黒船の「国難」は本当に深刻だったのか - 奥中康人「国家と音楽」

明治政府の音楽取調掛と上野の東京音楽学校で、日本の唱歌運動を主導した「洋楽受容」黎明期の最重要人物、伊沢修二の思想と足跡を、故郷、信州・高遠藩の洋式軍楽・少年鼓手時代まで遡ってまとめた本。

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代

国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代

「国体の細胞としての国民の身体」という、これだけ書くと危険な全体主義のように見えてしまう思想が、ドラム・ロールに合わせた歩兵の行軍や、お遊戯込みで唱歌を「斉唱」する子供たち、という極めて具体的なイメージとぴったり結びつく、非常によくできたモノグラフィだと思いました。
ここまで見事に「近代化の必然」を描き上げられてしまうと、「あとがき」で、天皇家の方々がチェロやヴィオラのように「しがらみのない楽器」を演奏する清々しいお姿が、学校教育における「歴史意識の欠けた「和の文化」」の気持ち悪さとは全く異なるものである、という著者の感慨が心に染みます。

ただ、気になったことを2つ。

●黒船の「国難」の緊急度

本書では、伊沢修二の唱歌運動を正当化するロジックとして、「当時の世界情勢では不可避であった」、「近代化しなければ、日本には植民地化の危機が迫っていた」と何度か説明されているのですが、そして、これが私達の漠然とした「常識」に近い歴史イメージではあると思うのですが、これ、本当なのでしょうか?

勤王の志士たちが「アヘン戦争に破れた清のようになってはならない」と口角泡飛ばして議論、奔走する、というのは司馬遼太郎の歴史小説でおなじみの場面ですが、実際の当時の国際情勢において、「日本の植民地化」はどれくらいリアルな選択肢だったのか?

現実には、軍艦でほんのちょっと脅すと、それだけで国内がパニックになって、武力占拠するまでもなく、日本は開国・友好の姿勢に変身したわけですね。武力による占拠・植民地化は、やる側も相当なコストがかかるはずですし、日本が勝手にパニックになった時点で、「これはこのままにしておくほうが安上がり」と、割合早い段階で欧米列強が判断していた可能性はないのか。日本の「近代化・必然」論が、良くも悪くも、脅されてビビった過剰反応だった可能性はないのか。

もちろん、「弱腰」の柔らかい対応は重要な知恵ではあると思います。

日本の対応が「柔軟」だったからこそ、1901年にロンドンで上演されて、1904年にプッチーニがオペラ化したお芝居「蝶々夫人」では、アメリカが男(ピンカートン)、日本が女(蝶々さん)とイメージされたのでしょう。日本は、ピストルをちらつかせると、あっさり、アメリカ人のための快適な住まいを用意した(=弱腰)。

でも最終的に、彼女(日本)は、本当は父祖伝来の短刀を隠し持っていて、最後に「誇り」を保った(=日英同盟、条約改正)。

このお芝居、「日本をゲイシャで代表させるとはナニゴトか」と長らく日本では「国辱」とされていて、今でも、日本人が観て納得できそうな映像(DVDなど)がない状態で……、唱歌運動で統率の取れた「国民の身体」を作り上げようとしていた日本の「坂の上の雲」な官僚の方々は、なんたること、と思っていたのではないかと想像します(日本における蝶々夫人受容の研究って、既にあるのでしょうか)。でも、1901年=日英同盟締結の時期の状況としては、結構、よく出来ているような気がするのですが、どうでしょう。ヨーロッパの人たちは、ちょうど伊沢修二の時代と重なるペリー来航以後50年の成り行きを、「アメリカ人は大雑把で、ひどいことをする奴だ」、「日本は逆境でよくやっている、ひたすら耐える姿は実に美しい」と第三者的に眺めていた、その感じがよく出たプロットのような気がするのですが……。(中国をめぐるおとぎ話「トゥーランドット」に比べれば、はるかにヴェリズモな同時代極東の物語。)

不安を煽ることで改革を有利に進めるのはプロパガンダの常道で、例えば、前の前の総理大臣の得意技。「そんなことでは、シリコンバレーに世界を征服されてしまうぞ」と「ウェブ進化」を喧伝する、というのもそうだと思います。「日本に植民地化の危機」というのは、当時の憂国の壮士風プロパガンダを鵜呑みにしている危険がある言い方ではないかな、という気がちょっとしました。(案外、勤王の志士のほうが、ヤマドリのようにゲイシャさんを身請けしようとしたりしていたのではないか。そう考えると、「蝶々夫人」がニッポン男子を怒らせたのは、「椿姫」がパリの紳士各位の裏生活を暴いている程度に「社会派的」で、「近代日本」の痛いところを付いていたのかもしれませんね。藤原義江がピンカートンを歌いたがらなかったという、ちょっと心が痛むエピソードもありますし。)

●「身体の近代化」への批判・批評は可能なのか

この本は、参考文献に三浦雅士「身体の零度」や兵藤裕己「演じられた近代」などが挙がっていて、明治政府の施策が「国民」にふさわしい「ニュートラルな身体」を作り上げたのだという、2000年前後の近代化論のトレンドをぴったり抑えつつ、対象を「唱歌運動」に特化した各論という位置づけになるのだと思います。

