小鍛冶邦隆『作曲の思想』をヴァルター・デュル『Sprache und Musik』の邦訳とあわせて読む

[12/1 最後に小鍛冶邦隆さんの文体についてあれこれ書き足しています。色々なことを考えさせられる本で、こちらも必死で読んでおり、文章がいつも以上にとっちらかっていて申し訳ないのですが……。]

読書の秋です。

作曲の思想 音楽・知のメモリア

作曲の思想 音楽・知のメモリア

ヴァルター・デュルの翻訳が出たらしいことを小鍛冶邦隆『作曲の思想』巻末の対談(with沼野雄司)で知って、見てみたら、ベーレンライターのクレメンス・キューンが音楽分析の巻を書いているシリーズのSprache und Musikが、音楽之友社から12,000円という驚きの値段で出たんですね。

声楽曲の作曲原理 言語と音楽の関係をさぐる

声楽曲の作曲原理 言語と音楽の関係をさぐる

これは、いくらなんでも学生が参考書として購入できる値段ではないような……。

「声楽曲の作曲原理」という邦題とか、巻末の訳者あとがきを読むと、「声楽曲」という特殊な音楽ジャンルがある、という見方が残存しているようで……。(中身は、喜多尾道冬さんがデュルのドイツ・リート論を訳したときほど悲しいことにはなっていないようですが。)

器楽が「芸術」に昇格したのは18世紀以後のことに過ぎない、というダールハウス『絶対音楽の理念』が邦訳されてから随分時間が経ちますが、詞章(それ自体が構造化された言葉)をどのように語り/歌うか、というのは、小鍛冶さんも指摘していらっしゃるように、むしろこっちのほうが、ヨーロッパの芸術音楽(キリスト教会の典礼文を語り/歌うところからはじまって、近世宮廷で音楽劇を開花させたような)の本線なのだろうと思います。

近代日本のヨーロッパへの憧れの眼差しが作り上げた「西洋音楽特殊論」(逆転したオリエンタリズム?)は、ここでも崩れてしまうわけです。

恩師・谷村晃が、ゲオルギアーデスのMusik und Lyrik(邦訳『音楽と抒情詩』)の翻訳・刊行をライフワークと見定めつつ大学院ゼミで同書の講読をやっていて、当時わたくしは、いちおう修論までシューベルトをやっていましたので、ゲオルギアーデスの弟子でデュルと一緒に新シューベルト全集の編集主幹をやっていたArnold Feilのシューベルト論なども当然読んでおりましたから、ヴァルター・デュルは、ちょっと懐かしかったです。

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で、本題の小鍛冶さんの新著『作曲の思想』は、究極の翻訳文体と申しましょうか、語彙を厳選して、日本語の「てにをは」の駆使で欧文風のシンタクスに相当する構造を構築する筋肉質で体脂肪が少ない文体に慣れさえすれば、内容はスラスラ読める本だと思いました。

ふと思ったのは、この本は、文学でいうと、「私小説論」の中村光夫と「日本語が亡びる」論の水村美苗を足して二で割ったようなものと読まれてしまったりするのかもしれないな、ということでした。

(1) 仏文学者で文芸評論家の中村光夫は、「西洋近代文学の価値観で、特殊日本的ジャンルとしての私小説を批判した人」とされていたらしいのですが、パリ国立高等音楽院で学んだ東京藝大准教授がバッハからメシアンまでの分析に続けて、伊福部昭、武満徹、三善晃の反アカデミズム的こわばりを解析するのは、「西洋の規範」で「特殊日本的前衛運動」を裁断しているように見えなくもない。(本当に中村光夫がそういう人だったのか否か、というのは別の話として……。)

(2) バッハからメシアンまでの作曲技術を「知のメモリア」と呼ぶことは、水村美苗の、英語でなければアクセスできないものになりつつあるとされる「叡知の図書館」という言葉遣いを連想させる。(水村美苗も小鍛冶邦隆も、欧米で教養の土台を築いたエリートさんで、1951年生まれと1955年生まれで年齢も近いですし……。)

