森彰英『武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな』

[読んだところまでの感想を随時、後ろに書き足しています。]

今年最初の演奏会、少し早めに大阪駅へ着いたので、紀伊國屋書店へ寄り道すると、古典芸能コーナーにこんな本が。

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

折しも、今朝は中村富十郎さんの訃報があり、ちょうど一ヶ月前には茂山千之丞さんが亡くなられました。「武智歌舞伎」で世に出たり、当時彼の周囲にいて「武智組」などと言われたりしていた方々が、もう本当にいなくなってしまいそうな今日この頃。よかった、ああ、よかった、と嬉しくなってしまいました。

[追記:昨年6月には明治学院大で「武智鉄二・伝統と前衛」というシンポジウムが開かれて、四方田犬彦がその前宣伝的な文章「今日に生きる武智鉄二」を「東京新聞」2010年6月9日夕刊に書いていたのを先程知りました。富十郎さんと千之丞さんは、ここでお話していらっしゃったようですね。四方田氏のことだから、シンポジウム記録は本になるのでしょうか。そうであって欲しいです。

ただ、ここでも武智鉄二の関西でのオペラ演出(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100211/p1)は、やはり話題にならなかった模様。

順序としては、「伝統と前衛」で本当に武智鉄二を割り切れるのか、というところまで演劇・映画のほうで議論を詰めていただかないと、いきなり「武智鉄二とオペラ・音楽」の話をするのは難しい気がしていて、これまでは、そこがもどかしい思いだったのですが、すこしずつ世の中の環境が整ってきているのかなあ、という気がします。

四方田氏が武智鉄二にたどりついたのは、大島渚との関連がきっかけで映画の文脈からであるようですが、一方、森彰英さんは、昔から演劇との縁があり、権藤芳一先生の「資料集成」がはじまった頃から評伝の準備を進めていらっしゃったようです。]

      • -

森彰英『武智鉄二という藝術』は、まだ最初のほうしか読んでいませんが、あまりにも多面的すぎる活動を前にして、業績一覧の間をつなぐ「人となり」に焦点を当てる姿勢で書かれたとのこと。

「週刊誌的な視点」と自ら書いていらっしゃいますが、

竹中労が専属で書いていた頃に光文社社員として『女性自身』の担当だったのだそうで、昭和の女性週刊誌の現場にいて、当時の空気をわかったうえでの抑えた口調が感動的です。たぶん、武智鉄二にはこういうアングルでなければ見えてこないことがあると思いますし、事実、最初の数章で既に、「そういうことだったのか!」と目から鱗の落ちる記述の連続です。

      • -

父が事業で富を築いて、梅田と芦屋のほかに、西宮の南郷山(松下幸之助別邸の近所)に豪邸があり、武智鉄二もそこに住んでいたのだとか。武智家のご兄弟の足跡も取材されていて、ああ、これは絵に描いたような阪神間のお坊ちゃんの人生だと思いました。

歌舞伎や歌劇の演出は、一流のものを浴びるように観て・聴いていた下地があるから成立したけれども、映画がなんともコメントのしようのないものになってしまったのは、むしろ、こっちのほうがいかにもお坊ちゃんの道楽っぽいところ丸出して、人となりがよくわかる仕事なのかもしれません。

枝振りの良い庭の樹木を眺めるようにして、よくもまあ、ここまで育ったものだと眼を細めるような視点が必要で、一本一本の枝葉の形に一喜一憂していると、全体が見えなくなる。大きく広がった全体が視界に収まるような広い庭がないと、せっかくの樹が生きないわけですが、きっと戦後日本の狭義の「芸術」にはそこまで大きな場所・キャパシティが(もはや)なくて、往年の芦屋のお坊ちゃん・武智鉄二が手足を伸ばすと、あっちこっちがはみだしちゃって、それでもめ事やスキャンダルにまみれてしまったのかもしれませんね。そして本人は滔々と言い返して、それがまた、著作として世に出て、彼の枝葉を延ばす滋養になる。

なるほど、こういう存在を、一方的に崇拝するのでもなく、一方的に糾弾するのでもなく記述するには「週刊誌的」な視点(といっても「のぞき見趣味」とか「ゴシップ好き」とか否定的なだけの意味ではなく)がふさわしいのかも。吉田豪が掘ると、あまりお近づきになりたくなさそうなこの人あの人が、なんとも魅力的に思えてしまうようなもので……。

