吉田秀和『永遠の故郷 夕映』に取り憑くシューベルト

[4/19 追記あり]

永遠の故郷─夕映

永遠の故郷─夕映

読み終えて書棚へ片づけようかと思って見たら、わが家の吉田秀和の本ひとそろいが、シューベルト関連の本に囲まれていました。限られたスペースに詰め込もうとやりくりするうちに、偶然こうなったのだと思いますが、すっかり忘れていました。

左側手前にシューベルトの友人だった画家Schwindの図録とVetterの今は誰も読まなさそうな二巻本があって、右奥がW. Duerr & A. Feil編のHandbuchとO. E. Deutsch編のDokumente。上に載っているのは、1978年の没後150年展覧会のカタログとA. Godelの最後の3つのピアノソナタの博士論文。

「菩提樹」で永遠の故郷をしめくくった吉田秀和にちょうどいいかもしれないので、しばらく、このままにしておきます。(『全集』も『永遠の故郷』も、歯抜けで全巻そろっていない私は、吉田秀和の良い読者ではないですが……。)

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[追記]

ところで、ヴィルヘルム・ミュラーの「菩提樹」という詩は、木陰で休息した安らぎが忘れられない、という心温まる話のはずなのに、なんだか恐いですよね。

菩提樹の木陰でしばしの安らぎを得た「私」の耳には、ちょうど『大菩薩峠』(小説の連載開始は1913年で吉田秀和が生まれた前の年)の机竜之助が辻斬りしてしまったおじいちゃんの御詠歌から逃れられないように、いつまでたっても、どんなに遠く離れても、「私のところへ戻っておいで」という菩提樹の声が聞こえるというのですから……。

そしてシューベルトは、4行×6段落、各行が弱強四歩格(Jambus, vierhebig)で不完全な交差韻(xbx'b)という、「鱒」などと同じで、格調高い言葉の藝術というより「弱・強・弱・強...」のリズムで語呂合わせしている感じのいかにも歌いやすそうな「民の調子(民謡調・民衆調)Volkston」の詩を(シューベルトが2行をひとつながりに作曲しているのは、もとの詩の行Versの構造が緩いことを踏まえて、むしろ行をまたいで完結する文Satzで作曲していると言えるのかもしれません。その結果シューベルトの歌は自然に話しているような感じに多少近くなっている。概して民謡調の詩歌はそういうもの、ということだとは思いますし、こういうVolkstonの「創出・発見」がフランス革命後のドイツの文学主導のナショナリズムに火を灯して、世紀末のマーラーがドイツ人社会における永遠の異邦人を演じるときに活用したかと思えば、百年後の日本の旧制高校で愛されたり、山田耕筰の日本歌曲の手本になったりという話は今更いわずもがなだと思いますので、閑話休題)、

 
Am Brunnen vor dem Tore,
Da steht ein Lindenbaum,
Ich träumt' in seinem Schatten
So manchen süßen Traum.
 
Ich schnitt in seine Rinde
So manches liebe Wort;
Es zog in Freud' und Leide
Zu ihm mich immer fort.

第3段落以後、かなりドラマチックに作曲して、菩提樹の「呪い」を印象づけます。この曲が終わったころには、短調が暗く悲しい調子で、長調が明るい穏やかな調子であるなどとは思えなくなります。(だってこの曲における長調は、吹きすさぶ木枯らしにまじって聞こえてくる菩提樹の「呪い」の幻聴なのですから……。雪女は旅人の体温を奪ってしまいますが、菩提樹は暖かいやすらぎで旅人を誘惑する。どこかしら、共同体でまどろむことを恐怖している独身男(かつインテリ?)みたいな感じでもありますね。)

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で、さらに恐いのは、菩提順の「呪い」の長調を特徴づけるピアノ・パートの「三連符+付点」のリズム。このリズムは、「私」が菩提樹のもとを旅立ったと語る第3段落で鳴りはじめて、

このあとずっと、歌のバックで執拗に鳴っています。

曲が終わって「呪い」のリズムが鳴り止んだ。やれやれ、なんとか逃げ切れた、などという単純なお話で許してくれないのは、ホラー映画も「冬の旅」も同じです。このリズムは、次の「あふれる涙」になっても、まだ鳴り続けています。

このしつこさは、よく音楽史の教科書に書いてあるような「動機の統一」というようなものではないと思います。(そして「冬の旅」と同時期に書かれた作品90の「4つの即興曲」でも、第1曲の途中から強迫観念のように三連符の連打がいつまでも鳴り続けます。いったん曲はハ長調で終わりますが、次の第2曲も右手の運動の基本は三連符で、さらに第3曲でも、内声が3連符で動き続けています。)吉田秀和先生は、おそらくこういう、それ自体としては恐くないもの(だって普通の長調の響きですから)で怖さを演出してしまうところを含めて、最後の締めくくりが「菩提樹」ということなのでしょうか。たぶん、そうなんでしょうね……。