オーケストラの「標準カタログ」

発表されたセンチュリーの来年度のスケジュールを見ながら、そう思った。

2管編成のオーケストラを新たに作って、「これだけはレパートリーとして揃えておきたい作品」をリストアップして、それをそのまま並べたように見える。幸いなことに、オーケストラをゼロから作るわけではなく、リストアップした作品はどれも間違いなくこのメンバーだったらちゃんと演奏できるから、だったらこれでいきましょう、という感じがする。

穴はないけれど、これというポイント、こういう音楽をやっていきたい、という指揮者や楽団の方向性みたいなのは見えない。

でも、「思い」なんぞがなければいけないか、というと、ひょっとしたら、そういうのなしに、クセのないラインナップにしたほうが平均点はアップするものなのかもしれないので、これでいいのかもしれない。

プロのオーケストラが存在しなかった地域に、ある日突然、これだけポピュラリティのあるプログラムと出演者を揃えた楽団が出現したら、きっと地元の音楽ファンは嬉しいと思うけれど、大阪でこのメニューがどう受け止められるか、それはやってみないとわからない。

指揮者個人が真価を世に問う、とか、楽団のあり方が問われる、とかいうのではなくて、「何も足さない何も引かない標準メニュー」(購入直後のパソコンのような)でどこまでいけるかやってみよう、と関係者がこのオーケストラを使って壮大な社会実験をやろうとしているような感じがする。

さて、どうなるか。

もし一定の成果が出たら、同種の「標準メニューオーケストラ」を全国各地にフランチャイズ展開する可能性が開けると思うので、きっと嬉しい人には嬉しいはず。「ショッピングモール化するオーケストラ」のフラッグシップ。センチュリーは既に大阪府の手を離れたけれど、自治体の楽団を作って、こうしてこうやったらこれだけの売り上げがありますよ、と説明するときのサンプルとなるべく、頑張っていただきたい。

(たとえば12の都市で同一プログラムを一ヶ月ずつズラして上演すれば、指揮者も効率的でいいかもしれない。シネコンならぬオーケストラ複合体。そんな「夢」(誰の?)に向けた第一歩なのかもしれないね。)