承前:掛け持ちできなかった公演のこと

OGTー301 芥川也寸志 弦楽のための三楽章(トリプティーク) (Ongaku no tomo miniature scores)

OGTー301 芥川也寸志 弦楽のための三楽章(トリプティーク) (Ongaku no tomo miniature scores)

スコア 外山雄三 管弦楽のためのラプソディー[改訂版] (Zen‐on score)

スコア 外山雄三 管弦楽のためのラプソディー[改訂版] (Zen‐on score)

9/10、昼間の大津と夜の大阪クラシックをハシゴできた程度でいい気になってはいけない! この日は、私の知らないところでも色々なことが起きていたようです。

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一つ目は、大阪クラシック最終日、わたくしが到着する以前の公演の数々(大阪フィルのブログより)。

http://osakaphil1947.blog66.fc2.com/blog-entry-255.html

野津さんの「ハーメルンの笛吹」ならぬ「御堂筋の笛吹」が恒例になっていたとは不覚にも知りませんでした。と同時に、おお、と思ってしまったのは、この日14:30からの公演で、大阪フィル弦楽セクションが芥川也寸志「トリプティーク」を弾いていたという事実!

私が勝手に意味づけして興奮しているだけ、という説もありますが、^^;;

「トリプティーク」は、朝比奈隆さんが1956年6月のベルリン・フィル演奏会で大栗裕の「俗謡」とともに演奏した曲ではないですか。

同年8月の帰朝記念演奏会では、大阪フィル(当時は関西交響楽団)自身がこのコンサートを再現して、産経会館(御堂筋とはお隣の四つ橋筋沿い)で、「トリプティーク」&「俗謡」を演奏しています。1956年は大植さんが生まれた年だそうですが、その年の6月のベルリン、8月の大阪で鳴った2曲が、55年後に再び……。偶然とは思いますが、長原さん率いる大フィル弦楽セクションは、「トリプティーク」をやったあとでの「俗謡」だったんですね。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100807/p1

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もう一つは、聴いていながら前のエントリーで書き落としていた大阪クラシック今年の最終日最終公演のアンコールに関連するのですが、

まず確認しておきますと、「俗謡」が本プロに含まれた大阪クラシック最終公演のアンコールは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」(八木節)でした。

大栗裕&外山雄三、「俗謡」&「ラプソディ」が同じ演奏会に並ぶのは、吹奏楽だと、それほど珍しいことではないかもしれませんが、オーケストラのコンサートでは、(そもそも「俗謡」は大阪フィル以外があまり取り上げませんから)あったとしても久々だったのではないでしょうか。曲調がカブル感じもあって、2曲両方を同時に取り上げることは意外に稀ではないかという気がします。

そして、「俗謡」の作者、大栗裕はすでに世を去っていますが、「ラプソディ」の外山雄三さんは、これも偶然の一致ですが、この日9月10日は関西に来ていらっしゃいました。京響定期演奏会です。

http://www.kyoto-symphony.jp/blog/?itemid=111

演奏後のレセプションでは、80歳を迎えてのお祝いがあったようで……。

わたくしが大津への往復で都合2回京都を通過したその間に、北山でこういうハートフルな交流がなされていたんですね。

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外山さんは、(正確な記録は大阪フィルさんが把握していらっしゃるはずですが)朝比奈さんほどではないにしても、「俗謡」を何度も指揮しています。

60年代に京響の常任指揮者だっただけでなく、大阪フィルと多くの仕事をしていらっしゃいますし、生前の大栗裕とは、一緒にコンサートをやったこともある間柄。99年には、大阪フィル定期演奏会で「俗謡」1956年初稿の蘇演を指揮しています。

(実は、9/24に大栗裕と外山雄三のヴァイオリン作品を組み合わせて演奏するレクチャー・コンサートを予定しておりまして、詳細のご案内は、別立てのエントリーでと思っているのですが……、それはともかく、)

2011年9月10日の大阪クラシックは、リストとレスピーギを一緒に演奏した日であると同時に、大栗裕・芥川也寸志・外山雄三が久々にそろい踏みした日でもあったんですね。しかも、外山さんご自身がお隣の京都に来ていらっしゃったのだと思うと、不思議なご縁というか何というか。

参考:大栗裕と「三人の会」 → http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/ohguri-fantasia-osaka2.html

大栗・芥川・外山というと、いずれも親しみやすく良い意味で折衷的。作風は比較的近いですし、いずれも、幅広いお客さんに楽しんでいただくコンサートに向く代表作がある人たちですから、一緒に組み合わされても不思議ではないですが、今回は、実際にギュッと一箇所に集まった感じになったようです。

凄いことが起きたというのではなくて、起きておかしくないことが、起きるべきタイミングでごく自然に起きた、という感じでしょうか。

大植さんが東京で小倉朗を取り上げたあたりが、こういうことの起きる前兆だったのか。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110706/p1

「お祭り男・大植英次」の周りでは、こんな風に起きるべきことが起きる。

P. S.
9/10は、夏の休暇明けの週末ということで、本当は他にも色々な団体の公演が各所であったんですよね。たとえば、いずみホールではデュメイの弾き振りで関西フィルがモーツァルトをやっていますし、堺シティ・オペラはプッチーニの「妖精ヴィリ」をやっています。

前に「複数の声」などということをちょっと書きましたが、ひとつしかない己れの身体、ふたつしかない自分の耳には届かないところで、たくさん音楽が鳴っていて、そこに関わるたくさんの人たちがそれぞれに動いているというイメージは、やっぱり色々なことを考えるときの基本ではないのかなあ、と思います。

国内の「地方」のひとつである関西ですらこうなのですから、大都会東京ではなおさらなのでしょうし、そのさらに東(北)では……。

3.11の直後に、ビートたけしが「何千人の死、何万人の死」というのは、「何千、何万」という数があるのではなくて、「一人の死」が何千、何万あるということだ、と言っていたそうですが、そういうことだと思います。

そこを踏まえたうえで、それじゃあ、いったい何時どういうやり方で、「抽象化」が可能であり、許されるのか。賢い人が賢い人として尊敬され、それなりの立場で遇されるのは、きっと、そのような「抽象化」の途方もないパワーを適切に行使するモラルと技術を備えていると信じられ、期待されているからだと思うのですよね。

だから、そんなに気楽に、東電で起きたことを他人事だと思えないはずなわけで……。

この半年間は、分野を問わず、賢い人たちが徹底的に厳しくチェックされてしかるべき時節であったのではないか、と思いますし、少なくともわたくしは、やや自己弁護的に振り返ると、そんなことばっかり次から次へと考えていたなあ、と思います。

標的になった関係各方面には、申し訳なかったですが……。

「東日本」と公式には総称されているらしい場所で大変なことが起きたと伝えられて、それはわたくしが一度も行ったことのない場所で一度もお会いしたことのない方々の身に起きたことなのだけれども、それを「私ではない誰かの身に起きたこと」という語法で語ってしまった途端に厳しく非難されてしまいそうな緊張感が明白にあって、それじゃあその大変な出来事をどうすれば「自分事」として受け止めることができるのか、と考えたときに、わたくしには、こういうことしか思いつくことができなかった、というか……。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110311/p1