです。
とくに矢代秋雄は、お父さんが戦前に松方コレクションや大原美術館のコレクションの選定を手伝った美術評論家の矢代幸雄(京都や倉敷が空襲を免れたのは美術品を焼いてはいけないという米軍の配慮であった、という、今では疑わしいとされている伝説を広めた人)ですから、この委嘱の意味を十二分にわかったうえでの作曲だっただろうと思います。ベートーヴェンの作品109を意識した、という作曲者コメントがありますが、単にソナタ形式だとか、セリエルだというのではなく、音を厳選して、フランス風の響きだけれども水増ししたところのない立派な譜面。(出版されているのは、初演後に改訂を加えたものらしいですが。)
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[追記:また、やくぺん先生の記事にもありますが、このときには、プロムジカ四重奏団がラズモフスキー1番が演奏したりもしていたようです。]
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1960年代の音楽の前衛運動は、熱に浮かされたメディア・イベント的なところがある気がしますし、ポップでキッチュでサイケデリックで、実際、怪しげな若者も跳梁跋扈していたようですけれども(三浦淳史が専属翻訳者として世に出るきっかけにもなった在日米人音楽ライターのヒューエル・タークイとか)、
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でも、大原総一郎と大原美術館の歩みを見ていると、新しい道へ進まねばならぬ、という覚悟、茶化して済ませるわけにはいかない本気を感じます。
朝比奈隆が1963年に「大阪の秋」現代音楽祭をはじめたのは、単に東京の若い連中に追随した、というのではなく、財界にこういう人が出る時代で、大義がある、という判断だったのかもしれませんね。ちなみに大原美術館も、「大阪の秋」がはじまった2年後、1965年から現代美術コレクションの一般公開を始めています。
(朝比奈隆は、「大阪の秋」では、何を振っても後期ロマン派風になってしまうと評されていて、自分でも音楽祭立ち上げ時に「これはジョン・ケージなどの前衛音楽の会ではない」「私の本心からいえば、シェーンベルクあたりだよ」と言っていたそうです。そして、大原総一郎は、前衛絵画への共感ではなく、むしろ強い戸惑いから『モダン・アート客話』にまとめられた勉強会をやったようです。上の世代が当惑しつつバックアップしたことが、前衛の追い風になったのでしょう。前衛の当事者たちは「反抗」のつもりだったかもしれないけれど……。前衛の言い分を鵜呑みにすると、視野狭窄の危険がありそうです。)
さらに、大原総一郎の評伝には、日本万国博覧会で360度マルチ・スピーカーの演奏会場を作る構想(のちに鉄鋼館として部分的に実現する)は、もともと大原氏の発案だったとの記述が出てくるのですが、そうなのでしょうか。
大阪万博は、表舞台に立つ東京のスターたちを、倉敷の大原総一郎が後ろから支えて、二つの都市の中間にある大阪で大きな像を結んだ。こんな風にイメージすると雄大な話になりそうですね。
(そういえば、前のエントリーで書いた外山雄三。N響世界一周公演のために書いた「ラプソディ」は有馬大五郎の示唆によるそうですが、「沖縄民謡によるラプソディ」は、大原総一郎の助言で生まれたのだとか。いろいろなところで人と人がつながっているようです。)