『キーワードで読むオペラ/音楽劇研究ハンドブック』

(1) 384頁 第1段落6〜7行目:

清水脩が作曲した《修禅寺物語》である(放送初演はこの前年におこなわれていた)。

  • 修禅寺物語の放送初演は、関西歌劇団による舞台初演(1954年11月6日)の直後、1954年11月18日(朝日放送、文部省芸術祭放送による参加)です。
  • この作品の放送初演を1953年としている資料は、私の知る限り、昭和音楽大学オペラ研究所『日本オペラ史1953〜』(水曜社、2011年)の以下の記述のみです。

「民間放送のABCは、開局3周年記念で清水脩(1911-1986)に委嘱した《修禅寺物語》を1953年11月18日に放送して芸術祭賞となり、翌年11月4〜6日に大阪朝日会館で初演。」(33頁)

  • 朝日放送の社史、文部省(現文化庁)芸術祭の公式記録では、この作品の放送と芸術祭賞受賞は1954年となっています。上の引用は、修禅寺物語の放送初演を1953年であると誤って認識して書かれた事実とは異なる記述であり、今回の記述は、二次文献の誤った記述を検証することなく孫引きして、誤りを再生産しているように思われます。

(2) 同頁 同段落10〜11行目:

小倉裕の《赤い陣羽織》(木下順二の台本)

  • 1955年に関西歌劇団が初演した「赤い陣羽織」の作曲者名は大栗裕です。

(3) 同頁 同段落最後の2行:

[関西歌劇団は、]邦楽器を使用した清水脩《炭焼姫》(宇野信夫の台本)などを上演した。

  • 私の知る限り、関西歌劇団が20世紀の間に「炭焼姫」を上演した記録はないと思います。
  • 私はこの作品の詳細を知りませんが、一般的には、1957年にNHKラジオで放送初演、同年に二期会(研修生卒業公演)で舞台初演、とされているようです。

偶々、私が集中して調査している時代・地域・ジャンルに関する記述なので誤りを正確に捕捉できてしまったに過ぎないかとは思いますが、学生・研究者を読者と想定して、オペラ研究の活性化を目指して刊行された著作なのだとすれば、日本におけるオペラの受容/変容は、日本の研究者が一次資料に遡って厚い記述を実現できる恰好のテーマではないかと思われます。

研究の活性化の恰好の起爆剤となりうる箇所、たったひとつの段落に、校正漏れと思われる固有名の誤記(上記(2))、先行研究の不十分な検証(上記(1))、おそらく執筆時の混乱と思われる当該オペラ団体とは無関係な作品の記述の混入(上記(3))が集中していることを、私は大変残念に思います。

東京の研究会、東京の出版社の方々にとって、関西のオペラは、中世・ルネサンス期のイタリアや20世紀の北米・ハンガリーよりさらに遠い「未開の僻地」である、ということでなければよいのですが。