疑似構文

http://blogs.yahoo.co.jp/katzeblanca/26257743.html

また、アルトゥール・ルービンシュタインは「……」と語り、5回連続リサイタルというアイデアに刺激を受けたルービンシュタインは、翌年同じカーネギー・ホールで10回連続の歴史的なリサイタルを開催することになった。

最初はこう書いていて、でも言い切りでは語尾が寂しい気がして、あとから「……のはよく知られています」と書き足し、その際、前に出ている「は」を「が」に直すのを忘れた。

それだけのことなんじゃないか。

何もないほうがシンプルでいいのにね。この文、長すぎるし。

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日本語は、文末に色々くっつけてニュアンスを工夫することができる。

「……のはよく知られています」も、「のです」とか「なのだ」とかと互換性のあるレパートリーとして運用されているように思う。

ところが、「……のはよく知られています」は、おそらく、欧文の構文を翻訳するなかで編み出された言い方で、「助動詞」系の文末にお好みでくっつけられる言葉群と、効果は似ているけれど由来が違うし、この言い方を最後に入れるときには、あらかじめそのつもりで、「は」が重複しないように前のほうで下準備しておかねばならなくなる。

かように、欧文翻訳の必要から「増設」された言い回しが現在の日本語の書き言葉には色々ある、ということなのだろうと思う。

国語学・日本語学でどう説明しているのか知らないけれど、複文とか接続法という欧米語の文法概念をいきなりもってきて「糺す」ことができる現象ではなさそうに思う。

文法とは何か、という話も絡む。私はこういうの結構好きだけど、大久保くん、このあたり大丈夫、頭のなかでちゃんと捌ける?

(阪大で隣の建物が「日本学科」で、そこの日本語学は外国人の日本語教育のことをやっている人たちもいたじゃないですか。外国人が日本語習得のどこでつまづくか、日本語がどう教えられているのか、そのあたりの話は昔読んで面白かった覚えがある。頭のなかが欧米からの輸入でパンパンにふくれあがる貿易収支の不均衡を是正する意味でも悪くないかも。

欧米語も、書き言葉を読むことに特化した実用文法と、会話教室のカリキュラムでは説明の手順や力点が違っていて、それは、書き言葉と話し言葉は別物で、両方要るなあ、と改めて知る機会にもなる。

書き言葉は文字を上下左右に往来できるけれど、話し言葉は前から順に発声するから、意識のありかたが多少違うだろう。

……と考えていくと、音楽の話ともつながりが見えてくるわな。)