『即興詩人』の訳文

森鴎外―文化の翻訳者 (岩波新書 新赤版 (976))

森鴎外―文化の翻訳者 (岩波新書 新赤版 (976))

アンデルセンの『即興詩人』、実物を確かめてみないと気が済まなくなって、あれこれ集めてみました。

デンマーク語原文にもとづく鈴木徹郎訳で、第1章の最初のあたりはこうなっています。まだはじまったばかりで、話者なのか一人称の主人公なのかも定かでない段階での「私」が、もどかしい感じにしつこく熱く語っています。

私は、この長い物語を事実に即してありのままに語っていきたいと思う。だが、そこには虚栄心が、あの嫌らしい虚栄心、人によく思われたいという虚栄心がどうしても紛れ込んでしまうだろう! 私にはこの種の思いがまだ子どもの世界にいたころ、もう小さな草のように芽生えていた。その後、それは聖書にいう一粒のからし種のようにどんどん育って天をつくばかりに丈高くなり、たくましい大木になって、そのなかに私の情熱が巣くってしまったのだ。もの心がついたころの最初の思い出にも、この思いが芽生えていたことを示しているものがある。私は六歳だった。[……](鈴木徹郎訳『アンデルセン小説・紀行文学全集2 即興詩人』、東京書籍、1987年、9頁)

アンデルセン小説・紀行文学全集 (2)

アンデルセン小説・紀行文学全集 (2)

東京書籍版は、デンマーク語原典の解説も訳出されていて、ウォルター・スコットやスタール夫人からの影響、アンデルセン自身の日記に記された伝記的事実との関係、デンマークでの出版直後の評判など、ひととおりの情報を得られるようにもなっていますね。

次に、森鴎外が参照したのと同じだと思われるデンハルトによるドイツ語訳(レクラム文庫)。鈴木訳と見比べると、どこがどこに対応しているのか一目瞭然です。デンハルトは、少なくともここに引用した箇所を、鈴木と同じく素直に訳したのだろうと思われます。

Wahr und natürlich will ich das große Märchen meines Lebens erzählen, aber die Eitelkeit kommt doch mit ins Spiel, die schlimme Eitelkeit: die Lust zu gefallen! Schon in meiner Kinderwelt schoß sie wie ein Unkraut auf und wuchs dann wie das biblische Senfkorn hoch gen Himmel empor und wurde ein mächtiger Baum, worin meine Leidenschaften ihr Nest bauten. Eine meiner ersten Erinnerungen weist darauf hin. Ich war wohl schon sechs Jahre alt; [...] (H. Denhardt (übersetzt) "Der Improvisator", Reclam)

Der Improvisator von Hans Christian Andersen - Text im Projekt Gutenberg

そして森鴎外の雅文訳。

われは我世のおほいなる穉物語(をさなものがたり)をありのまゝに僞り飾ることなくして語らむとす。されどわれは人の意を迎へて自ら喜ぶ性(さが)のこゝにもまぎれ入らむことを恐る。この性は早くもわが穉き時に、畠の中なる雜草の如く萌え出でゝ、やうやく聖經に見えたる芥子(かいし)の如く高く空に向ひて長じ、つひには一株の大木となりて、そが枝の間にわが七情は巣食ひたり。わが最初の記念の一つは既にその芽生(めばえ)を見せたり。おもふにわれは最早六つになりし時の事ならむ。[……](底本:「定本限定版 現代日本文學全集 13 森鴎外集(二)」筑摩書房、1967(昭和42)年11月20日発行)

図書カード:即興詩人

森鴎外全集〈10〉即興詩人 (ちくま文庫)

森鴎外全集〈10〉即興詩人 (ちくま文庫)

即興詩人 (上巻) (ワイド版岩波文庫 (18))

即興詩人 (上巻) (ワイド版岩波文庫 (18))

長島要一先生は、「虚栄心/Forhangelighed/Eitelkeit」を鴎外が「人の意を迎へて自ら喜ぶ性」としたのを「うがった訳」としつつ、さらに先へ読み進めていくと、鴎外が主人公の「虚栄心」に関連する箇所をばっさりカットしている箇所があったりすることを指摘しています。

でも、それ以前に、こういう雅びな文体をどういう「温度」で受け止めたらいいのか、私たちにはもうわからなくなっているんですよね。(土井晩翠/瀧廉太郎の「荒城の月」の文語体を実感をもって受け止めにくいのと似た感じでしょうか。100年以上前の明治文学は、もはや古文なのかもしれません……。)

そこに出てきたのが安野光雅。彼が出した「口語訳」は、原文から大きく離れて、少年少女向けの素直な青春文学。聖書と言われてもピンとこない日本人向けですね。

わたしはそうした人生の思い出を、みんなここに書き留めておきたいと思う。とりわけ青春時代のできごとは、いつしか思い出という宝石に結晶し、せつないほどに美しい輝きを持つと信じているからだ。

あれは六歳のころだった。[……](安野光雅『口語訳 即興詩人』、山川出版社、2010年、18頁)

口語訳 即興詩人

口語訳 即興詩人

原文の様子が分かる反面やや硬めの翻訳調から、文体の凄みで読み継がれきたとされるらしい鴎外訳、イタリア紀行&青春ファンタジーとしてスラスラ読める安野訳まで、『即興詩人』という作品に関して、至れり尽くせりな状態になっているんですね。

単体としては微妙な作品だと思うのですが、まだ無名だったアンデルセンの欲と野心みたいなものを読み込んだり、書き言葉が揺らいでいた明治末の日本語文学に思いを馳せたり、ファンタジー風味のイタリア紀行として読んだり、いろいろな文脈を引き寄せる合わせ技で「世界文学」という翻訳ありきの時空を漂うことに成功した、ということになるのでしょうか。

世界文学とは何か?

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