そして(1)と(2)を掛け合わせると、

「ヨーロッパには、バッハからメシアンまで、五線譜の分析ができなければアクセスできない「叡知の図書館/知のメモリア」が存在するのであって、そこにアクセスするアカデミックな態度がないから、日本の前衛を自称する作曲家はダメなのだ。」

という、要約めいたものが出来上がってしまいそうです。

巻末の対談で、沼野雄司さんには、「そういうことなのですか?」と誘導していると読めそうな発言があるし、ひょっとしたら、沼野さんは上記の要約に近い考えを何%か抱いていらっしゃるかもしれない感じなのですが、

でも、そういう楽壇政治風の誘導(笑)は無視して(もちろん沼野さんのインタヴューはそういう楽壇政治に小鍛冶さんを押し込めてはならない、という善意からなされたのだと思いますが)、小鍛冶さんの発言だけを拾い読みすれば、作品の分析から知の結晶としての具体的な技術を読み出すという姿勢(その作業を小鍛冶さんは「演繹」と呼ぶ)は、バッハに対する場合も、伊福部に対する場合も基本的に違いはなく、きっとこの人は、囚われのない超高性能な分析機械、優秀な技術者なのだろうと思いました。

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ただ、非常に優秀で隙がない人だからこそ、大きな構図として、ヨーロッパ(=知の図書館/知のメモリア)、アメリカ(=物質文明の国)、日本(=後発経済大国)という三極構造で世界を捉える図式をいまだに使い続けていらっしゃるところが気になりました。

どうやら、1950年代生まれの人たちはなかなかこの構図から逃れることができないようで、

思い起こせば渡辺裕(1953年生まれで小鍛冶・水村のちょうど間の年齢)の『聴衆の誕生』は、世界の文化の先端が「19世紀ヨーロッパ→20世紀アメリカ→1980年代日本」というように移動していると読まれてしまいかねない構成になっていましたし、

聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化

聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化

水村美苗『日本語が亡びるとき』は、(1) アメリカの大学へ招聘されて不機嫌になった「私」が、(2) ヨーロッパにそびえる《叡知》の《図書館》を幻視して、(3) 日本の行く末を憂う、という構成になっています。(前にも書きましたが、私はこの書物は、冒頭で提示される「不機嫌な私」という公平・中立的ではない語り手を設定することによって可能になる「フィクションとしての評論」、一種の文学作品だと思っています。ネット上でこの本が騒ぎになったのは、オーソン・ウェルズの「火星人が来た」というラジオ番組でリスナーが集団ヒステリーのパニックになったようなものではないかと。)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

小鍛冶さんの本でも、まず、バッハからドビュッシーまでヨーロッパの様式変遷を追いかけて、ラヴェルが登場したところで「アメリカの影」という主題が導入されて、返す刀で、メシアンの分析クラスを召還することで「音楽のアカデミア」の系譜が浮かび上がり、これらの概念ツールを利用して、「擬似的な制度」を導入した後発国・日本が解析されることになります。

(余談ですが、小鍛冶さんの本には出てこないけれども、シェーンベルクも、無調や十二音を教えたわけではなく、周囲に古典作品を分析する「アカデミア」が形成されていたらしく、ここから複数の分析家が出ています。戦後のダルムシュタットは仏独のアカデミアの合流だったと言えるのかもしれませんね。ただ、新ウィーン楽派を入れてしまうと、この系譜を不完全な形ではあれ日本でやろうとした諸井三郎楽派が浮上してしまい、小鍛冶さんが狙っている「ヨーロッパのアカデミア/知のメモリアvs日本の前衛」の対比がクリアカットなものでなくなってしまいますが……。諸井三郎とその弟子筋は、エクリチュール教育のことしか言わなかった池内友次郎とはちょっと性質が違いそうですから。)

ともあれ、渡辺裕・水村美苗・小鍛冶邦隆のお三方はみなさんおなじ構図の上で話をしている感じがあります。

知識人が個人の意志や才覚でどうにかできるものではない「統治としての知」という小鍛冶さんの認識にのっかって言うとすれば、この「ヨーロッパ(知性)・アメリカ(欲望)・日本(経済)」という三極構造の世界認識こそが問われるべきなのではないか、と思いました。

