活字ハッカー吉田秀和の長い余生

ONTOMO MOOK [完全カラー保存版] 吉田秀和―音楽を心の友と

ONTOMO MOOK [完全カラー保存版] 吉田秀和―音楽を心の友と

迂闊にも程がある話ですが、つい先ほどこのムック本を読んではじめて、『レコード芸術』が去年の7月号で吉田秀和特集を組んでいたことを知りました。

去年の夏、吉田秀和の昔の本を色々読んだのは、そんなこととは全く知らずにやったことなのでした。

色々間違いや認識不足があったようなので、時間があれば訂正します。

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一番びっくりしたのは、東京の白石さん(←血縁関係等は一切ありません、面識もありません)が震災の前後にロング・インタビューをやっていたということ。

出生や家族のこと、戦争中のこと、戦後のあれこれから、全部率直に話してらっしゃったんですね。

あとあと「謎」が残ってしまわないように自分のことは全部話して、朝日新聞の評論家には全員漏れなく吉田秀和賞を出して、『レコ芸』の原稿はいつもより早めに仕上げてから死んだ、ということになりますね……。

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白石美雪インタビューを読んで、この人の前半生はコンピュータのハッカーに似ていると思いました。

『アルテス』の岡田暁生・片山杜秀対談で、吉田秀和は「結局、言葉の人だった」という話になっていましたが、青学の前身の寄宿学校に学んだお母さんから英語の手ほどきをうけて、小樽と成城でフランス語とドイツ語をやって、学生のあいだに語学については一生困らない水準に達しているのは、しばしば言われる「戦前の旧制高校恐るべし」の範疇ですが、

同じ頃に詩人とつきあって、言葉の生産現場を目撃して、そのあと、戦争末期の内務省では、紙の配給を統括するところにいたんですね。

これはたぶん、「言葉の人」という文学的な意味合いを突き抜けて、文字の読み書き+詩(書かれるべき内容)+紙、ということで、物質的な意味で、「本」を構成する要素をひととおり全部知ってしまった、ということであるような気がします。

「本」という舞台で活躍する作家になる前に、「本」という舞台(メディア)それ自体のアーキテクチャを全部知ってしまって、だから作家にはならなかった(なれなかった)、ということなのではないか、という気がしました。

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30歳頃までの吉田秀和の立ち位置は、コンピュータのエンジニアさんが、いわゆるインターネットの「新しい時代を開くコミュニケーション」(2.0とかクラウドとかソーシャルとか、その都度、目新しい標語がつくような)について基本的に大変クールな受け止め方をされるのと似た、冷静な「言葉のエンジニア」だったように見えます。

そして、内務省へ移る前の翻訳をやる部署で、言われた仕事はチョチョイのチョイでできてしまうから退屈で、やることがないから職場でおおっぴらに本を開いてシューマンを翻訳していた、という話は、強者エンジニアさんが仕事の合間に作ったものを公開してハッカー・デビューするエピソードにそっくりです。

縦割りの「大伽藍」に嫌気がさして、相互扶助的なコンピュータ・ネットワークの「バザール」へ流した成果物で名を上げて、アップルやグーグルにスカウトされるのと似た感じで、吉田秀和は役所勤めから音楽業界に入ったんですね。

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そう考えると、吉田秀和が最後まで良い意味のアマチュアリズムというか、フラットな感じだったのもわかるような気がしてきます。

いつの世でも若いもんが壁抜けするやり方は変わらない、ということかもしれませんし、

戦争前後の日本の活字メディアには、少し前の頃のコンピュータ・ネットワークのように、新しい人がひょいと出てくる活力があったということでもあるのかな、と思います。

戦後の音楽評論家としての60余年は、「言葉のエンジニア」だった30歳までに続く、長い長い余生、「第二の人生」だったのかもしれませんね。

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そして「言葉のエンジニア」としての第一の人生最後の大仕事は、出征した宮沢縦一のあとを受けて、戦争末期に、役所の中で権謀術数を尽くして音楽家を守ることだった、と吉田秀和は言います。

敗戦直後に、戦時中の戦争協力を隠蔽したり、批判を逃れるためにその種のことを吹聴して自己弁護した人たちがいたことが知られていますが、吉田秀和が今更そんなことをする必要はなさそうだから、本当にそうだったのかもしれない、と思ったのですが、実際のところはどうなのでしょう。

昨年の震災で吉田秀和は、日本はこんなにもダメだったのか、と落胆していたと伝えられていますが、

それはもしかすると、またもう一回ああいう危機的な時代が来て、誰かが身を挺して音楽家を守る役回りをしなければならなくなるかもしれないけれど、もう一回あれをやるのは辛すぎる、ということだったのかもしれませんね。

吉田秀和は、亡くなる直前に、「時代が変わった」と繰り返し言っていたようですが、おそらくそれは、19世紀の宿敵である20世紀が遂に終わって、再び古き良き19世紀が復権するぞ、バンザイ、ということではなくて、

石原慎太郎や橋下徹を相手に「文化を守れ!」の旗を振らねばならなくなる、なんていう立場をもう一回やるのはまっぴらだ、そういうのは、後に残った人たちでやってくれ、ということのような気がします。

吉田秀和は、彼の「文」を愛する人が思うほど文学的な人物ではないと思う(たぶん)。