2012年から桂冠指揮者(大植英次退任までのカウント・ダウン、本当に?)

http://www.osaka-phil.com/news/detail.php?d=20101201

ひとまず大フィルの公式リリースと大植さんのコメント。大植さん、来年あと1年だそうです。感想はのちほど。

(2012年は大栗裕の没後30年の節目なのに……って、それは別の話ですが。)

どういう経緯で大植英次さんの退任が決まったのか、その先はどうなるのか、など、具体的なことは私は何も知りませんから、まったくの外野からの感想ですが、

私個人としては、秘かに、大植さんの大フィルでの在任期間がミネソタやハノーファーでの在任期間を越える日を心待ちにしておりました。

ひとつの団体と10年前後の長さで契約するのは、今時の、どんどんポストが入れ替わる指揮者さん事情を考えれば長い方じゃないかとは思いますが、大フィルは朝比奈さんが50年以上ひとりでやっていた「気の長い」オーケストラだったわけですから、そのアナクロ的かもしれないスタイルを楽団の個性として守ってくれたら、何か面白いことが起きるのではないかと、そんな風に考えていました。

一人の指揮者がひとつのオーケストラと何十年もやっていれば、普通では経験しないことが起きるだろうと思うのです。たぶん、最初に直面するのは、指揮者の「ネタギレ」でしょう。ひととおり思いつくことをやり尽くしたときに、指揮者はどうするものなのか?

今のクラシック業界は、「ネタギレ」が露呈しないように人事を入れ替えて、常に新しい話題作りをする正しい資本主義で運営されているのだと思いますが、音楽家の一生ということを考えると、「ネタギレ」の向こう側に何があるのか、そこが見たい、と私は思ってしまうのです。

マンネリに居直るにせよ、指揮者自身が変わっていくにせよ、「ネタギレ」の先で何か面白い化学反応があるはずだと思うわけです。

それは「老い」かもしれないし、「成熟」かもしれないし、そんな常識では推し量ることのできない「化け物」めいた生き様かもしれないし、「人生」と切り離したところに芸術が昇華する瞬間かもしれないし……。

古典芸能の世界とか、日本には、そういうところまで含めてとことん芸能とつきあってやろうとする気風が(少なくともかつては)あったじゃないですか。

大フィルが、そういう可能性まで見据えて大植英次を音楽監督に選んだのだとしたら、こちらもそのつもりで、いわば「一生モノの買い物」をしたつもりでおつきあいせねばならんのだろう、と覚悟しておりましたので、

残念と言うなら、私はそこが一番残念です。

(お隣の京都は、そのあたり、さすがに千年の都なので音楽家と息の長いおつきあいをするところらしく、岩城さんが最後の最後まで京響のステージに立ちましたし、かつて常任指揮者だった外山雄三さんが京都コンサートホール20周年記念演奏会を指揮したり、大友直人さんは今でもモーツァルトのシリーズを京都コンサートホールでやっていますし、井上道義は、時々しか来ませんけれども、来ればあいかわらずユニークな企画を好きなようにやらせてもらっています。音楽家とのおつきあいを「長い目」で見ている感じがします。)

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ただ、大フィルという民間の団体に、そこまで期待するのは世知辛い昨今の世の中を考えると、たしかに負担ではあるのかもしれません。

ここはひとつ、大阪市が大植さんに市の音楽顧問か何かになってもらってはどうでしょう?

ヨーロッパには、市の音楽監督とか、そういう肩書きがあるじゃないですか、日本で最初のそういうポジションを大阪市が全国に先駆けて設置する、というのは、「うちは大阪府さんと違って、ヒトとヒトの具体的なおつきあいを大事にしています」というメッセージにもなりそうですし。平松市長っぽいと思うのですが……。

おせっかい教育論

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平松市長、鷲田先生や内田樹を巻き込んだのだから、次は是非、大植英次を!

まあしかし、とりあえず再来年の3月という随分先の話ですから、当面は「やめるな、まだ早いぞ!」と彼が大阪に来る度に客席から言い続けることかなあ、と思います。

大植英次は、同じ曲でもやる度に毎回、違う演奏になる人ですから、これがどこまで行くのか、もっと見ていたいじゃないですか。中田ヒデじゃないんだから、いつまでも自分探しの放浪が続くのは勿体ない。

大植さんは放浪が性分の人なんだったら、しょうがないのかもしれませんが、そのあたりを見極める意味でも、もうしばらく、「やめるな!」と言ってみるのがいいんじゃないかなあ、と思っています。旅から旅の渡り鳥、というキャラは、淡い恋心を抱きつつ別れ別れになるヒロインの涙とか、「お待ち下さい、せめてお名前だけでも」と追いすがる村人とか、そういう脇がいないと引き立ちませんから。

女形の運命 (岩波現代文庫)

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渡辺保先生によると、歌舞伎の見栄は、見栄を切る役者個人の力だけで成り立つのではなく、役者たちが作り上げる「構図」が大事らしいですよ!

大植さんには、大阪に来てしまった以上、最後までそうした情の深い場面にとことんおつきあいいただくということで。