ただし、そうした「身体の近代化」を処理する著者の手つきと位置どりが違う。

三浦本や兵藤本は、武智鉄二の「ナンバ論」をもってきて、「近代化以前の身体のありよう」というオルタナティヴを示しながら話が進みます。

(三浦雅士は、基本的にリベラルな「いい人」で、忘れられた人材を発掘して売り出す編集者ですから、武智鉄二に、失われた前近代を取り戻す可能性があるかもしれない、という希望をにじませる。

身体の零度 (講談社選書メチエ)

身体の零度 (講談社選書メチエ)

兵藤裕己は、天皇制を網野史観に近いところで読み直そうとしていた「太平記<よみ>の可能性」の立脚点からやや後退している気もするのですが、

太平記<よみ>の可能性 (講談社学術文庫)

太平記<よみ>の可能性 (講談社学術文庫)

アングラ演劇をやっていたお兄さんを身近で見ていらっしゃったせいなのか、武智鉄二は60、70年代に「消費」され尽くして、もうアクチュアリティを失っていると考えていらっしゃるような雰囲気。

演じられた近代―“国民”の身体とパフォーマンス

演じられた近代―“国民”の身体とパフォーマンス

私自身は、60年代全学連世代が具体的にはよく知らなかったはずの戦中・戦後関西時代に遡って捉え直すことで、武智鉄二のもうちょっと違う可能性が見えてくると思っています。武智鉄二は素朴な「前近代礼賛」であったり、まして「前近代」に近代が抑圧した「暗黒の無意識」を見たわけではなく、芦屋の豪邸が実家の「山の手インテリ」で近代的な方法論をもっていたし、その可能性をアングラ系のなかで正面から受け止めたのは、「日本の身体」を古代ギリシャ劇からシェークスピア、チェーホフまでの西洋演劇と合体させた鈴木忠志くらいだったのではないかと……。)

一方、奥中さんの本は、往年の文化人類学でおなじみの「文化相対主義」を歴史に転用した「歴史相対主義」の立場。「明治」は現代とは様々な前提の異なる、いわば「異文化」だから、みだりに「現在の先入観」で判断してはならない、と繰り返す地点に留まっていて、「前近代」の明確なイメージと「唱歌運動」の理念を対比するというようなことはありません。

このあたりの議の運びは、山口修先生の民族音楽学を渡辺裕先生が彼なりのやり方で摂取した「近代化論・渡辺流」そのままと言えそうで、「阪大っぽさ」を感じてしまいました(笑)。

阪大に学位請求する論文としてはこれでいいのかもしれないけれど、「相対主義」という極めて素朴に「近代的」な概念ツール(「地域」と「時代」のマトリックスで文化を仕切るべきだといういちおうの「方法」ではありますが、実情は、対象との共犯関係や自己言及に陥る手前で行儀良く踏みとどまろうとするやや自己防衛的な「モラル」ですよね)で、「近代」の批判的再検討にどこまで踏み込むことができるものなのか。

方法論として、このままでは自家中毒に陥る危険がありそうで(この時代の施策は実際には現在と切り離された過去ではなく、現在に至るまで日本の洋楽教育の「土台」として存続しているのですから「他者」「異文化」扱いはどこかで破綻を来すはず)、伊沢修二のモノグラフィとしてはいいのだけれど、この本の中の話の「先」を考えようとしたり(「近代のメカニズムはわかった、それじゃあ、これから私達は唱歌とどうつきあっていけばいいのか。今もこれからも、音楽教育の基本は「唱歌斉唱」しかないのか?」等々)、この本の話を次の研究で引き継ぐ者が今後誰かあらわれるかもしれないことを考えると(自己完結するのではなく、次の研究に「きれいにパスをつなぐ」のが研究者の責任ですよね)、「相対主義」の名の下にこれ以上の論究にストップをかけるかのような物言いは、書き手が自己防衛を考えるあまり、研究対象に対して、「客観的なふりをした過保護」を招いているのではないか、と思いました(最近の子育てでよく話題になる、親の子供への過剰管理に似た事態が、研究者と研究対象の間に生じている気がしました)。対象を突き放す契機がない……。天皇家の方々の弦楽器演奏に接しつつ、「国民」が唱歌を口ずさみ、「近代」の幸せをうっとりかみしめる。それが日本国である、これからも、千代に八千代に、ということになるのでしょうか。そうあるべきなのかもしれないし、音楽文化のことは「民」に任せると主張する政治家諸氏によって、そうではなくなっていくのかもしれませんし……。

(渡辺裕先生は、もともと、「西洋近代精神の自家中毒」の人体標本みたいなアドルノ、マーラーをめぐってモノローグをつむぐ芸風で出発された方ですし、「渡辺流」の家元が自己完結的なのは、もうそれでいいのだと思いますが……。)

[追記]ひょっとすると、日本の伝統音楽、古典芸能に著者が詳しくないから、「唱歌以前」への言及に本格的には踏み込めなかった、というだけのことかもしれないですが、もしそうだとしたら、それはまた別の意味でイカンのではないか、自分の能力不足を、大げさな「相対主義」でもっともらしく飾ってはダメだろう、ということになりそうですし(←自戒を込めつつ)。