コンサートの二重化、というお伽噺

ゲーム化する世界: コンピュータゲームの記号論 (叢書セミオトポス)

ゲーム化する世界: コンピュータゲームの記号論 (叢書セミオトポス)

かつてはロンドン・フィルハーモニー協会、ウィーン楽友協会のように、コンサートにおいて、ユーザー(聴き手)が同時に作り手(主催者)でもあったが、現在では、両者が分離・分業されており、ユーザー(聴き手)は、

「今期当ホールは○○を自信を持ってお客様にお聴きいただきます!」

等々、コンピュータゲームでいえば画面上の表示に相当するかもしれない広告を通じて、コンサートにアクセスする。

このようにして、ミュージシャンはアイコンであると同時にオブジェクトでもある存在として、記号論的に二重化される。(←ホンマかいな?)

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さしあたり、ミュージシャンはスクリーン(広告)上に表示されたアイコンである。

ユーザーが○○や××といったミュージシャン名をクリックすると、ユーザーの前に、何月何日何時からのコンサートという新しいウィンドウが開く。

しかし同時に、このような一連の動作のバックグラウンドでは、ユーザーへの課金システムやミュージシャンのマネジメントというOS、特定の場所への人の移動、人から人へ、団体から団体への物と金の移動といった複雑なハードウェアが稼働しており、ミュージシャンは、そのようなシステムに組み込まれたオブジェクトでもある。

とはいえ、アイコンもオブジェクトも、広い意味ではどちらも記号ではないか、という意見もあるだろう。

現在のコンサートには、ユーザーがスクリーン(広告)の表示を彼の知る外界と関連づけながら表象する、いわばミュージシャン記号の「意味論」的な価値づけと、興行システム内で稼働するいわば「統語論」的な価値ないし機能が同時に作用する。コンサートにおけるアイコン/オブジェクトの二重化は、このように言い換えることも可能だろう。

ユーザーに対するスクリーン(広告)上のアイコンが、

「当ホールが○○を招聘して、コンサートを開催する」

という意味論的な脈絡で表示されるとき、マネジメントOSのレイヤーでは、そのオブジェクトが実は国際的なマネジメント組織(もしくはそのミュージシャンの個人事務所)によるワールド・ツアーの一環であり、そのホールが当該地域での公演枠を仕入れる、という手続きが進行しており、なおかつ、芸術家の国際交流に関する公的助成を得て、そのコンサートのためにその日ホールというハードウェアを稼働させるのに必要な諸経費は、実質的にはホール自身が負担していない、ということがあり得るかもしれない。

ミュージシャン記号は、

「△△基金の助成により、○○のワールド・ツアーに当ホールが組み込まれることが決定して、ユーザーへの課金が各団体の諸経費に充当される」

というシンタクスで制御されているかもしれないわけである。

通常、こうしたミュージシャン記号の統語論的な動作は、広告の隅に小さく列挙された「主催・共催・後援・協力……」等の文字列によって示唆される。

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一方、ミュージシャン記号が会場に直接公演を売り込む(こっちからお願いするのだからギャラはお気持ちだけで十分です(マネジメントも了解済みなので……))、というケースも存在すると推定される。この場合、ユーザーへの課金の大半は、当日そのホールを稼働させるための諸経費に直接充てられることになるだろう。

文字通り

「当ホールが○○のコンサートを開催する」

というシンタクスで制御された記号作用である。

しかしこの場合、広告というスクリーン上でのミュージシャン記号(アイコン)は、

「今期当ホールは○○を自信を持ってお客様にお聴きいただきます!」

という意味論の脈略には収めてもらえないかもしれない。広告スクリーンについては、

「△△基金の助成により、○○のワールド・ツアーに当ホールが組み込まれることが決定して、ユーザーへの課金が各団体の諸経費に充当される」

といった手順で所定のオブジェクト=アイコンを登録するフローが確立していることがしばしばだからである。

マネジメントOSの設計によっては、このフローに乗らないアイコンを広告スクリーン上へ登録する手段が一切用意されていない場合があるかもしれないし、本当にホールが主催するコンサートのアイコンを「特例として」登録するためには、OSを書き換える余分なコストが発生することも珍しくない。

「ノーギャラでいいから場所だけ使わせて欲しい」

というミュージシャンオブジェクトの意向は、諸団体が連携して所定のギャラが発生するマネジメントOSの通常動作より、かえって「高くつく」かもしれないわけである。

突貫工事でOSにパッチを当てて、どうにかアイコンの登録はできるようになったけれど、肝心のアイコンに使用するビットマップ画像のリソースがないので、大慌てて手近なグラフィックデザイナーに発注するも、納品された画像データは、広告スクリーンの統一されたデザインとはどうにもしっくり合わないので、「うちの地元には、やっぱりまともな人材がいないんだわ」という愚痴が思わず口をついて出てしまう……。

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大阪大学が大規模研究プロジェクトとして「インターフェースの人文学」とか「コンフリクトの人文学」というテーマを掲げたのは、おそらく、グローバル化の悲喜こもごもとして世の様々な局面で噴出しているに違いないこうした事案をすくい上げようとする含みをもっているのであろうと思われるわけだが、

このお伽噺はフィクションであり、実在の個人・団体とは一切関係ありません、

と表示しておくのが、今みなさまが読みつつあるコンピュータ画面上に表示されるべく、手元で文字列を入力する際の一般的な作法なのは言うまでもない。