目下の人間を食いつぶす人々

今日の日本の音楽界には、ネームバリューのある人の名で仕事を取り、実際は分業で仕事する商慣習が深く定着しています。中にはそうした「工房制」を前提に見積書を提出するケースなどもあります。

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これが、かつての牧歌的な「マイスター養成」と明らかに違うのは、アンカーはずっとアンカー、つまり裏方のまま30歳、40歳と年を重ねてしまうこと、また、若い世代に人材が出ると古い人は仕事が減るといった、アシスタント食いつぶしの状況が見られることだと思います。

偽ベートーベン事件、罪深い大メディアと業界の悪習慣 あまりに気の毒な当代一流の音楽家・新垣隆氏(3) | JBpress(日本ビジネスプレス)

さらっと書いて、そのあとメディアの責任論へ移ってしまうけど、ここを実名入りでちゃんとやらないんだったら、単に新垣弁護側陳述になる。

相手が詐欺等の明白な悪事を働いていない場合、押しの弱い人間は、押し切られておしまいや、と。

それでええ、世の中はそういうもんや、とあきらめてるんやったら、はっきりそう言いなはれ。

それではあかん、と思うなら、実名をちゃんと出しなはれ。

根性ないな。

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ちなみに、大栗裕は、生涯、よほど切羽詰まると写譜等のアルバイトを頼むことがあったけれど、原則としてアシスタントをもたず、全部自分で書いたことが複数の資料や証言からわかっています。

で、「大栗さんはいつもできるのがギリギリになる」と言われたりしたけれど、たぶん、すんまへん、と頭を下げてその場を収めたのでしょう。

(譜面を書く速度自体は写譜で鍛えて相当なものだったので、物理的に不可能ぎりぎりの量の仕事を受けていたのだと思います。まあ、仕事というのは、できる人に集中しますもんね。)

アシスタントを任せられる人材がいなかった、ということもあるけれど、伝えられる人柄から考えて、この種の「使いつぶし」に荷担したくないし、将来独り立ちできるように若手をひっぱりあげられる見通しのない仕事に若い人を巻き込むなんてことはやりたくない、と考えていたのではないか。

(関西制作のドラマは大栗裕の最後の10年は、目に見えて減っていく時期でしたから、アシスタントを入れても、彼らが独立できる力をつけた頃には大阪での仕事などなくなっている可能性が高かった。実際そのあとそうなっていきますし……。平成に入ると、放送のかわりにゲーム産業(関西はNINTENDOがある)で「速書き」の才覚を生かせる道が再び出てきたのかなあ、と思いますが。)

音楽の仕事が東京に集中しすぎているのが、背景のひとつだと思う。詐欺師を含めて、さらに人が集まってくる構造になっとる。それは、もうそういう現実なんやから、うまいこと、人を循環させてくれな、困りまっせ。しっかりしてや。

ベートーベンとベートーヴェンの書き分け、とか、笑えない小ネタはいらんから。

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佐村河内問題は基本構造がオウム真理教事件に類似している。つまりある種のカルト宗教だったのだろう。ただオウムは沢山の人が亡くなっているから笑い事ではないけれど、今回の被害はCDを買ったとか、コンサートに行ったとか数千円程度だからね。「騙されてアホやなぁ」と気楽に言える。そこが違う。

雅哉 on Twitter: "佐村河内問題は基本構造がオウム真理教事件に類似している。つまりある種のカルト宗教だったのだろう。ただオウムは沢山の人が亡くなっているから笑い事ではないけれど、今回の被害はCDを買ったとか、コンサートに行ったとか数千円程度だからね。「騙されてアホやなぁ」と気楽に言える。そこが違う。"

タマにはええこと言うやん(笑)。

ファンの失望いうたって、「被害はCDを買ったとか、コンサートに行ったとか数千円程度」、やねんから、そんなやり方はあかん、と思ったら、実名で面と向かって批判すべし。「何も悪いことなんてあらへん」と思うなら、堂々と表沙汰にすべし。

つまり「一九五五年体制」というシステムは二〇年経った一九七五(昭和五〇)年にも安定していた。その十年後、一九八五年にも安定していた。

それが壊れたのが一九九三(平成五)年七月に行われた総選挙で自民党が過半数割れ、社会党が歴史的大敗を喫した時だ。

その二年後、一九九五年、阪神・淡路大震災や地下鉄サリンをはじめとするオウム真理教事件が起きる(それはまた稼働したばかりの福井県の原発「もんじゅ」で漏洩事件があった年でもある。)

つまりこの頃、戦後に作りあげられたシステムが崩壊しつつあったのに、そのことを真剣に受け止める人は殆どいなかった。

それからさらに二十年近い歳月が流れた。新たなシステムを作りあげて行くことが私たち昭和生まれの使命だ(年金問題をはじめとする老後の心配などしている場合ではない)。[101-102頁]

昭和の子供だ君たちも

昭和の子供だ君たちも

(たぶん坪内祐三は、もともと「年金の心配」しないで大丈夫な人だから、当事者意識というより、ノブリス・オブリージュっぽい使命感、ということになるかもしれないけれど。)

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今日の読売新聞、佐村河内さんの件についての岡田暁生先生のコメントが掲載されています。

人文書院 on Twitter: "今日の読売新聞、佐村河内さんの件についての岡田暁生先生のコメントが掲載されています。 http://t.co/ipTxmoz61L"

一方、一九六〇(昭和三五)年生まれ、坪内祐三の2年下(同世代と言える?)の岡田暁生は、基本的に、意固地な一人っ子がそのままこうなっているので、アナクロ保守な「本質主義」でこう言っているというより、他人がどうなろうと興味がないんだと思う。

そういう究極の俺様人生に憧れる人がいるから、本が売れる。

暁生はもうわかったから、毎日新聞、渡辺裕のコメントをはよ!