なぜかと言えば、確かに余剰労働の搾取があろうと、この場合両者の取引関係は自由な合意に基づくものである。つまり労働者が資本家と取引し、自分の労働を売り渡すのは、そうすることがそうしないことよりも望ましいから、たとえば資本家と取引せず自力で何かするよりも、資本家から賃金を支払われたほうが大きな利益を得られるからにほかならないだろう。つまり「搾取されない状況」よりも「搾取される状況」が、他ならぬ労働者自身にとって望ましいから、であろう。つまりこの意味での「搾取」は労働者自身の状態の絶対的改善、そして社会全体の状態のパレートの意味での改善と何ら矛盾しないのだ。(231-231頁)
- 作者: 稲葉振一郎
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学校のクラブ活動に業者(プロの指導者や楽器・楽譜購入など対価と引き替えでの情報・現物の供与)が入ることの是非を、マルクス主義の意味での労働者の搾取の問題と同列には語れないと思いますが、自給自足のユートピアの夢を破って、俗世の市場原理のサイクルに「社会的弱者」(とされる者)を組み込むことの是非が、類似のロジックで苦悩・議論されうる雰囲気が、ポスト全共闘な1970年代の日本にはあったような気がします。
そしてそのときに、「日本の吹奏楽」は、全面的に資本主義を肯定する路線に舵を切り、開発型の文化産業をフル稼働させることで、学校の文化系クラブ活動としては例外的な繁栄を得た、と言えるかもしれませんね。
日の丸の軍隊が海の外を「侵略」することは二度とあってはならない、とする平和教育の牙城であったところの公教育の現場を拠点・ベースキャンプとして、日本の全国津々浦々が、「内なる未踏の地」として、軍楽隊の末裔と言えないこともない編成の合奏音楽に制圧されて、今日に至っているわけでございます。
管楽合奏は、「日本の吹奏楽」にかぎらず、たいていの地域で、とても強いんですよね。しばしば建て前のイデオロギーを突き抜けて進む。なぜなんだろう。
北米の吹奏楽の中心地が、かつてのブッシュ父子共和党の盤石の支持基盤だったとされもする中西部だというのも、すごく気になる。
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