「クラッシックおんがく」とヒップホップの食い合わせ

[追記:言うまでもないですが、「文化系」は、「文系/理系」という話ではなく、「体育会系」と対になる言葉ですね。人文学vs自然科学ではなく、インドアvsアウトドア、ガリ勉vs番長みたいな。]

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

  • 作者: 長谷川町蔵,大和田俊之
  • 出版社/メーカー: アルテスパブリッシング
  • 発売日: 2011/10/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 9人 クリック: 121回
  • この商品を含むブログ (71件) を見る

クラシック音楽からモダン・ジャズへ横滑りする一群の人々がいるようです。そしてロックはちょっと違うらしい。

(クラシック音楽とモダン・ジャズに共通点があるからだ、という風に、対象の側にその根拠を求める説明が妥当なのか、クラシック音楽へのその人の接し方が、モダン・ジャズにフィットしやすい傾向をもっている、という風に、ヒトの側にその根拠を求める説明が妥当なのか、議論は分かれそうですが、ひとまず、そのような現象がある、という事実を認めるだけで、話を先に進めます。)

他方で、モダン・ジャズなヒトのなかには、(クラシックはオッケーだけれども)ロックになじめず、ヒップホップは大歓迎というケースがあるみたい。

……まとめますと、ロックNG派という大きな括りのなかに、クラシック&モダン・ジャズな人(クラシックからジャズへという人もいれば、ジャズからクラシックへという人もいるらしい)、そして、モダン・ジャズ&ヒップ・ホップな人というのがいる。

別冊「本」ラチオ SPECIAL ISSUE 思想としての音楽

別冊「本」ラチオ SPECIAL ISSUE 思想としての音楽

たとえば片山杜秀と菊地成孔は、ロックがダメなんです、ということで意気投合している。

では、「クラシック&ヒップホップ」というパターンはあり得るのでしょうか?

「クラシック&ジャズ&ヒップホップ」と3つともオッケーな人は確実にいそうですが、他方で、ひょっとすると「クラシック&ジャズ」はオッケーだけれどもヒップホップはNGという人がいるかもしれない。

ヤマカンですが、「クラシック&ジャズ」な人のなかに、ヒップホップをオッケーな人とNGな人がいて、その違いは、ジャズに何を求めるかに相関しているような予感があるのですが、どうなんでしょう?

「クラシック&ジャズ」をレコード鑑賞ベースで愛好している人は、ヒップホップに無関心かもしれない、というのは、何となくあり得そうですが、

(つまり音盤を前から後ろへシリアルに聴きたい人と、サンプリングやDJのキコキコなどのランダムアクセスな音盤編集がオッケーな人の間には、調性音楽と無調の現代音楽を隔てるのに似た深いかもしれない溝(心理的美学的で倫理的な)、もしくは何らかのトポロジカルな転換があるように見える)

それじゃあ、ヒップホップがオッケーな人は、クラシックやジャズに何を見ているのか。

      • -

実は、わたくしはジャズが(そしてクラシック音楽に分類されているものの少なからぬ部分も)少数派で閉鎖的で奥深い、という風に思わない派で、それゆえ、そのレコードを崇拝することもないのですが、そのときに「反証」として思い浮かべるのが、いわゆるゲーノー界的な「ズージャー」のイメージなのです。

のちにゲーノー界で活躍することになる多くの人たちが進駐軍相手の演奏でジャズをはじめた、という話があり、だから、業界的には、ジャズは少数派どころか、「基本」であるような気がします。

そしてジャズといえばシティ・スリッカーズのフランキー堺であり、クレイジーキャッツであり、赤塚不二夫とタモリだろう、と。「お呼びでない」であり、「ちょっとだけよ」であり、「ハナモゲラ」である。そういうのが入ってきて、横滑りするよなあ、と。しかもそういう「横滑り」は、しばしば、アフターアワーズで起きるらしい。(ビバップって、とってもアフターアワーズ的ですよね。)

もちろん、いろんな入り方、見方があるのだと思いますが。


その時その場、というより、いつの間にかはじまって、終わらないです。^^;;

(そしてヒップホップは……、

オッサンには似合わない、身の程知らずもいいかげんにしろ、あっち行け、と全方向から速攻で言われそうですから、上記の本は人知れず、こっそり隠れて読みます。姑息に隠れて勉強する意気地なしが「人文系」(←と当初書いてしまいましたが「文化系」ですね)の生きる道であろうかと思うので。^^;;)