ルシュール先生、アルマ・マーラーにご機嫌斜め

いつも利用させてもらっているドビュッシー評伝の一節について、あるブログで見かけて、おや、と思ったので調べてみました。

アルマ・マーラーは[…中略…]ドビュッシーの私生活を巡ってパリに広まっていた陰口に基づいた信じ難い話をでっちあげ、リリーが自分の夫から「むごい仕打ち」を受け、服毒自殺を図ったと述べている。またアルマは、とりわけ、到底信じられないような情報を付け加えている。つまり、[…中略…]彼女は、ドビュッシー、デュカ、そしてピエルネが、「マーラーの交響曲の第二楽章の途中で立ち上がり、出て行く」のを見たと述べているのだ。そうした振る舞いが、そのような醜聞を敢えて試みるにはあまりにも有名な三人の音楽家たちの対極にあったことは言うまでもなく、またそうした行動を裏付ける証拠は何もない。(315頁)

伝記 クロード・ドビュッシー

伝記 クロード・ドビュッシー

マーラー夫妻が1910年にパリを訪れ、リハーサル中にドビュッシーをはじめとするパリの作曲家たちと会食して、マーラーの交響曲第2番演奏会にも彼らは招待されたのだけれど……、という話です。

(1) 「でっちあげ」?

ここで言及されているアルマ・マーラーの回想録は、1940年にドイツ語版、1946年に英語版が出た有名なもので、該当箇所は中公文庫版の302-305頁。アルマは日記をもとに書いたと言っているようですが、事実関係に誤りや歪曲があり、注意深く扱わなければいけない史料であるらしいことは、私も既にどこかで読んだ記憶があります。

グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫)

グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 (中公文庫)

あ、翻訳は「かもがわ……」じゃなく「ハッタリ……」じゃない石井宏さんだ。

が、そうした一般的な評価を踏まえたとしても、ルシュールのここでの書きぶりは、訳文で読むかぎり、いつになく激しい口調のように、私には見えました。

パリに広まっていた陰口に基づいた信じ難い話をでっちあげ、

ドビュッシーがリリーと離婚して、エンマ・バルダックと再婚した経緯をめぐる記述ですが、既に「パリに広まっていた陰口」にもとづく話なのだとしたら、ゼロから彼女が「でっちあげ」たわけではないですよね。せいぜい、「パリに広まっていた陰口を鵜呑みにした」だけなのではないか、と思われます。(「でっちあげ」の原文はどういうフランス語なのでしょう。そういうニュアンスの言葉なのか、訳者が「意を汲んで」こういう強い言葉を選んだのか。)

アルマは多才な女性だったようですし、恋愛・結婚歴から相当な社交家だったと考えて間違いなさそうです。パリでのレセプションでも積極的に作曲家たちとのコミュニケーションを試みたのではないかと推察されます。回想録には、ドビュッシーの小食ぶりに関してデュカスから聞いた、とする音楽院時代のエピソードが披露されています。

そのようなパーティの会話のノリで、誰かがドビュッシーの離婚・再婚を面白おかしく語ってきかせた、それを回想録にそのまま書いちゃった、ということじゃないでしょうか。

で、その回想録に書いちゃった流言の内容はというと……、

(2) ドビュッシーの「むごい仕打ち」

リリーが自分の夫から「むごい仕打ち」を受け、服毒自殺を図ったと述べている。

リリーが服毒自殺を図ったのは、事実としてルシュールの伝記にも明記されていますから、これはでっちあげではない。問題は「むごい仕打ち」ということになります。

上の文章だと、ドビュッシーが酷いことをしたからリリーが自殺を図ったかのように読めますが、アルマの回想録では、話の順序が違います。アルマは、服毒自殺でリリーが意識朦朧としている傍らでのドビュッシーの所業が酷く(詳細は省略)、それでリリーの気持ちは完全に醒めてしまったのだ、と書いています。ルシュールが故意に話の順序を入れ替えたのか、それとも日本語訳をしたときにこうなったのか、フランス語原書がないので、何とも言えませんが……。