素晴らしいです。森彰英さんは1936年生まれ。45歳の小僧が何か言うのが恥ずかしくなる練達の筆致。

[追記]

まとまった時間が取れそうにないので、読んだところまでの感想を随時書き足します。

関西での昭和30年前後のオペラ演出について、まとまった記述にはなっていませんが、それは音楽関係者がやるべきこととして残してある、と理解しました。でも、音楽の側からだけでは見えてこないこの時期の武智鉄二の状況が立体的に描かれていて、これまで、いくつもの文献の断片的な記述をつなぎあわせて想像するしかなかった武智鉄二の姿がくっきり像を結んだ手応えを感じました。

堂本正樹さんへの取材を通じて、武智鉄二の世代、「大正生まれの最後の関西のボンボンたち」の気質がくっきりと描かれているのも、よくぞ書いてくださった、と思います。(堂本さんの言葉を借りれば、あの頃の関西には「何人もの武智鉄二がいた」。そして、船場がかつての船場ではなくなって、昭和30年代半ば頃までに、そういう文化は一気に消えてしまったのだ、と。)

福田恆存との論争は、当時の團伊玖磨の関西歌劇に対する懐疑的な眼差しを読み解く上でも皆様に踏まえておいていただきたい東西文化論と思いました。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20101028/p1

東京出身の森さんや神奈川出身の堂本正樹さんがこういう風に冷静に記述できるのだから、「関西のことは関西人にしかわからない」とか、逆に、「関西はまるで外国、わけわからん」と遠巻きにするとか、そういうのは、文化論の姿を借りた体の良い逃げと言わざるを得ない気がします。そのような言説を振りまく者こそ、アドルノ大先生の批判理論に照らし、文化産業のイメージ戦略に毒された「虚偽意識」の烙印を甘受せねばなるまい(笑)。

(しかも、恥ずかしながら私は知らなかったのですが、昨年の群像新人賞評論部門は、該当作なしで優秀賞が飯塚数人「福田恆存vs武智鉄二 西洋か伝統か、それが問題だ!」だったのですね。)

そして、これも本書で知ったのですが、円形劇場形式の「月に憑かれたピエロ」公演については、実験工房との関連でのレポートがあるようです(http://ci.nii.ac.jp/naid/40016632949)。武智鉄二と戦後前衛運動との関わりについては、美術のほうで道がつきそうな雰囲気ですね。そう来なくては! 武智鉄二の一連のアヴァンギャルド仕事では、やっぱり「ピエロ」が突出して面白そうですから。(音楽研究の人は、アンテナ感度の問題なのか、行動力の問題なのか、ジャンルの特性なのか、面白そうな領域に飛び込む速度が演劇や美術よりワンテンポ遅れるものであるらしく、美術のほうでどんどんやっていただいて、音楽・オペラのほうで大いに参考にさせていただく、という流れになりそうです。いいんじゃないでしょうか。)

ドキュメント 実験工房 2010

ドキュメント 実験工房 2010

  • 作者: 大谷省吾,大日方欣一,山口勝弘,東京パブリッシングハウス,西澤晴美
  • 出版社/メーカー: 東京パブリッシングハウス
  • 発売日: 2010/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 1人 クリック: 5回
  • この商品を含むブログ (3件) を見る
上記論文を書いた西澤晴美さんが編集に加わってまとめられた実験工房のドキュメント。「ピエロ」公演についての当時の記録・批評が再録されています。

[追記:「ピエロ」については、その後、私なりにまとめをしてみました。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20110122 ]

武智鉄二の東京移住をめぐるスキャンダルについては、西村みゆきさん、故・川口秀子さん双方の談話が紹介されていて、おお、っと思ってしまいました。

武智鉄二の人を巻き込まずにおかない文章を読むときも、同時代の騒々しい関連資料を読むときも、関係者に取材するときも、スタンスがぶれない。ちょっとでも周囲をのぞいたことのある人にはわかると思いますが、「武智鉄二」に関してこれができるのは、並大抵のことではないと思います。