こういう風にあからさまに圧縮・要約してしまうと、こんなの、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」な80年代の浮かれた日本の自意識に過ぎないではないか、ということになってしまいますが、

個人として隙のない知性を極めているに違いない方々が、この図式を受け入れたかのような文章を綴る光景に、何なのだろうこれは、と思ってしまったのです。

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小鍛冶さんが最後に言及する「前衛の下流志向」(いわば、バカになることが人類の希望であるかのように人々を誘導する規制)はそうかもしれないと思うし、「伊福部昭→松村禎三→西村朗」のアジア路線は、ざっくり言って、アーリア人優秀説に似た偽史と戯れている感じが否めないとは思いますが、

でも、まだ五線譜システムが考案される以前に、アルプス以北がエジプトやインドから見て蛮族の住む地域だったのは確かだし、同じ頃の東アジアの日本を含む沿岸部の国々は、中国の強い影響下にあったわけですよね。

ヨーロッパはそういう自身の「過去」を切断して、キリスト教文明国としての「知の図書館/メモリア」を築きあげたことになっているわけですが、東アジアには、たぶんそういう明確な切断はない。日本の統治は、大陸との交流を奨励するか抑制するか、という交通規制の匙加減でローカル・ルールとグローバル・ルールの配合を調整することに尽きているような気もします。

で、日本は建国以来途切れることのない伝統を有している、というのは言い過ぎで、色々だましだましやってきただけだとは思いますが(アジアの端っこだから、大陸の大国と地続きの地域のようには侵入が容易でなかった地の利もあると思う)、そのいいかげんなヒストリーに「知」はないのかどうか。

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「欧・米・日の三極構造」がさかんに言われていた頃は、同時に、パラダイム・シフトというトーマス・クーンの科学史の術語が流行った時代でもありました。

でも、過去を切断して更地に新しい建物を作るばかりが芸ではないわけで。

たとえば、ヴァルター・デュルのSprache und Musikは、ルネサンスのラテン語への作曲、バロックのイタリア語への作曲の分析に続いて、18、19世紀のオペラと歌曲の章では、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなど、ドイツ語への作曲から実例が選ばれています。リートはともかく、18世紀のオペラの作曲技術の実例がドイツ語作品なのは、ちょっと偏っている感じがしなくもない。マドリガルやシューベルトは著者の専門領域だから、これらの選択は書き手の都合と見ることができるかもしれませんが、オペラがドイツものばっかりなのはそれだけでは説明が難しそうです。

たぶん、ドイツ語で書かれ、ドイツの学生を読者に想定しているからだと思います。

訳者の村田千尋先生は、本書が詩論などの知識をも必要とする高度な本、とあとがきで形容するわけですが、ラテン語は文系学生が学位を得るための必須科目だし、ドイツの音楽学は、大学のなかで文学・歴史に隣接する学科に位置づけられています。(少なくともデュルが現役であった頃はそうだったはず。)そして文学といえばドイツ文学Germanistikですから、要するに、ドイツのMusikwissenschaftは、国文学科に能・狂言や浄瑠璃・歌舞伎の講座が併設されているようなものです。

文学・詩論の知識を要求するのが音楽学として「高度である」というのは、文学・歴史と切れた作曲・楽理講座や哲学・美学講座に音楽学が設置されている国から見た錯覚ではないかという気がします。

(村田先生は、東大美学と国立音大大学院を経て、北大などの教育学部音楽教育講座に長くいらっしゃって、現在は東京音大。文学・歴史とは縁の薄い学生さんに囲まれていらっしゃる方だから、ご自身の学生さん向けにこの本を説明するとしたら、「これは高度な本だよ」という言い方にならざるを得ないのかもしれず、優しい教育的配慮なのかもしれませんが。)