ともあれ、アルマは、この話を次のように締めくくっています。

この話は彼女[リリー]の側から流れた話である。どこまでが真実であるかはだれも知らない。

この書き方を見るかぎり、(この一文が日本語版の元になったヴァージョンの校訂者や訳者による付け足しでないとしたら)アルマも、話を全部信じていたわけではなさそうです。

ウワサ話として小耳にはさんだことを、ウワサ話として書いているんだから、後世の伝記作家がそれほど目くじらを立てることではなく、捨て置いてもいい気がするのですが、ルシュール(そして/あるいは訳者?)は何を怒っているのか。

「リリーの側からウワサ話が流れた」という風に、リリーが元夫ドビュッシーについての悪いウワサを流す人物に仕立てられているのが、ルシュールには許せなかったのでしょうか。

(3) 裏付けがなく、反証がない証言は真偽を判定しようがない

ドビュッシーらがマーラーの交響曲の演奏中に退席した(のをアルマが目撃した)の件で、ルシュールがこれを信憑性がないとする論拠は3つ(そのうちひとつは、上の引用文の直後に述べられています)。

そうした振る舞いが、そのような醜聞を敢えて試みるにはあまりにも有名な三人の音楽家たちの対極にあったことは言うまでもなく、

ドビュッシーらは、途中退席などすればどんなスキャンダルになるか十分にわきまえているから、そんなことをしたはずがない、とルシュールは主張するのですが、これは、私には判断しようがありません。当時のパリで、コンサートの途中退席がどの程度に異例なことだったのか、ドビュッシーがそうしたことをやった例が他にあるのかないのか、当時のパリのコンサート事情に不案内な私には、よくわかりません。

またそうした行動を裏付ける証拠は何もない

ドビュッシーがどこかにこの演奏会の批評か何かを書いていてくれたら、ドビュッシーが最後まで聴いた証拠(アルマの証言への反証)になったと思うのですが、どうやら、そこまで決定的なものはないようですね。

ルシュールがここまで断言するということは、ドビュッシーらの途中退席という、いかにもゴシップになりそうな話を伝える文書が、アルマの回想録以外にはない、ということなのでしょうか。

ただ、あくまで考えられる可能性をつぶすための思考実験ですが(刑事コロンボだったら「お気を悪くされたらすみません、形式的な質問です、上司がうるさいもので」と前置きするような)、ドビュッシーらがコンサートの途中退席の常習者だった可能性はないのでしょうか? たいていのコンサートで途中で帰っちゃう人だから、パリではそんなこと、話題にすらならなかった、という可能性です。

(ほかに、上の引用には入っていませんが、ルシュールは、マーラーが数ヶ月前にニューヨークでドビュッシーの作品を演奏してくれたばかりなので、礼儀として、マーラーの顔をつぶすようなことをしたはずがない、と主張をしています。これも、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。私にはよくわからない、としか言いようがありません。)

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結論として、アルマの回想録と照合して、私はかえって、ルシュールの記述を(これまでは色々使わせてもらっていたのですが)鵜呑みにするのは危ないかも、と思ってしまいました。ゴシップ好きな外国人女性を嫌う、妙に礼儀作法にうるさい学者さんという感じがある。

前半に関しては、アルマの回想録には粉飾が多いとされているので、ドビュッシーの伝記にそういう流言を入れたくないということかもしれませんが、逆に、あることないことウワサ話が飛び交っている当時のパリの作曲家仲間&社交界の雰囲気を伝えている文章のようにも思えます。(パリの複雑な内情をよくわかっていない外国人、しかも醜聞の多いアルマにすっぱ抜かれて、ルシュール先生はカチンと来た、というところでしょうか。)

そして後半の、ドビュッシーがマーラーの交響曲を最後まで聴いたのか、途中で退席したのか、これだけだと、真相は藪の中。