コンヴィチュニーの「椿姫」

ヴェルディ:歌劇「椿姫」全曲[Blu-ray] [DVD]

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私が大学へ教えに行くのはパート(非常勤)なので、本来それほど行事とか事務の仕事はないのですが、年度をまたいだこの2週間は妙にハードでした。

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「中締め感」とか、普通にしてる小澤征爾、とか書いている3/27までは、まだその予兆に怯える程度だったのですが、それからが大変で……。それぞれに半年とか一年とかそれ以上の長い経緯があって、全部一挙にこの数日でバタバタと決着を迎えたのは個人的にびっくりだったのですが、いずれもここには書けないことなので書きません。

ただ、そういう中で、諸々を振り切ってこれだけは行く、と決めて4日間びわ湖ホールのコンヴィチュニー・オペラ・アカデミーへ朝から夕方まで通ったのは、ノート一冊分ひたすらメモしたりしながら、久々に学生気分で「勉強」して、貴重な体験になりました。(次の「音楽の友」にレポートが出る予定です。)

そんなことを思い出しながら、アカデミーでは取り上げられなかった「椿姫」。

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まだ記憶が生々しいところで観ると、「ここでヴィオレッタがさっと表情を変えるのは、きっとこんな風に指導したんだろう」とか、乾杯の歌をこういう風にしたのは、台本のここがこうなっていて、とか、細かく根拠を挙げたんだろうなあ、とか、歌っている本人だけでなく、周りの人間との関係性を細かく作り込んでいる稽古風景が目に見えるようですし、アルフレッドとの二重唱のところは、きっと、ボワ〜ンとホルンが鳴るところが大事、とか言っただろうなあ、とか、「妹、出てきたよ、見せなければいけないのです、って絶対言ってるな」とか、ピストルを取り出して、ヴィオレッタが自殺をほのめかすところ、なぜそうするか、そういうことをしていいのか、めちゃくちゃ熱く語るんだろうなあ、とか、ほぼ全編にわたって彼がどこで何を言いそうなのかを想像するだけで楽しく見終えてしまいました。

幕を全部引きちぎってみんなが倒れた光景が、爆撃を受けて死屍累々に見えるのは凄いと思います。彼の口癖、「愛は政治だ」の真骨頂。あと、幕切れの構図は、いわゆる「第四の壁」を破って舞台と客席の境目をなくす、の反対で、あっちの世界、「第四の壁」の向こうの世界へ彼女は行ってしまうわけですね。この人の演出は、どうやらいくつか発想の原則みたいなものが確固としてあるようで、だからコツをつかむと解読できるし、解読できたほうが芝居・作品が面白く見えるように作ってある。解けたら終わりのパズルではないようです。

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この文章のオチはないです。

ただ、ゼッフィレッリがいつどこで何をしているときでも劇場人、日常すべてがドラマみたいな人(それが往年の「銀幕のスター」とか「絵に描いたような芸能人」ということだと思う)だとしたら、コンヴィチュニーは、劇場のなかに日常がぜんぶ入り込んでいて、「劇場が生活」みたいな人だから、正反対なのかもしれないなあ、ということは思った。

自分がなにか強烈な「状況」に巻き込まれていたり、なんとしてもこれはやっておかねばならぬ、ということで動いている最中に遭遇すると、妙に「効く」タイプの演劇ですね。この世に他人事・絵空事など存在する余地はないのだ、みたいに思わせてしまうところがある。

でも、妙に感化されて「運動」とか実際に起こしたりしたら、本人は、案外シレっと逃げちゃいそうな気もするんですよね。日常が政治なのであって、そういう大言壮語に政治(リアル)はない、とか言いそうで。

既にムック本まで出ていて、どこで何をどういうつもりでやったか、やっているか、という情報はひととおり出揃っている感じですが、本人を4日間眺めていたら、確かにこれは面白いオッサン(褒め言葉)だなあ、と思いました。

クラシックジャーナル 046 オペラ演出家ペーター・コンヴィチュニー

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