定期演奏会Abonnementkonzertの回数と意味(朝比奈隆と佐渡裕・続報)

大阪フィル前事務局長・現顧問の小野寺昭爾さんからご連絡をいただきました。[8/16 ベルリン・フィルの公式記録をもとに、一部データを訂正。]

朝比奈隆はベルリン・フィルを1956〜58年に計3回指揮していて、3回目の1958年12月は「定期演奏会(3. Abonnementkonzert der Reihe A)」とのことです。[8/16追記 2回目の出演も、ベルリン・フィルの公式記録によると定期演奏会です。]

前に書いた記事(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110522)にも加筆しました。

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小野寺さんから、公演プログラムのコピーを添えていただいた、朝比奈隆のベルリン・フィル指揮データの概要は以下の通り。

  • 1956年6月21[、22]日 5. Konzert der Symphonischen Zwischensaison(シーズン間第5回交響曲演奏会) ベルリン高等音楽院ホール *芥川也寸志「弦楽のための三楽章」、大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」、ベートーヴェン「交響曲第4番」ほか
  • 1957年10月9日 Das Theater der Schulen(学生劇場)、同10日 2. Konzert[Abonnementkonzert] der Reihe C (定期演奏会シリーズC第2回) いずれもベルリン高等音楽院ホール *ベートーヴェン「交響曲第1番」、バルトーク「ピアノと管弦楽のためのラプソディ」(with アンドール・フォルデス)、レスピーギ「ローマの祭」
  • 1958年12月7、8日 3. Abonnementkonzert der Reihe A (定期演奏会シリーズA第3回) ベルリン高等音楽院ホール *ギュンター・ヴィアレス「ロマンツェーロ」[初演]、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」(with ヘンリク・シェリング)、チャイコフスキー「交響曲第4番」

佐渡さんのベルリン・フィル登場に関連して、

「ベルリン・フィル定期を日本人が指揮したのは、“最近では”小沢征爾に次いで2人目」

という言い方をしてしまうと、間違いではないけれども、故意に佐渡裕を小沢征爾に並べようとする印象操作の懸念あり。

勢いでうっかり

「ベルリン・フィル定期を日本人が指揮したのは、小沢征爾と佐渡裕だけだ」

と断言してしまったら、それは間違い、ということですね。

あと、単に「ベルリン・フィルを指揮した日本人」ということになると、戦前の近衛秀麿や貴志康一に遡って、さらに増えます。

それから、他に、岩城さんがベルリン・フィルを何度も指揮していたはずですが、「定期」を指揮したことはなかったのかどうか。正確を期すのであれば要確認でしょうね。

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関連して、知っている人には今更ですが、この機会に基本の確認。

オーケストラの定期演奏会ですが、これは、会員を募ってオーケストラが自主開催するコンサートのことで、宮廷から独立したオーケストラが出現した最初からある、近代オーケストラの基本と言ってよいシステムだと思います。

会員だけで数千人を集めることができれば、それがオーケストラ運営のベースになるから良いのでしょうけれど、現実には、多くのオーケストラは、そこまで会員がいなくて、定期演奏会であっても一般売りのチケットが出ていたりするので、外から見ると、他のタイプのコンサートと区別がつきにくいかもしれませんが……。

在阪オケなど、日本のオーケストラでは、年間に10回程度の定期演奏会を企画して会員を募るのが、現状では一般的であるように思います。

大阪フィルは、定期の会場をザ・シンフォニホールへ移したときに各定期が各2日公演になって、兵庫芸文センター管弦楽団は各3日公演。

じっくり練習できる日程が組んであったり、京響の場合は京都コンサートホールと提携して、ホールで本番と同じ条件でのリハーサルができる体制になっていたりして、オーケストラは、定期演奏会が活動の中核にふさわしい内容になるようにそれぞれに工夫しているようです。

で、集客力のあるオーケストラでは、年間10回だと会員だけで満席、聴きたい人が会員の空席待ちといったことになってしまうので、たとえばN響は、年間会員がA・B・Cの3プログラム(各9回)になっているようです。要するに、N響の場合は、年間に定期演奏会が27回、ほぼ2週間1回のペースですね。

もちろん、定期演奏会だけではオーケストラの経営が成り立ちませんから、他にも色々なコンサートをやっていて、そこで、(定期には登場しないような)色々な指揮者とも仕事をしています。