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日本から欧州への留学生は、(特にかつては)日本にないものを選択的に吸収して持ち帰らねばならないという意気込みだったようですし、なかには、さらに強く、日本を「切断」して、日本(のしがらみ?)から脱出する志向の人もいたように思います。そういう目線でヨーロッパを眺めると、「なんだ、日本と一緒じゃないか」という部分がなかなか見えない。(そしてデュルがドイツ学生向けにまとめたささやかな参考書が、「古典的名著」と呼ばれてしまうことになる。有益な本ではあると思いますけれど、そう思うんだったら、そんな変なほめ方をするのではなくて、アリオンで出版助成するとか、大量に買い取って学生には安価で配るとか、書物の有用性がまともに機能する方策を考えたほうがいいんじゃないでしょうか。)

単純な西洋崇拝はとっくに卒業したかもしれないけれども、80年代には、今度は「文化相対主義」というお題目があって、表面的な類似を安直に鵜呑みにしてはいけない、という新たな規制が稼働していたように思います。(この格言が色々な知見をもたらした面はもちろんあります。)

でも、今デュルの本を読み返すと、思った以上に現場主義というか、ドイツの音楽学の、普遍的でも世界的でもなんでもない、現状の具体的な条件(この本の想定読者はドイツ語しか興味はないだろう、というような)によりそう場所に知的リソースが投入されている(ローカルな条件を「普遍的」な文脈と摺り合わせるために細々とした配慮がなされている)ようにも思われます。

世の中そんなもん、と言ってはいけないのでしょうか?

それに、

学問の輸入といっても、そんな先方のお家事情にいつまでもつきあっていたらキリがないですから、こっちは「ことばと音楽」をたとえば声明や狂言や浄瑠璃でやったっていいんじゃないか。そこに洋楽が入ってくることで何が起きたか、という風に近代へつなげていけばいいんじゃないか、と思うのですが、ダメなのかなあ……。

絶対音感と五線譜を物心つくころから刷り込まれて、ツブシがきかなくなってしまった「歌う国民」(渡辺裕)の耳には今更そういうことは無理かもしれませんし、「中村光夫/水村美苗」的ポジションへの反発というのは、その種の、前近代への切断を思考回路にビルト・インされてしまった「知のサイボーグ」への警戒感なのだと思いますが、

(そして、小泉文夫以後の戦後日本の民族音楽学の皆様は、ご本人たちの善意・使命感とは裏腹に、実は思った以上にゴリゴリの「知のサイボーグ」でいらっしゃる場合がしばしばで、次から次へと言語学や文化人類学の最新流行概念を輸入することに西洋音楽研究者以上に熱心な反面、知的羞恥心が若干希薄な「音楽学における未来ユートピア派」だったことがはっきりしつつあるので(日本のポピュラー音楽研究はこうした民族音楽学の「未来派」成分から産み落とされた私生児みたいなところがある)、話はさらにこじれているようですが……。)

小鍛冶さんがそういう人なのかどうか、「日本」にアクセスする気があるのかどうか、ということは、現状ではよくわかりませんでした。

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「欧・米・日の三極構造」世界観の内部にいると、日本の「知」というようなものが仮に想定可能だとしても、構造上、その上澄みのようなものにしかアクセスすることはできないと思いますし、実際、小鍛冶さんの本はそういうことになっているようです。(別に批判ではなく、そういうものとして『作曲の思想』という本が構成されているようだ、という私の観察を述べているに過ぎません。私だって、「音楽史」の授業をやるときは、おおよそ同じようなストーリーを組み立てますし。)

結論として、小鍛冶邦隆『作曲の思想』は、たぶん1970年代以後的と言ってよい現代日本の知の配置が美しく書き込まれているし、著者が希求するような、統治としての知に規制された音楽知識人の姿を見事に体現(著者の言葉遣いでいえば「物質化」)した書物だと私には思えます。

ヴァルター・デュルのSprache und Musikと同じ種類の懐かしい感じがあって、

アルテス・パブリッシングのウェブサイトに掲載されていたときから、ああやってるなあ、と思いながら読ませていただいておりました。私自身は、能力・性能がそこまでハイ・スペックではありませんし、もうちょっといいかげんに生きたいと思っておりますが。

付記:そういえば、半分忘れかけていましたが、5月に歌の「古さ」の分析、という話を書いたときに、五線譜の世界の内側からその外側の世界を垣間見ることができないか、私なりに考えていたような気がします。五線譜の内側から届く領域というと、このあたり(まで)かなあと思います。http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20100513/p1

