千年後から振り返るヨーロッパ音楽の歴史(を岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?』が出たのを機に素描してみる)

今からおよそ三千年前からヨーロッパではキリスト教がさかんになり、キリスト教会は、教祖イエスの生年と伝承される時点を起点とするグレゴリウス歴を用いました。そして当時のヨーロッパでは、音楽においても、キリスト教の理論と礼拝が基礎になっていました。

グレゴリウス暦1000年頃から、単声の礼拝聖歌に対位声部を組み合わせる多声音楽が試みられ、1600年頃から、韻文や舞踊に由来すると思われる周期的なリズム(拍子)で多声音楽を時間的に制御する手法が主流になります。

このような周期リズムの多声音楽は、次第にヨーロッパの植民地にも伝わり、ヨーロッパ移民が北アメリカ大陸に建国した合州国の台頭によって、2000年頃にはほぼ地球全域に広がりました。

周期リズムの多声音楽は、地球全域に広まるのに伴い、ヨーロッパのローカルなリズム・音階との結び付きを緩めて抽象的なシステムとみなされるようになり、実験的な例外を多用するマニエリズムの試みが現れるとともに、世界各地の様々な音階・リズムが実装されるようになりました。

また、1900年代から、電気的な音響合成や音響記録(録音)のテクノロジーが音楽に様々な形で適用されます。(1) 電気的に合成された多彩な音響を多声音楽に組み合わせる試みが、多声音楽の脱ヨーロッパ化を加速したのみならず、(2) 電気的な録音・編集技術で様々な音響的演出を施した記録媒体が制作され、この記録媒体(「レコード」)の専用再生装置による出力を家庭で享受することが、娯楽として広く行われるようになりました。(← 今ここ)

人類があと千年くらい生き延びると想定することはたぶんさほど無謀ではないと思いますし、過去の事績に関心を抱く歴史家という存在は、数千年前からいたようなので、あと千年くらい存続すると想定することも不可能ではないでしょう。そして二千年前の文字や文章は現在の言語に十分翻訳可能なのだから、千年後の人類が現在の我々の書いた物を何らかの手段で読み、検証することも、きっと不可能ではないと想像されます。

人類はそう簡単に「進化」しないし、歴史の歩みというのは、日々の流行の移り変わりから想像するほど波瀾万丈なわけではなく、むしろ緩慢。歴史家とはそのような前提で仕事をする気の長い生き物であるように思います。

というわけで、千年後に「クラシック音楽」がどのように記述されるか、と想像してみたら、私の乏しい想像力で思いつくのはせいぜい上記のような感じで、しかし、私の乏しい想像力によるだけでも、「クラシック音楽」という言葉は残っているかどうかすら疑わしいと思えてしまうのですが、どうでしょう。

現在「第一次世界大戦」と大げさな名前で呼ばれているヨーロッパの地域戦の政治史・社会史における意義が後世どのように判定されるかというのもよくわからないところで、アジア・アフリカの植民地やいくつかのユーラシア大国の王政・帝政瓦解がからむのでもうちょっと大きな扱いがありうるかも、とは思いますが、少なくとも音楽への「インパクト」については、「ヨーロッパの周期リズム多声音楽」数百年の歴史における様式推移の一過程に関与しているに過ぎないように思います。

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なおご参考までに、私の乏しい想像力の土台になっている発想については、以下をどうぞ。(久々に読み返したら、思った以上に2007年の私は真面目に書いているようでした。大栗裕を知ってしまったのはこの直後なので、当時はまだ日本音階のことや和洋折衷の機微についてはよくわからずに、でも西洋以外の音楽と話がちゃんと通じるような形で音楽理論を整理できないかと考えていたのだろうと思います。ありがちな概説と言われてしまうとそれまでなのですが、当人は、西洋音楽の、実はローカル・ルールに過ぎないものを普遍的であるかのように思わせてしまうトリックをなんとか解きほぐそうとして、それで「音程」「拍子」「旋律と伴奏」という概念に拘泥していたのだと思われます。授業としてはそれまで十年来「音楽美学」の枠で試行錯誤しながら考えていたことの総まとめで、それなりに頑張って書いているような気がするのですが、自画自賛は……するもんじゃないですね(笑)。)

いちおう、こういう形で過去20年の来し方に自分なりの整理をつけてから私は大栗裕のことを調べ始めたわけで、「現代モノ」が音楽学の「逃げ場」であるかのような見取り図を描かれてしまったときに、反射的に前後の見境なくムッとしてブチ切れそうになる権利を有しているのではないかと、生意気ながら思ったりしてしまうのですが、ダメでしょうか。私は「甘ったれた負け犬」なのでしょうか。(別に誰が何を思おうと知ったことではないし、変に騒ぎを起こして、大栗裕に迷惑がかかってはいけないと思うから、黙ってやるべきことをやるのみですが。)

で、業界外の方から見たら意外かも知れませんが、こういうオーセンティックな音楽学者は実のところ日本では(世界でも)ごくわずかです。私の見るところでは、音楽大学(芸術大学)や音楽学会などに所属していても、大半の人間は(1)現代モノに逃げる、[以下、略]

御贈呈多謝 - aesthetica sive critica〜吉田寛 WEBLOG

21世紀になろうとするのに、何に対してなのかよくわからない義理と筋目を通してから行動しようなどと考えるバカが、世の中にはこうして実在しているのだよ、吉田クン。

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話を戻して、

「ヨーロッパの周期リズム多声音楽」における1800年代ブルジョワ様式と1900年代アヴァンギャルド様式の違いは、インドの膨大な数のラーガを聞き分けるくらいローカルな話で、千年後には、地球上に数十人いるかいないかというような古代ヨーロッパ史の専門家(ローマ中期とローマ末期の装飾様式を見分けるアロイス・リーグルみたいなタイプの人たち)と、多く見積もっても数百人から数千人の古代音楽マニアの関心を呼ぶに過ぎないと想定したほうが、蓋然性が高いのではないでしょうか。

歴史家を志した人は、自分が歴史の決定的な瞬間の語り部になることを夢みるものなのかもしれず、何かの「終わり」に立ち会いたいという欲望はその典型なのかもしれませんが、

岡田暁生の名前が、未だ十分に語られていない「クラシック音楽の終わりの始まり」を他に先駆けて指摘・宣告した人物として記憶され、それが重大な業績とみなされる、というような可能性はほとんどなさそうな気がしてしまうのですが……。(ひとつの時代の「終わり」は大きなスパンで歴史を見直す好機だと思うのだけれども、彼は、2つ前のエントリーで感想を書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101119/p1)終わろうとするものへ執着するあまり、そこからはじまる20世紀を正視することができずに矮小化してしまう精神の持ち主であるらしいので。)

岡田先生は、ほぼ「一点買い」の大ばくちでこの時代の西洋音楽史に人生を賭けているような人なので、申し上げるのはまことに残念なことですが、他につぶしがきかないんだったら、野心のほうを諦めるしかないんじゃないでしょうか。