学者の責任回避とユスリ・タカリ

いつまでもこの件に関わり合いになっている暇はないし、自分は小さなシンポジウムに呼ばれた一介の参加者なので、あらすじだけ短く書くに留めますが、来月の日本音楽学会全国大会が、シンポジウムと個人発表(複数)を常時平行して行う妙に大規模な形になったのは、煎じ詰めると、当番校の持ち回り、という慣行が維持不可能になりつつある現状をダマシダマシどうにかしようとした結果のように私には見えます。

      • -

現状の関西で音楽学会の世話をして動いている人たちは、今回の全国大会の顔ぶれ(実行委員や大会発表の司会者)を見れば判るように、常勤職をもたずに研究活動を続けていて、でも(というか、そういう弱い立場だからこそ)頼まれたら多少無理な仕事でも断れない「いい人」が多くを占めているようです。

おそらくそういう「いい人」たちの背後には、見栄なのだか、思いつきなのだか知らないけれども、一定の地位があって、やたら口だしをする人たち(「全国大会なのだから、これくらいのことはやらくちゃだめよ」的な思いつきを次から次へと言い出す人たち)が控えていることが想像されます。そしてそのような一定の地位のある人たちに何か言われたら、実働部隊であるところの「いい人」たちは、とにかくやらなきゃしょうがない、ということで実務がグワッと動いて、シンポジウムも個人発表も、やれることは全部やることになってこの規模になった。おそらくそういうことではないでしょうか?

      • -

日本音楽学会にかぎらないと思いますが、この種の学会はもともと大学に研究室を構える先生たちの集まりで、昔の大学教授は学生や助手を手足のように使える「一国一城の主」だったので、持ち回りで全国大会をできたわけです。

でも、今ではそれなりの数の院生を受け入れている大学であっても、学生や助手を手足のようにタダ働きさせることはできません。(とりわけ音楽大学では、かつて実技の先生達がチケットを門下生に平気で押しつけていた時代があり、それは止めようと言うことで、今の先生たちは、学生に何も「命じる」ことができないですし、私立の音楽学校は少子化で学生の取り合いですから、「学生様はお客様であり神様」状態なので、週末に学会の手伝いを頼む(しかも無償)とか、ありえません。)

教員の側も、現状の公募システムでは「一国一城の主」タイプが採用される可能性はほとんどなく、仮に全国大会規模のイベントの当番校を割り当てられても、当人の能力としてそういうことを切り盛りできない例が少なくなさそうです。

学生の信頼を得て、家族的にゼミを盛り立てることのできている先生は、学会運営などという余計な仕事から逃げますし、そのような処世術のない人は、頼めば断らないかもしれないけれども、その人に頼むと実務能力不足で大変なことになるのが目に見えており、ヘタに頼むと大変なことになるので、誰もその大学へ話を持って行かなくなる。そんなこんなで、だから、もう、持ち回りの当番校制度は無理なんだろうと私は傍目から眺めております。

それで今回は、会場についてはツテのある西本願寺を頼ることになり、スタッフには、頼まれたら嫌と言えない「いい人」たちが集まることになったのでしょう。たぶん、大学以外の場所で、何を頼んでも文句を言わない善良な人たちが淡々と恒例行事として続けるくらいしか、もう、無理なのだと思います。

だからあとは、どうせ大したことができないのだから、イベントをミニマルサイズにして、それ以上のことは何もしない、と割り切ったほうがいいと思う。

実働部隊の頼まれたら嫌と言えない「いい人」たちは、定義上、「いい人」ですから、そんな風に「意見」を言ったりはしません。イベントをミニマルサイズにして、それ以上のことは何もしない、という決断は、何かというと彼らにモノを頼む「上の人たち」がやってもらうしかない。

「せっかくお寺で学会をやるんだから、こんなこともやりたいし、あんなことができるはずだ」とか、夢ばっかり口走って、実際には動かない、というお殿様やお姫様のような先生たちを、周りの先生方が全力で抑えるしかないし、それができないんだったら、もうダメだろう、ということだと思います。

私は、そんなものに関わりたくないので、自分の出番が終わったら帰ります。それだけのことです。

      • -

全国大会は、公共施設なり何なりを借りて、その費用は大会参加費からまかなう。参加費は、(発表したい人というのは、別にアドヴァイスを求めているわけではなくて、博士号を取ったり、公募書類を充実させたりするための「実績」が欲しいだけなのだから)発表者から多く取って、発表しないで聞くだけの人は半額くらいにしてもいいんじゃないか。そしてどうしても大会主催者が人を呼びたい企画があるんだったら、会員・非会員にかぎらず、ギャラを支払って招待する(その費用は大会参加費から捻出する=大会参加費への上乗せになる)。

それから、スタッフには日当を払う。

この線で採算ラインがどれくらいなのか計算して、そのミニマルサイズを毎年回していけばいいんじゃないでしょうか。

お客様に快適なサービスを提供する三つ星ホテルみたいなものを目指すのではなくて(そんなのはもう無理なのだから)、学会の全国大会は、素泊まり数千円のビジネスホテルのような運営で十分ではないのだろうか?

大学の先生たちは、全国からお客様をお迎えするだけの度量も裁量権もなく、そもそも、大学はもはや先生達の「お城」ではないわけです。だからこそ、学外のツテの施設や団体を頼ってしまうわけですよね。

先方が受けてくれたのをいいことに「金は出さないけれども口は出す」ということになると、それはもう、ユスリ・タカリと同じことになる。なんだか、ロシア革命で西側へ亡命した世間知らずのロシア皇族が相変わらず周囲で世話をする人間を召使い扱いしているみたいで(笑)、20世紀の亡霊を見るような気がします。