「1Q84」vs「1968」

わたくしは、大栗裕との関連で、このところ仏教や日本古来の神々への信仰に関する本なども少しずつ読んでいますが、現時点でオウム真理教について村上春樹さんのご高説をお伺いしたいとは思わないし、ジョージ・セル指揮のヤナーチェクを今聞き直したいわけでもないので、公称百万部以上であるらしい本には当面近づかないことにしております。

(そういえば、村上春樹の音楽エッセイに再三言及している「音楽の聴き方」の著者は、彼の小説をこれまでどれくらいお読みになったのでしょう? 同書でやや唐突に引用される南博さんについては、最近、著者はモダン・ジャズにぞっこんでいらっしゃるそうなので、ひょっとするとザ・フェニックスホールでも行われた菊地成孔・南博ライブにいらっしゃった等々というようなことが、ひょっとするとあるのかなあ、などと勝手に想像はしているのですが……。何の馴染みもなしに、とりあえず最近出た音楽論をいくつか見繕って引用した、というわけではないでしょうから。)

奇しくも、小熊英二さんの「1968」という、同じかそれ以上に分厚い本が出ましたね。こちらを少しずつ読んでおります。

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

左翼学生運動の本を読みながら、戦後日本の作曲家がレイボヴィッツで十二音技法を学んだ頃の回想を読んでいると、これもまた(作曲家の)「運動」ではあるけれど、戦争中既に成人していた柴田南雄さんなどが戦後の「運動」を先導したのはどういうことだったのだろう、とあれこれ考えてしまいます。

外交官の耳、作曲家の眼

外交官の耳、作曲家の眼