音楽文化史の陥穽?(東谷護編著『拡散する音楽文化をどうとらえるか』、国際日文研シンポジウム「戦間期大阪の音楽と近代」)

最近読んだ本と、先日参加させていただいたシンポジウムのお話です。

拡散する音楽文化をどうとらえるか (双書音楽文化の現在)

拡散する音楽文化をどうとらえるか (双書音楽文化の現在)

『拡散する音楽文化をどうとらえるか』という本を読んで、ポピュラー音楽研究も立派になったものだなあ、と思いました。つっぱった「対抗文化」のノリはもはや微塵もなくて、若い学問にありがちな、ロジックの隙間を勢いで押し切ってしまう感じもなくなって、スーツ姿がよく似合う文体と論の運び。日本に学会が出来てからまだ間がないのに、「みんなオトナだなあ(ものすごい勢いでオトナになっているなあ)」というのが第一印象でした。

ただ、ざっと読んだ感じだと、いかに「音楽文化の現在」という括りの叢書とはいえ、(そしてそれぞれの論文は面白かったのですけれど)、1960年代以前への視界が悪いとも思いました。巻頭で編者がポピュラー音楽の時代を、とりあえずとことわりつつ「主に20世紀以降」(1頁)としているのですが、ジャズが20世紀前半の「若者に人気のポピュラー音楽」(95頁)となっていたり(「若者」という世代的な区切りが本当に20世紀前半に妥当するのでしょうか)、現在を論じる前提となる歴史的概説がほとんどの場合1950,60年代から説き起こされていたり、まるでポピュラー音楽において、1960年以前は「有史以前」であるかのようです。

このようなパースペクティヴが、論者たちの世代(全員1960年代以後生まれ)によるものなのか(もしそうだとしたら、「現在」とは自分が生まれたあとの時期を指す、などという「オレ様定義」を学問に持ち込むべきではないと批判される可能性がありそう……)、それとも、--本書には「演歌」概念は60年代の産物であるとする論文が収録されていますが--60年代以後こそが現在と地続きであると主張しうる何らかの根拠があるのでしょうか。個人的にも、60年代で何かが変わったかも、という印象はたしかにありますが、これは、(私を含めて)論者の皆さまご自身が60年代以前を「体験」していない以上、個人の認識が中立的な判断であるとも思われず、かなり慎重に検討すべき案件であるような気がします。

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先週末に3日間開催された「戦間期大阪の音楽と近代」というミニシンポジウム(http://www.nichibun.ac.jp/event/minisympo20081204.pdf)は、反対に、ポピュラー音楽研究業界的には有史以前の「はるかなる(?)過去」なのかもしれない1920〜1930年代について、ジャンル横断的な(大阪の)音楽文化史の端緒をつかもう、という趣旨の催しでした。

私は全体の1/3くらいの発表しか聞けなかったのですが、その限りでは、概して皆さま、新聞等のいわゆる活字情報もしくは当事者の証言といった単一のソースに依拠しすぎる傾向があって、歴史調査として危ういところがあるかも、と思いました。

人は文章を書いたりインタビューを受けたりするときに事実と異なることを書いたり(言ったり)、事実を誤認していたり、誇張したり、故意に嘘をついたりするものですよね。だから、たまたま手元に集めることのできた情報を他の複数のソースを付き合わせる前に簡単に信じるというようなことをしてはいけない。(例えば大阪音大の音楽博物館の関西洋楽史資料は、可能な限り複数の、互いにスタンスの異なる資料を付き合わせて照合できるようにまとめられています。ちゃんと利用しましょう(笑)。)

こういう人たちが裁判員になったら、かぎられた証拠や証言を信じて暴走するかもしれない、恐い、と思ってしまいました。音楽学者を裁判員に選出するのは止めたほうがよさそうです(笑)。

そしてそのように、「歴史的事実」を検証するのは手間暇のかかることだからこそ、どこを掘るかということについて、事前に目的や計画を明確にしておかなければいけないはず。(そうしないと、コストと成果の収支決算が合わない、調査のための調査になってしまう。)そのあたりの精度・確度を高めていかないと、(間違いなく大正・昭和初期大阪は面白い時代だとは思うのですが)面白い音楽文化史になっていかない危険がありそうな気がしました。

細川周平さんの発表、阪急の宝塚少女歌劇ばかりが研究対象になることにカウンターを当てるような話としての、道頓堀の松竹少女歌劇の話がとびぬけて面白かったです。事実関係を「掘る」前から、細川さんには、レコードで聴く松竹少女歌劇系の音楽(「道頓堀ジャズ」と仮に細川さんは呼んでいた)が同時代の東京等のバンドとスタイルが違う、という認識があったようです。そういう直感が「担保」として先にあったうえで、そこを「掘る」ことにしたようでした。まだあまり手が着いていない領域に入っていくときは、そういう目星の付け方が大事なのだろうな、と思います。

(わたくしの歌劇「夫婦善哉」についての発表は、戦間期と関係があるような、ないような話。いわば、研究会会場=ここはニューヨークの国連会議場か、と思うような立派な立派な国際日本文化研究センターの門の前で、前座の門付け芸を披露したようなものですので、とくにこの場でコメントすることはございません。)