物語の一人歩き、ヨカナーンの首を切り落とす者たちの世界

神尾真由子のリサイタル、招待されてる評論家はちゃんと聴きに行ったのか。油断してると、結婚して人間的に成長した、という主催者側の作った物語「だけ」が一人歩きするぞ。(その物語が正しいとか間違ってる、とか、そういう話じゃなく、特定の立場の人の声だけが一方的に流れる状況は誰にとっても(その話を流したい人にとっても)、あまり嬉しくない状況なんじゃないか、ということ。だいいち、「結婚して成長する」という物語は、「わたしはもうひとりじゃない」という話のはずなのに、そんな、パートナーにめぐり逢うお話を、誰かが一方的に話す、というのは変だ。ノーリアクションだったら、話の中身とは裏腹に、あんたはひとりだということになっちゃうじゃん、みたいな。そしてこの話が辛いのは、主催者が必死に「こんなリアクションがありました!」と情報をかき集めるだけでは、お手盛り&言いっぱなしの構造が変わらない、ということです。「他者」が要る。)

>大久保賢

たとえばこういうリサイタルも聴いて、是々非々で自分の意見を言う、というようなことを入口にして、人間は、己の攻撃衝動を、内向きの愚痴ではないものへ社会化していくのだと知りなさい。

最新の感性学的思考によると、規則・規律が自由を生成するそうだから(ゲーム・遊びはルールによって活性化する、無拘束の自由は弱く脆い、とか、さしあたりそういう脈絡かと思うが)、「ねばならない」で行く演奏会を作るように。それが堂々巡りの出口だ。

サロメ―ナクソス島のアリアドネ/こうもり/ナブッコ (中公文庫―マンガ名作オペラ)

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里中満智子のオペラ・コミック、大学の図書館でちょっと見ただけですが、よくできてる感じですね。