[追記]

別に私は小鍛冶さんを擁護する筋合いはないとは思いますが、この本の文体を「読めない」という人がいるようなので一言。

その1:

『音楽』とは一般に、様式史としての歴史的な概念である以上に、歴史的な構造である。

この冒頭の文章がいきなり難解だと言う意見を見かけたのですが、すぐ次の段落で敷衍されていますよね。

ヨーロッパ近代音楽における表現と形式について、過去から現在へいたる多くの議論から学ぶことは多い。しかしながら本書では「何が音楽として実現されたのか/実現されているのか」ということよりも、「それらを具体化(実現)する働きじたい」について検討してみたい。

「音楽における表現と形式」が「様式史」の言い換えであることはすぐに推察されます。様式史において、「何が音楽として実現されたのか/実現されているのか」ということは数多く議論され、そのようにして、音楽をめぐる「歴史的な概念」が形成されてきたけれども、ここでは、そういうことを扱うのではなくて、音楽がそのような議論を発動させるに至るメカニズム、「それらを具体化(実現)する働きじたい」を検討したいと著者は書く。それが「歴史的な構造」の語で指されようとしている事態じゃないのでしょうか。

  • (1) 音楽はXではなく、Yである。(というややカマシ気味の出だし)
  • (2) Xという事態の説明。
  • (3) Yという事態の説明。

という風に文章が構造化されている。この構造はよくあるものですから、十分に読める文章だと思います。主題を提示して発展させる主題提示の作曲術の成立にも影響をあたえたのかもしれない、論理的な文章・弁論に汎用的にみかける書き方だと思うのですが?

日本人がヨーロッパ風の音楽を作曲したり、演奏するのはいいけれど、ヨーロッパ風の文章を書いてはいかん、というなら話は別ですが、「知のメモリア」にアクセスしたい著者なのだから、この程度のカマシはやるでしょう。

この程度のレトリックは「現代思想」以前の話だと思いますが?

その2:

ドビュッシーの章に「Images(映像)・現実と実存」という節があります。ここで「本質的な現実=実存」が意味不明だとの指摘を見かけたのですが、この単語は次のような文章に収まっています。

Images(映像=心像)を介して、現実界のとらえがたい流転そのものの背後に、本質的な現実=実存が眺望されるのである。

意味不明とされた語を伏せ字にしてみると、

Images(映像=心像)を介して、現実界のとらえがたい流転そのものの背後に、●●が眺望されるのである。

句点で区切られた3つの部分から成り立つ文章です。構文は「Aを介して、Bの背後に、Cが眺望される」。3つの部分の相互関係には何ら難解なところはありません。そして「Aを介して」の語があるので、これが静的な状態ではなく、(1) まずBがあって、(2) そこにAが投げ入れられる、すると(3) Aを媒介することによって、(4) Cという眺望が開ける、という風に事態が遷移する。この文はそういう描写であるようです。

  • (1) 眼前にとらえどころのない感覚刺激の束(=「現実界のとらえがたい流転そのもの」)があって、
  • (2) そこに、ポンとひとつの「映像」を浮かべてみる。そうすると、
  • (3) その「映像」を手掛かりにして(=「Images(映像=心像)を介して」)、
  • (4) その向こう側に何か別の眺望が開ける。

……印象派の絵画や音楽を想像すれば、それほど追いかけるのは難しくない描写だと思うのですけれども?

(ちなみに、小鍛冶さん自身はドビュッシーの章に、「印象派」ではなく「象徴主義」の語を使っています。ドビュッシーは印象主義というより象徴主義だ、という説を踏まえて「印象派」の語を排するわけで、この本の文体をあげつらうなら、そういうさりげない目配せにも気付いてあげなければ不公平だと思うのですけれども、それはともかく)

で、芸術体験としてはリアルだけれども、なかなか言葉になりそうにない事態ですから、プロの物書きではない作曲家が、この伏せ字部分に多少ぎこちない単語を書き込んでしまったとしても、さほど、眉をしかめることではないし、鬼の首を取ったようにあげつらっても、何の役に立つのか、私にはわかりません。

