「黙ってオレについてこい」と「みなさんの幸せのために」

飯森範親は、プレイヤーがひたむきにオレについてきてくれているときに、「音楽やってる実感」があるタイプなのだろうと思う。山形で、そのスタイルがどうすれば事業として大きく育つか、ということを一生懸命考えて、その結果として現在の形があるようだ。

下野竜也は、どの音楽、どのプレイヤー、どの楽団とも公平に等距離で接しているように見える。あまり知られていないけれども演奏されてしかるべき曲があれば、既によく知られている曲と平等に扱ってレパートリーのデコボコを均す。目立たないけれども十全に響いてしかるべきパートがあれば、目立ちすぎてしまうパートに隠されてしまわないように演奏を整える。そして、そういう演奏のクオリティを、どの楽団と共演するときでもキープする。

飯森範親に「周りが見えてきた」ときに何が起きるか、そして、下野竜也が何かを猛然と「えこ贔屓」しはじめたときに何が起きるか?

そのときが来たら、見逃さないように、聞き逃さないようにしたいものだと、心の準備をしてずっと待っているわけだが、まだ先の話のようだ。人生は長い。