片山杜秀「音盤考現学」の書評(いずみホール音楽情報誌「Jupiter」Vol.109)

いずみホールの情報誌「Jupiter」に、片山杜秀さんの話題の新刊「音盤考現学」の書評を書かせていただきました。ホールのロビーなどに置いてあると思いますので、よろしければご覧ください。

(「追記」とそこへの「追記の追記」は長くなったので文末に移動しました。)
「音盤考現学」は、すでに「レコード芸術誌で吉田秀和氏絶賛」をはじめとして、讃辞が駆けめぐっておりますので、今さらなのですが。そして、原稿を出した2月始めの段階で(〆切はかなり早かったのです)こんな風に「話題沸騰」することを予想できていたら、もうちょっと違う書き方をしたほうがよかったのかなあ、と今となっては思ったりもしていますが、

「裏」情報まっしぐらのサブカルチャー路線ではなく、クラシック音楽の「表」通りのオシャレな癒し系でもない、新世紀の音楽論だ。

というように、割合まっとうに誉めております。

片山杜秀の本(1)音盤考現学 (片山杜秀の本 1)

片山杜秀の本(1)音盤考現学 (片山杜秀の本 1)

本の完成度が高くて趣旨鮮明で、しかも、文章(話術?)が巧みなので、その分、かえって触り方が難しい。

こういう本の書評をすると、書き手のポジションとか度量とか、文章の上手い下手が丸見えになってしまうことになりそうだな(だって、著者以上に上手な「語り手」はめったにいないでしょうから)と、試験を受けているような感じがありまして、記事は600字の小さなものですが、それなりに色々工夫しながら書いたつもりではあります。(例えば、誰も気付かないと思いますし、それで全然かまわないのですが、上の文章も、字面で「裏街道」という言葉を連想させつつ、別のニュアンスともひっかけたかったので「裏<情報>」という言葉を使っております。片山さんのような目の覚める大技は、わたしにはありませんので、仕方がないのでディテールにこだわってみました。)

あと、ほとんどの方の書評に出てくる「博識」(著者はとてつもなく博識である)というキーワードを使わずに頑張ってみたつもり。

片山杜秀さんは、たまたま去年の後半から2回ほど実際にお姿を拝見する機会があって、マニアックに膨大な情報をもっていらっしゃるのだけれど、ご本人がとても礼儀正しいのが印象に残りました。その記憶もあって、媒体がいずみホールの情報誌でもありますので、「この本は、かなりマニアックではあるけれど、演奏会後のディナー(例えばホールの隣のニューオータニかどこかで)の会話の話題にしても、たぶん大丈夫」という線でまとめてみたつもりなのですが……。

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とはいえ、やはり、「レコード芸術」の吉田秀和先生の芸風には誰もかないそうにないですね。文頭でいきなり「音盤考現学」を紹介して、「教えられることばかり」と誉めていらっしゃるわけですが、そのあとは、知らん顔して、宇野功芳さんのことなどを延々と書いて、「面白がる感性」をもつ人がいるかぎり、音楽評論は安泰、と文面上では平和な形できれいに締めくくられているわけです。読んでいて、小心者のわたくしは、本当は「面白いだけでいいの?」とおっしゃりたいんじゃないのだろうか、と心配になったりしました。

(それでも、引用されるときには、全体の文脈から冒頭の「絶賛」だけが切り離されることになるだろう、というのはおそらく折り込み済みで、ちゃんと「絶賛」部分が、そこだけセパレートに利用できるようになっている。さすが、ですね。)

片山杜秀さんは21世紀の宇野功芳なのか、違うとしたらどこがどう違うのか、それとも同じなのか、それが吉田せんせいの読者への、というか、「評論家」を名乗る人間への言外の「宿題」なのかな、と思いました。

わたくしとしても、誉めてしまった手前、片山杜秀さんには、本当に、ただのサブカルでも、ただの癒し系でもない、「21世紀の本格派」になっていただきたいと思っております。

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手元に届いた「Jupiter」最新号を読んでみると、来年度のベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲リレー演奏企画にちなんだ渡辺和さんの記事があって(京都のアルティ四重奏団、上村昇さんの歴史的な位置づけが感動的)、水谷彰良×岩田達宗のロッシーニ対談があって、片山杜秀さんの弦楽四重奏入門の連載(マニアックに始まり「賢く」終わる典型的な「片山節」)があって、情報誌の常でホールの企画の宣伝ではあるわけですが、読み物として充実していました。

[追記]なお、版元さんのブログでは、雑誌編集部による広告であるかのような紹介になっていますが、小さいながらも署名入りの書評です。もちろん、いずみホールからは原稿料を頂戴していますが、それは、きれいごとに聞こえるかも知れませんが、煎じ詰めれば「<読者>が読んで損をした、と思わない文章を書きなさい」という司令であり、そのような読者サービスに対する対価であると認識しています(他の原稿依頼の場合も同様に私は考えています)。また、版元さんからホールを通じて献本していただきましたが、そうした場合であっても、私は「いいかげんなおべんちゃらを書かないことが<著者>に対する最低限の礼儀である」と常に考えています。書いて公開された記事を販促等に利用されるのは自由ですし、そういうことも当然あるだろうと思いますが、最初から「広告」として書くのとは意味が違うと思いますし、今回も別に版元やホールに頼まれて無理に誉めたわけではありませんので念のため。http://artes.seesaa.net/article/89412483.html[追記おわり]

[追記の追記]アルテス・パブリッシングさんのブログが、追記を入れてくださいました。お忙しいところ、お仕事を増やすようなことになってしまって申し訳ありませんでした。ビジュアル志向の雑誌のレイアウトというのは、バランスが難しいものなのですね。ちょっとだけ、仲俣暁生さんが書いていらっしゃった雑誌のデザイン論を思い出してしまいました。(http://d.hatena.ne.jp/solar/

「9.11」の前後で何かが変わっているかも?という話は、正直に告白すると、「実は片山杜秀さんがレコ芸の目立つ場所でのコラムを書くことに慣れて来られて、読者との関係性が安定して文章がなじんできただけなのかも」、いくらなんでも言い過ぎ・読み込みすぎかもしれないな、とも思いました。

でも、話が面白くなるから、敢えて書いてしまえ、と思ったのでした。

許光俊さんが、片山さんの「天上の神の視線」ということを書いていらっしゃって(http://www.hmv.co.jp/news/article/802220166)、90年代を思い起こさせる「セカイ系」(言葉の使い方が適切なのかちょっと自信はないのですが)的な発想が片山さんの右翼論や音楽論につながっているというストーリーは、90年代からの歩みをずっと見てこられたからこその指摘なのだろうと思うのですが、

逆に、そんな片山さんが初の音楽関連単著で「地上に降りてきた」ことにしてしまうと、さらに話が面白くなるもしれない、と思って、つい、「9.11」を書いてしまいました……。

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重ね重ねお騒がせして失礼しました。[追記の追記おわり]