単にそのオーケストラを振るのと「定期を振る」のは意味が違う、というのは、こういう風に、定期の回数が少ない場合だから言えることなのだと思います。

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そしてベルリン・フィルですが、来シーズン(2011/2012)のスケジュールを公式サイトで見ると、A〜Nの13プログラム(各6回)のメニューが組んであるので、合計すると、定期演奏会が年に78回あるようです。毎週1回以上、定期演奏会をやっているんですね。現在の運営体制では、ほぼ「ベルリン・フィルに出演=定期演奏会出演」といえそうな状態みたいです。(佐渡裕が出演した5月には、ほかに、第1週がティーレマン、第2週がアバド、第4週がスクロヴァチェフスキー。)

一方、朝比奈隆の頃はどうだったのか。冒頭に書いたように、色々なタイプのコンサートに出ていますが、それぞれがどういう位置づけだったのか。その頃も、いまほど「定期演奏会」の数が多かったのかどうか。色々なファクターをちゃんと整理しないと、単に「ベルリン・フィルを振る」のと、「ベルリン・フィルの定期演奏会を振る」のがどれくらい意味が違うことだったのか、簡単には言えないかもしれませんね。

(ベルリン・フィルの過去の演奏記録は、きっと何かまとまったものがありますよね。そういうのを見ればわかるのだと思いますが……。)

そしていずれにしても、朝比奈隆も[1957年と]1958年にベルリン・フィルの定期を振っているのは間違いないようです。

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あと、これは私もうっかりしていたのですが、

今回、小野寺さんからご連絡があって確認してみたら、大阪フィルが出している朝比奈隆の海外での客演指揮記録は、これまで、オーケストラ名と日時・曲目だけが出ていて、その演奏会が「定期」なのかどうか、といったことは記載されていません。(データが不正確だと言っているのではなく、上に揚げたベルリン・フィルのデータを見ただけでも、煩雑になるのが明らかなので、仕方がないと思います。)

でも、大フィルは朝比奈さんの記録・資料をかなりしっかり保存しているので、朝比奈さんについては、大フィルへ問い合わせたらわかると思います。

小澤さんや岩城さんの過去の指揮記録は、どこかで誰かが正確なデータを把握できているのでしょうか?

今回の佐渡さんのベルリン・フィル出演が「定期を振った」という部分をフレームアップする感じになったのは、このあたりの位置づけが曖昧な部分が絡む微妙な事態だったかもしれませんね。

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ここからは想像ですが、佐渡さんサイドが「定期演奏会への招待なのだ」というところを強調したのは、オケをこっちが雇った形ではないことをはっきりさせておきたかったのではないかと思います。マネジメント的に、先方から招待されたのか、こっちが先方を雇ったのか、では、条件や意味が大きく変わりますから。

そして歴史を振り返ると、日本人指揮者が海外の有名オーケストラを指揮する場合に、外から見える形はどうであれ、ある種の条件を提示して「出演させてもらう」形が実際にあったようにも聞いています。興行の世界ですから、そういうこともあります。(朝比奈隆の戦後の欧州詣では、そういう形ではない契約を実現しようとした先駆的な取り組みのひとつと位置づけることができそうな気がします。)そして異例の抜擢の場合には、その種の噂話が業界内を飛び交ってしまったりもします。「定演に招待された」ことを強調するのは、そうした疑惑を事前に抑えるマネジメントサイドのリスク管理だったのではないか、と思われます。

ところが、記事を出すときのポイントを探している報道関係者さんが、本来ならば、いわば裏方向けの情報であったはずの「定期出演」というところに飛びついてしまった。(今回は、それなりに事情を勘案できるはずの音楽担当さんだけでなく、そのあたりがよくわからないであろう方面から取材・報道もあったようですし……。)

でも、過去に遡って「ベルリン・フィル定期演奏会に出演した日本人指揮者」をリスト・アップしたり、「そもそも定期演奏会とは」というところを整理するのは、ここまでに書いてきたように相当に面倒です。見切り発車的に、たぶん無難だろうと当たりを付けて「“最近では”小沢征爾に次いで2人目」という玉虫色の言い方が出回ってしまった、というような経緯ではないでしょうか。

とはいえ、報道がどこにフォーカスするにせよ、佐渡さんにとってベルリン・フィルと一緒に仕事をするチャンスを得たことは大きな経験だったに違いないですし、わたくし自身は、以前にも書いたように(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110522)、「佐渡裕の“演奏”を云々できるのは20年後ではないか」という気持ちに今も変わりはありません。