おそらく、この文章を読めないと思う人は、文章の構造や構成・向かいつつある方角を踏まえないで道に迷っているのではないでしょうか? それでは、本が読めないだけでなく、ヨーロッパ流に構成された音楽についていくのも大変だろうと思うのですけれど……。

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確かに慣れるまでは、あっちこっちで立ち止まってしまいそうになる引っかかりのある文章ではあります。でも、文章の構造は崩れていないし、引っかかってしまうのは、かっちょよく決めようとして決め損なっている箇所であることがわかってきます。可愛いもんじゃないですか。

もし、言うべきことなく言葉を雰囲気だけで並べているだけだったら、こういう風にはならないと思います。

音楽は個人が独力でゼロから生み出しうるものではなく手本がある。そしていわゆるマニュアル、ハウツー本片手にやるのではなく、第一級の作品の分析から技術を学ぶべきである、というのがこの本の著者の姿勢なのは明らかです。

そのような作曲家であれば、文章を書くときに同じことをしたとしても不思議ではない。「文章読本」的なものへ迂回するのではなく(そういえば、ヴァルター・デュルのSprache und Musikを翻訳した村田先生は音楽学の文章読本を書いていますが……)、第一級の文章(フランス語かドイツ語の、英語かもしれませんけど)を読み・分析してそこからレトリックを学んで作り上げられたのが、小鍛冶文体なのだろうと想像します。

いわゆる「現代思想」の表面だけをマネして評論を書こうとすると、たしかに、目も当てられない酷いことになるわけですが、『作曲の思想』を読むかぎり、手本になっている文体の筋は悪くなさそうな気がします。

作曲の先生が生徒の作品を添削するように、小鍛冶作文を添削することは不可能ではないかもしれませんが、いわゆる「論文の書き方」方式でそれをやるのは、著者が挑戦しようとしているものを見ようとしないダメな教師のやり方ではないかと、私には思われます。

音楽・作曲に対する姿勢と、言語・文章に対する姿勢を一致させようとする志は尊いと思うし、やれるだけやってもらおうじゃないか、と、私はそう思いながら読んだのですが。

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[12/1 さらに追記]

「作品から技術を学べ」という小鍛冶さんの態度は、どことなく、「ソースを読め」の格言が伝えられている凄腕コンピュータ・プログラマー、いわゆるハッカーの態度と似ているかもしれない、と思います。

『作曲の思想』という書物がこの文体で書き上げられてしまう事態は、情報理論を講義室で学ぶだけでは飽きたらず、公開されているソースコードを読むことで先人の「わざ」を学んで、OSを書き上げてしまうハーカー精神に近いものがあるのではないか。

小鍛冶さんが「知のメモリア」とか「アカデミア」と呼ぶものは、現実の制度(東京藝大やパリ音楽院)のことではないわけですよね。メシアンの分析クラスや、そんなメシアンを生み出す前提がたしかにパリ音楽院にはあったけれども、ローマ大賞に直結するような主流ではなかったわけです。

これは、アメリカの名だたる大学の情報理論学科がハッカーを生み出したけれども、彼らのライフスタイルが大学の推奨するものでなかったのと似ているかもしれません。

ハッカーズ

ハッカーズ

ちなみに、フリーソフト運動のリチャード・ストールマンは1953年生まれ、アップルの「二人のスティーヴ」、ジョブズは1955年生まれ、ウォズニアックは1950年生まれ。スクリプト言語Perlを開発したラリー・ウォールは1954年生まれ。小鍛冶さんの世代は、ハッカーの世代でもあるようです。

Coolでなければハッカーじゃない。小鍛冶さんのスタイルも、藝大准教授といった肩書きにまどわされなければ、シンプルにそういうことかもしれません。『作曲の思想』は、音楽のHappy Hackingへのお誘いであり、前衛運動の「下流志向」を憂うのは、ハッカーはクラッカーではない、というメッセージ。そう解釈するのが、一番生産的かもしれませんね。

小さなバグに似た言葉遣いの不備をあげつらうのは、いわゆる「スーツ族」っぽい。実際に動かしながら修正・アップデートすればいいじゃないか、という話になる。

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち