タテ社会/ヨコ社会、東大教授とサントリー

俺も白石知雄氏に嫌味言われながらサントリー学芸賞を頂きたいものよ。

ということで、今日も律儀に嫌味(なのか?)を書いてみる(笑)。

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渡辺裕が身内に賞を出すのは、奥中康人(2008年)、伊東信宏(2009年)に次いで3人目か……。「芸術・文学」が2名とも音楽というは、いかにもアンバランスなわけだが、その裏でどのような審査が行われたのか。

一般に、賞というものは、お手盛りにすると信用が落ちる。インサイダー取引が証券市場の信用を失墜させるのとリクツは同じ。商業音楽学会が、業界へ利益誘導してくれる人物を見つけて歓迎するのは当然かもしれないが、こうしたいわゆるアングロ・サクソン系グローバリズムは、美学用語で言い換えると、判断力のInteresselosigkeit(損得抜き)という亜インテリ好みの教養主義を打破して、美学のドイツ観念論脱却プロジェクトを完遂する、という立派な大義名分になる。ものは言いようである。

(草葉の陰で、森鴎外が泣いている(笑)。ベルリンの現地妻を捨てた話を甘美に綴り、アンデルセンの虚栄心を9年がかりで脱色消臭したオレの努力な何だったのか。東大教授が、そんなぶっちゃけでいいのかよ、と。

カイゼル髭のプロイセン国家主義への憧憬は、もはや在野へ放逐されて、絵本やお伽噺のなかで伝承されるのみ。「音楽の国ドイツ」とか「口語訳 即興詩人」というのは、そういうことなのかもしれませんね……(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20111108/p1)。太古の昔から、日本には、次から次へと新しい文化が渡来して、時の為政者は、不要になった「お古」をこうやって在野へ下げ渡す、それを繰り返してきた、と考えればいいのかもしれません。)

あと、大阪から来た洋酒屋の信用が上がろうが下がろうがどうでもいい、という官学人の民業軽視も、ちょっと混じっているような気がしないでもない。

出す方も出す方だが、もらう方ももらう方だ、ということになり、世の中には、もらった側が困惑する贈り物というのある、という風に発想するのは、ひねくれた関西在住者だけかもしれず、東京という恐い町は、親分・子分の筋目さえ押さえておけば、臆面なく生きて大丈夫なわけだ。(渡辺裕はサントリーが戦後広めたとされるバーのカウンターよりも、学生に囲まれた居酒屋のほうが好きみたいだし……。)勉強になります! というか、学芸賞が欲しい人文学者は、せいぜい、頑張ってくださいませ。傾向と対策が容易な選考委員がいるうちに!

(昭和の頃には、少女マンガや大映ドラマで描かれていたように、芸術の賞やコンクールというと、実技の先生たちが門下生を推す情実がまかり通り、大学の先生は、大所高所からバランスを取る調停役として審査員に入っていると思われていたものだが、世の中は変わってしまったんだねえ(遠い目)。)

日本とは何か  日本の歴史〈00〉

日本とは何か 日本の歴史〈00〉

東日本は親分・子分の関係で組織されたタテ社会、西日本はイエとイエの関係で動くヨコ社会、という二分法は、武家と商家の対比のような感じで、やや雑駁なトンデモ文明論のきらいがあるとは思いますが、ビジネス書にありがちな俗説・処世訓としては、それなりに役だってしまうところがあるのでしょうか。
細雪 (上) (新潮文庫)

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前にも書きましたが、蒔岡幸子(松子夫人がモデル)の細々とした気遣いは、うんざりするほどややこしい関西のヨコ社会そのものだと私は思う。